呪いと恍惚 aespa 新曲 Dirty Workの歌詞に秘められた「禁断の思想」を世界最速考察!!!

XR脚本とKPOPaespa

日本語によるaespaの考察としてこちらのWhiplashのエントリー記事は
日本で一番アクセスいただいていますが

超ーーーーーーーーーーーーー待望の新曲「Dirty Work」が先ほどリリースされたました!

そ・し・て・・・・今回もほんとうーーーに素晴らしい超傑作POP ANTHEMであり

なんといっても心底驚いたのはこの途轍もない傑作「Dirty Work」の歌詞です。

このaespaが新曲「Dirty Work」で手に入れたコトバについて

日本でというより世界で最もDIRTYにDEEPに解説・考察させていただきます

アナタを救うのは「願い」ではなく「呪い」である

吉本隆明の革命的抽象言語論「言語にとって美とは何か」における

なぜ「詩的なコトバが持つ抽象性は会話や物語が触れることのできない美の領域へと到達できるのか?」

という視点からこの「Dirty Work」の歌詞・LYRICを見た場合
とにかくこの1stバース

World domination, I don’t gotta say it
전엔 없던 돌연변이 같아 저주야 난
다수로 볼 땐 Set ’em on fire, 스스로 밝혀

が凄すぎていて・・・・・・この3行を徹底的に解説します

🔥1. 「呪いとしての言語」――〈전엔 없던 돌연변이 같아 저주야 난〉

吉本隆明によれば、言語の起源的機能には「呪術性」がある。
すなわち、言葉とはそもそも世界を変容させる力=呪いであり祈りである事。

ここでの韓国語パート:

전엔 없던 돌연변이 같아 저주야 난
(前になかった突然変異、私は「呪い」になった)

は、aespaという存在=“mutation”(変異体)が、世界の規範を逸脱し、
まさに共同幻想からの逸脱者=呪詛の主体として自己定義されています。

「私は呪いだ」という言明は、吉本の言う

「自分自身を言語にすることで呪術的作用を持つ」ことの典型です。

この「呪い」は、誰かに対するものではなく、
構造(=共同体=世界)そのものへの呪詛であり、
「前例なき存在」の言語によって、それが呪術的に現前化している。
aespaは「自己が呪いそのものである」と言うことで、言葉の起源的美を回復するフェーズへ入ったことを定義しています

🌍2. 「世界=共同幻想」――〈World domination, I don’t gotta say it〉

吉本隆明は「世界」をただの外的対象ではなく、「共同幻想としての社会構造」として捉えます。
つまり、世界とは人々が無意識的に共有している幻想であり、それを支えるのが言語です。

この冒頭:

World domination, I don’t gotta say it

は、支配という構造をあえて「語らない」ことで、逆にそれを言語空間に召喚している。
吉本的に言えば、これは共同幻想を成立させる言語への懐疑と掌握のダブル・バインドです。

aespaはこの世界(幻想構造)を言語によって破壊・変異させる存在であり、
それゆえ「私は呪いだ」と自己を規定し、その支配(domination)すらも沈黙の内に封じ込める。
これはまさに言語の起源的な美=呪術的な省略・黙示です。

🔥3. 「自己を内破させる」〈스스로 밝혀〉

Set ’em on fire, 스스로 밝혀
(すべてを燃やして、自分で光をともす)

ここには吉本が言う言語の二重性=他者に語りかけながら自己を内破する作用が顕著に見られます。
aespaはここで、「他者から照らされる存在」ではなく、
「自らを燃やすことで光を放つ=スピノザ的主体」として自己を位置づけています。

吉本の言葉を借りればこれは、「自我の自己定位が共同幻想の外部を暴露する」という状態。
つまり、aespaは**「呪い」としての自己が火種となり、
幻想としての世界に火を放ち、自己照明=美の成立**を行っているのです。

冒頭に張った「Whiplash」の記事や彼女たちのデビュー時から書いてきた
全てのaespaの考察記事で繰り返しテーマとしてきたのは
aespaのPOPNESSのコアにあるのは常に

「どうやってこの世界を破壊して再生するのか?」という戦略でした

では今回の新曲「DIRTY WORK」でaespaが採用した世界を破壊するための戦略とは?

