BEDROOM POP・DREAMCORE・HYPERPOP の理想的マリアージュ! Azikazin Magic World 「Memory Overdrive」レビュー

その他

もちろん言わずと知れた88risingやBlaming Tigerはあるけど
KPOPではなくK-INDIES的な表現がイマイチ感を持っていたのは
うーーん・・・それだと日本のアーティストでもやってる人いるなぁ・・・・
が多かったからですが、うわぁーーーーーーーーーーーーー!!!!!これは凄い!!!
BANDというよりアートコレクティブ・音楽ユニット的な立ち位置のAzikazin Magic Worldの1stフルアルバム
「Memory Overdrive」に大感動!!

あるいは、疾走しながら祈るためのポップ・ミュージック

BEDROOM POP。
DREAMCORE。
HYPERPOP。

この三つの言葉を並べたとき、多くの人はまず音像の違いを考えるだろう。

部屋。
夢。
過剰。

ローファイな宅録感。
幼少期の記憶のようなぼやけた仮想空間。
破裂寸前まで圧縮されたデジタル・ポップ。

たしかに、それは間違っていない。

だが、1980年代から2020年代まで、この三つのジャンルを地下水脈のように接続している本当のコアは、もっと深い場所にある。

それはサウンドの様式ではない。
機材の進化でもない。
インターネット以後の感性、というだけでも足りない。

その中心にあるのは、たぶん、たった一つの問いだ。

魔法を信じるかい?

これである。

魔法を諦めなかった者たちへ

BEDROOM POPとは、部屋の中に閉じ込められた人間が、それでも世界を変えられると信じる音楽だった。
DREAMCOREとは、現実の輪郭が崩れたあとに、それでも夢の中に出口があると信じる感覚だった。
HYPERPOPとは、壊れた声、壊れたビート、壊れた身体感覚のまま、それでも人間は光速で変身できると信じる祈りだった。

つまり、これらはすべて、
魔法を諦めなかった者たちの音楽なのだ。

そして、Azikazin Magic Worldの『Memory Overdrive』が素晴らしいのは、まさにそのことをわかっているからである。

彼らはBEDROOM POPを、内向きの弱さとして扱わない。
DREAMCOREを、ただのノスタルジックな幻想として消費しない。
HYPERPOPを、単なる過剰な音響ギミックとして振り回さない。

そうではない。

彼らはこの三つを、まるで一つの高速道路のように接続する。
いや、高速道路というより、ワープゾーンだ。
あるいは、ゲームのステージとステージの隙間に一瞬だけ開く、あの発光する裂け目だ。

気づいた瞬間には、もう別の場所にいる。
部屋にいたはずなのに、夢の中にいる。
夢の中にいたはずなのに、身体が加速している。
身体が加速しているはずなのに、記憶の奥底に落ちている。
記憶の奥底に落ちているはずなのに、次の瞬間には未来のポップ・ソングのど真ん中を走っている。

それは現実に魔法の速度をインストールするための実験場

『Memory Overdrive』というタイトルは、かなり正確だ。

これは記憶を懐かしむアルバムではない。
記憶を保存するアルバムでもない。
記憶を美化するアルバムでもない。

これは、
記憶にオーバードライブをかけるアルバムである。

思い出が走り出す。
夢が加速する。
過去が未来より速くなる。
懐かしさが、まるでエンジンのように唸り出す。

ここが重要なのだ。

彼らはゲーム制作も自ら行っている。
しかし、それはゲームというフィクションの世界へ逃げ込むためではない。

むしろ逆である。

ゲーム内でキャラクターが疾走する。
ジャンプする。
落下する。
壁を抜ける。
レイヤーを超える。
次元の隙間をすり抜ける。
死んでもリスタートする。
ダメージを受けても、点滅しながら前に進む。

その時の速度。
その時の無敵時間。
その時の身体感覚。
その時の「現実では不可能なはずの動き」。

Azikazin Magic Worldは、それをゲームの中だけに閉じ込めておくつもりがない。

彼らはそれをサウンドに実装する。
ビートに実装する。
声に実装する。
シンセの光に実装する。
メロディの跳躍に実装する。
楽曲全体の速度に実装する。

つまり彼らにとってゲームとは、逃避の装置ではない。

現実に魔法の速度をインストールするための実験場なのだ。

ここで『Memory Overdrive』は、ただのポップ・アルバムではなくなる。

『Memory Overdrive』が鳴らしているのは、その新しい祈りの速度である。

これは、祈りのフォームを更新する作品である。

かつて祈りとは、静止することだった。
跪くことだった。
目を閉じることだった。
上を見上げることだった。
神に向かって、自分の小ささを差し出すことだった。

だが、もうそれだけでは足りない。

2020年代の僕らは、あまりにも多くのレイヤーの中で生きている。
現実。
記憶。
夢。
SNS。
ゲーム。
動画。
アバター。
AI。
過去の自分。
未来の自分。
なりたかった自分。
なれなかった自分。

そのすべてが同時に重なっている。

だから、もう祈りは静止していられない。
祈りそのものが走らなければならない。
祈りそのものがジャンプしなければならない。
祈りそのものがワープしなければならない。

『Memory Overdrive』が鳴らしているのは、その新しい祈りの速度である。

僕らはもう、跪いて神を待つだけではない。
走りながら祈る。
壊れながら祈る。
変身しながら祈る。
レイヤーを突破しながら祈る。
夢と現実の境界線を踏み抜きながら祈る。

そして、その祈りの中心で、もう一度あの問いが鳴る。

魔法を信じるかい?

傑作です!!!

Posted by nolongerhuman