エモとは決して救われる事のない欲望のことである。傑作American Football 「LP4」レビュー 

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EMOCOREは、いつの間にか「emo」としてイジりの対象になった。

泣き虫。
自意識。
黒い前髪。
細い声。
過剰な感情。
面倒くさい青春。

そして日本では、それがさらに漂白され、「エモい」という便利すぎる言葉になった。

夕焼けがエモい。
古い写真がエモい。
卒業式がエモい。
夏の終わりがエモい。
いまや女子小学生ですら、軽やかに、何の傷も負わずに、何の血も流さずに「エモい」と言う。

だが、American Footballの新作『LP4』は、その甘く薄められた“エモ”という言葉の皮膚を、一枚ずつ剥いでいく。

そして、その下に何があるのかを見せる。

そこにあるのは、思い出ではない。
青春ではない。
ノスタルジーでもない。
夕焼けでもない。

血である。

今作のジャケットを支配する赤。
そして文字通り「Blood on my blood」として歌われる血。

この赤こそが、『LP4』の中心にある。

血とは、僕らを生かすために、体内で流れ続けているものだ。
それは生命そのものだ。
しかし同時に、血は、僕らが傷つかなければ見ることができない。

皮膚が破れなければ見えない。
身体が裂けなければ触れられない。
一歩、死に近づかなければ、その赤は現れない。

血は、生の証である。
しかし血が外に出た瞬間、それは死の予告になる。

流れ続けるかぎり、血は永遠だ。
止まった瞬間、それは死の色になる。

ここにあるのは、エモーショナルという言葉では到底すくいきれない、もっと根源的な矛盾だ。

生きているから痛い。
痛いから生きている。
傷ついたからこそ、そこに生命がある。
けれど、その傷が深すぎれば、生命はそこから流れ出してしまう。

American Footballは『LP4』で、この血の赤に込められた永遠と一瞬を鳴らそうとしている。

彼らは、感情を叫ばない。
感情を説明しない。
感情を爆発させない。

ただ、傷口の前に椅子を置く。
そして、そこに座って、血が流れ続ける音を聴かせる。

EMOCOREとは、本来そういう音楽だったのではないか。

それは、救われたいのに救われない欲望。
忘れたいのに忘れられない記憶。
終わったはずなのに、まだ体内で流れ続けている感情。
すでに死んだはずの何かが、血液のように、身体の奥で循環し続けている状態。

つまりEMOCOREとは、過去がまだ体内で生きている音楽なのだ。

そして『LP4』のラスト、「No Soul to Save」。

Ladies and gentlemen
You’ve watched me walk through fire
Swallow swords and ugly desires
I’ve nothing left to fear
Now, for my next trick, you can watch me disappear

[Chorus]
If we’re all born the same
Why am I so ashamed?

[Verse 2]
Ladies and only the gentlest of men, please, fuck you
I already said I’m sorry for everything and I won’t say it again (My love)
Well, I wasn’t made to live on a stage (My love)
I’ve made too many mistakes
I’ve no hope for rеdemption and no soul to save

この曲にたどり着いたとき、アルバムはもはや青春の記録ではなくなる。
それは祈りであり、呪いであり、儀式であり、血まみれのエンドロールである。

まるでハーシェル・ゴードン・ルイスの血塗れ映画のように、赤が過剰に、赤が露骨に、赤が滑稽なほどむき出しになる。

だが、その血は単なる残酷描写ではない。

それは「まだ生きてしまっている」ということの証明だ。

救われる魂などない。
救済される物語などない。
きれいに終わる青春などない。
浄化される痛みなどない。

ただ、血だけがある。

流れ続ける血。
止まれば死ぬ血。
見えてしまった瞬間、もう元には戻れない血。

「No Soul to Save」が終わるとき、僕らはようやく知る。

EMOCOREとは、悲しみの音楽ではない。
青春の音楽でもない。
懐かしさの音楽でもない。

それは、決して救われることのない欲望の音楽であるということを

傑作です。

Posted by nolongerhuman