これぞサマージャム’26!!! なぜB.Roxだけが正しく10代の夏を鳴らせるのか?新曲「Everything’s Alright」徹底レビュー!!
キターーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!
彼女達の途轍もない傑作POP ANTHEM「Greedy Girls」は
どーーーーーなってんの?!???!と目が点になるぼと、もっと言えばクリミナルなほど
この真摯なデビュー曲に真正面から対峙した"書かれるべき"レビューが当サイトのものしかないという音楽批評界隈に驚愕しますが
そんなB.Roxの新曲「Everything’s Alright」がDROPされましたーーーー!
そして今回もほんとーーーーーーに素晴らしいと思いますッッッッ
目次
B.Roxが掴まえているのはグルーヴである
なぜこの曲が素晴らしいのか。
メロディーがいいから?
もちろんいい。
歌詞が10代の感情を描いているから?
もちろんそれもある。
セットリストのログ画面を模倣したMVが、いまの若者たちのデジタルな日常と、過ぎ去っていく夏の記憶を重ね合わせているから?
それも間違いない。
しかし、この楽曲の本当の凄さは、メロディーだけでも、歌詞だけでも、映像のコンセプトだけでもない。
B.Roxが掴まえているのは、もっと説明しづらく、もっとコピーすることが難しく、そしてポップミュージックにとって最も重要なものだ。
グルーヴである。
KAWAII以後、誰も次の旗を掲げられなかった
ここ数年、アイドル・ポップが捕まえようとしてきたものは、徹底的に「KAWAII」だった。
衣装がKAWAII。
振り付けがKAWAII。
ミュージックビデオの色彩がKAWAII。
言葉遣いがKAWAII。
表情がKAWAII。
不完全さもKAWAII。
失敗さえもKAWAII。
強さも弱さも、夢も悪夢も、狂気も日常も、最終的には「KAWAII」という巨大な概念の中へ回収されてきた。
それは間違いではない。
むしろKAWAIIは、長いあいだ日本のアイドル・ポップが世界に対して提示してきた最も強力な発明だった。
しかし!!!
もう、お腹いっぱいっすよーーーーーーーーーーーさすがに・・・・・・
KAWAIIが悪いのではない。
KAWAIIがあまりにも成功し、あまりにも巨大になり、あまりにも多くの表現を飲み込んでしまった結果、全員がKAWAIIをやっているのに、誰も新しく見えないという状況が生まれてしまったのだ。
では次は何なのか?
COOLなのか?
DARKなのか?
Y2Kなのか?
平成リバイバルなのか?
ロックなのか?
ハイパーポップなのか?
ドリームコアなのか?
誰もが次の言葉を探していた。
だが、誰も旗を掲げることができなかった。
なぜなら次に必要だったのは、ジャンルでも、衣装でも、世界観でもなかったからだ。
次に必要だったのは、音楽が鳴ったときに生まれる「気配」そのものだった。
B.Roxは、デビュー曲「Greedy Girl」の時点ですでに、そのことに気づいていた。
そして「Everything’s Alright」で、ついに明確な旗を掲げた。
KAWAIIの次に来るもの。
それは――
グルーヴだ。
B.Roxは「グルーヴ」を装飾ではなく思想として鳴らしている
グルーヴという言葉は便利なので、しばしば曖昧に使われる。
ノリがいい。
リズムが気持ちいい。
ベースが跳ねている。
ドラムがタイトだ。
そういう意味で使われることも多い。
だが、B.Roxが「Everything’s Alright」で提示しているグルーヴは、単なるリズムパターンの話ではない。
彼女たちが鳴らしているのは、音と音の隙間に宿る時間である。
歌い出す直前の一瞬。
ビートがわずかに後ろへ沈む感覚。
メロディーが感情を説明しすぎない距離感。
何か特別な事件が起きているわけではないのに、なぜかその場を離れたくなくなる空気。
帰り道に友達と話していた内容は何も覚えていないのに、夕方の湿った風だけは何年経っても覚えている。
その「内容ではなく感触だけが残る記憶」を、B.Roxはグルーヴとして楽曲の中へ閉じ込めている。
だから「Everything’s Alright」は、夏について歌っているから夏の曲なのではない。
夏という季節が持っている時間の流れ方そのものを鳴らしているから、夏の曲なのだ。
最上級のグルーヴはKAWAIIを否定しない
さらにB.Roxが圧倒的なのは、KAWAIIを古いものとして切り捨てていない点にある。
ここが重要だ。
新しい表現を掲げるとき、多くのアーティストは、それ以前の流行を否定する。
「もうKAWAIIではない」
「私たちはもっと大人だ」
「もっとクールだ」
「もっとリアルだ」
しかしB.Roxは違う。
B.RoxはKAWAIIとグルーヴの関係性そのものを、音楽によって再定義してしまった。
「Everything’s Alright」が明確に暴露しているのは、KAWAIIとグルーヴが対立する概念ではないということだ。
むしろ最上級のグルーヴは、KAWAIIを内包する。