それは「サタニズム」です

aespa新曲「Dirty Work」はKPOP史上初「サタニズム」をテーマとした楽曲である

えーーーーサタニズムって・・・・と思われるかもですが
で、それはこの2-30年ぐらいのポップミュージック史においては
所謂BLACK METALの犯罪性のイメージが強いからなんですが
そうしたしょーーーもないサタニズム以前

1960-1970年代にはロック史におけるPOP ANTHEMとしての最高傑作のひとつでもある
ローリングストーンズのこの曲や

映画史にさんざんと輝くサタニズム映画の数々を監督した天才ケネスアンガーや

特に今回「Dirty Work」のMVのいくつかのカットにはケネスアンガー作品のオマージュが入っています

そしていつもお伝えしているように映画史における
ヒロイン達の性と聖と生を描き切った途轍もない傑作本である
『House of Psychotic Women』でも数々のサタニズムテーマの女性映画が取り上げられていますが

サタニズムとはポップカルチャー・ポップミュージックにとって最も有効な「武器」でした。

今回aespaはそれを再び奪還しようとしているのです

aespa「Dirty Work」における“サタニズム的言語性”の解説

「Dirty Work」は、以下のようなサタニズム的コードを秘めています:

●「呪い」=神への背反、祝福の拒絶
「전엔 없던 돌연변이 같아 저주야 난」
(前に存在しなかった突然変異のよう、私は呪い)

ここでは「呪い=祝福の対概念」として自らを定義しています。これは神の創造秩序=善なるものからの逸脱であり、まさに堕天的存在=リリス的存在の宣言です。

●「自らを燃やす」=神に与えられた光ではなく、反神的な自己光源
「Set ’em on fire, 스스로 밝혀」
(燃やして、自ら輝く)

ここにあるのは、神からの光(恵み)を拒絶し、自ら光を生む悪魔的主権の誕生です。これはまさにサタニズムが主張する「自由意志の美学」=ルシファー的反逆と対応します。

🌹2. サタニズムと女性と性:映画史における〈呪いの主体〉たち
aespaのこの作品は、映画史の中でも特に「女性の身体と性をめぐるサタニズム表現」の系譜と接続されています。

🎬『ローズマリーの赤ちゃん』(1968, ロマン・ポランスキー)
女性が知らぬ間に悪魔の子を身ごもらされる。

女性の身体が共同幻想=キリスト教倫理に捧げられる構造を描き、その背後にある男性社会の支配性を暴露。

aespaの「呪い」もまた、女性が“宿命的に祝福される存在”であることを拒否する、反母性コードとして読解可能。

🎬『キャリー』(1976, ブライアン・デ・パルマ)
月経を迎えた少女がいじめを受け、やがて超能力で復讐する。

宗教的抑圧と女性の“力”の覚醒が同時に描かれる。

「Dirty Work」の女性主体もまた、抑圧からの暴力的な光=サタニズムの火をまとっている。

🎬『サスペリア』(1977, ダリオ・アルジェント)
女性の集団(バレエ学校)と魔女的儀式。

美の制度に仕組まれた呪術性。

aespaもまた、「アイドル」という制度の中で、魔女的呪術を行使するグループ的存在と読むことができる。

🎬『The VVitch(ウィッチ)』(2015, ロバート・エガース)
ピューリタン的家父長制から追放された娘が「山羊の悪魔」に魂を売って、最終的に魔女たちと空中へ舞い上がる。

aespaの“Set ’em on fire, 스스로 밝혀”は、まさにこの最終場面の逆光の笑みに通じる、「自由の呪いの飛翔」である。

aespaは、SMエンタが構築した「AI×リアル」「仮想存在との自己分裂」のコンセプトをもつグループですが、
『Dirty Work』ではそのテクノロジーを超えて、**より原初的な「呪いの言語」「女性の悪魔性」**という、言語=反祝福の深層コードに回帰しています。

aespaは以下のような存在に変容している:

祝福を拒否する主体(Anti-Eve)

制度内で燃える変異体(Institutional Mutation)

共同幻想(国家、倫理、K-POP)に火をつける魔女団

まさにこれは、吉本隆明の言う「共同幻想の内部からそれを呪う言葉の爆発」であり、
**21世紀の都市的魔女、あるいは“反祝祭の花嫁たち”**の再誕と言えます。

「DIRTY WORK」とは「黒ミサ」ことである

◆ 黒ミサ儀礼とはなにか?

「黒ミサ」はキリスト教の典礼、特にカトリックの「ミサ(聖餐式)」を意図的に転倒・亜逆化した**反儀式(antiritual)**です。
特徴的な構成は以下の通り:

神の否定/逆祈祷(Inversion)

性的象徴の解放(Desacralization of the body)

自己崇拝への転移(Apotheosis of the self)

火/血/呪いの使用(Elemental inversion)

集団性とトランス状態(Ecstatic collectivity)

aespaの「Dirty Work」は、これらを**K-POPの構成美学とテクノロジーの皮膜の内側で“儀礼的に模倣”**しています。

MVにちりばめられた数々のDIRTYでFILTHYなイメージは2025年版「黒ミサ」そのものです

つまりこのDIRTYな「ワーク」=作業とは、まぎれもなくサタニズムにおける性と聖と生の儀式である

黒ミサのことなのです

祝福の形式に呪いを注入し、自己神格化のプロセスをマントラ×火×変異×ビートで実現したポップ曲。

aespaはこの「DIRTY WORK」で

“祝われるための少女たち”

ではなく、

“この世界を呪うための花嫁たち”

に変貌した。

奇跡のような傑作だと思います

aespa

Posted by nolongerhuman