KAWAIIを捨てる必要などない。
KAWAIIを超えるということは、KAWAIIを消すことではない。
かわいさも、幼さも、くだらなさも、照れも、強がりも、友達との距離感も、スマートフォン越しの孤独も、すべてを抱えたまま身体を揺らせばいい。
つまり、グルーヴはKAWAIIの反対側に存在するのではない。
グルーヴはKAWAIIの上位互換として、KAWAIIさえも自分の中へ含んでしまうのだ。
これこそがB.Roxの革命である。
なぜB.Roxだけが「10代の日常」を正しく鳴らせるのか
10代を描いた楽曲は無数にある。
制服。
放課後。
教室。
片思い。
夏休み。
自転車。
夕焼け。
炭酸飲料。
コンビニ。
スマートフォン。
未読メッセージ。
これらを並べれば、一見すると青春らしい世界観は作れる。
しかし、それだけでは10代の夏にはならない。
それは10代の夏を構成する「記号」を並べただけだからだ。
大人が思い出の中から再構築した青春。
広告会社が抽出した青春。
SNS映えする小道具としての青春。
そうした青春は、きれいではある。
だが、鳴ってはいない。
B.Roxの「Everything’s Alright」が違うのは、青春を美しいものとして説明していないことだ。
10代の毎日は、本人たちにとってはそれほどドラマチックではない。
昨日とほとんど同じ今日。
どこへ行くわけでもない外出。
意味のない会話。
返事を待つ時間。
なんとなく再生した曲。
友達と一緒にいるのに、少しだけ孤独な瞬間。
楽しいはずなのに、なぜか終わりを感じてしまう夕方。
「Everything’s Alright」は、そこに無理やり物語を置かない。
大事件を起こさない。
感情を絶叫しない。
青春を青春だと名指ししない。
ただ、その時間に流れているグルーヴだけを正確に掬い取る。
だからリアルなのだ。
B.Roxだけが10代の夏を正しく鳴らせる理由は、10代を過剰に神聖化しないからだ。
日常をドラマに変えるのではない。
日常の中にすでに存在している微細なドラマを、グルーヴによって可視化しているのである。
セットログ画面を模倣したMVが映しだす記憶の行方
そして、この楽曲とともに提示される、セットログ画面を模倣したMV。
これがまた決定的に正しい。
セットログとは、本来なら記録である。
感情とは無関係な、無機質な履歴。
しかし、現代の10代にとって履歴とは、ほとんど記憶そのものだ。
再生履歴。
検索履歴。
位置情報。
メッセージログ。
既読時間。
保存した画像。
消した投稿。
聴いていたプレイリスト。
何月何日の何時何分に、誰とどこにいて、何を聴いていたのか。
かつて青春の記憶は、日記や写真の中に残された。
2026年の青春は、ログとして残る。
だからこのMVは、デジタル画面を模倣しているだけではない。
10代の記憶が保存される場所そのものを映しているのだ。
「サマージャム’95」を2026年へ接続するもの
この楽曲を聴いて思い出すのは、やはり「サマージャム’95」だ。
もちろん、音楽的な表面をそのまま模倣しているという話ではない。
時代も違う。
街の風景も違う。
若者が使うデバイスも違う。
音楽の聴かれ方も違う。
1995年の夏と2026年の夏では、社会そのものが別世界だ。
それでも両者は、確実につながっている。
両者をつないでいるのは、夏というテーマではない。
チルという言葉でもない。
日常を描いた歌詞でもない。
グルーヴだ。
「サマージャム’95」が捕まえていたのは、夏に何が起きたかではなく、夏の時間がどのように流れていたかだった。
暑さに理由もなく笑ってしまう感覚。
何もしていない時間が、なぜか永遠に続くように感じられる午後。
その一方で、夏が始まった瞬間から、もう終わりへ向かっていることを身体だけが知っている切なさ。
「Everything’s Alright」は、その感覚を2026年の速度へアップデートする。
スマートフォンの画面。
細切れになった時間。
ログとして保存される日常。
常に誰かと接続されながら、常に少しだけ孤独であるという状態。
そのすべてを、B.Roxはグルーヴとしてまとめ上げる。
「サマージャム’95」が1995年の都市生活から夏の気配を抽出したように、「Everything’s Alright」は2026年のデジタルな日常から夏の気配を抽出している。
これは引用ではない。
懐古でもない。
正統なアップデートである。
夏は何も解決しない。
恋を成就させてくれるわけでもない。
孤独を消してくれるわけでもない。
将来を保証してくれるわけでもない。
それでも夏には、何もかもを少しだけ許してしまう力がある。
夜更かしも。
衝動も。
遠回りも。
言えなかった言葉も。
意味のない時間も。
少しだけ間違った選択も。
夏だから仕方ない。
暑かったから仕方ない。
あの曲が流れていたから仕方ない。
全ては夏のせい。
「Everything’s Alright」が鳴らすchill感と日常性は、まさにその感覚だ。
これは夏を盛り上げるための曲ではない。
夏の中で、気づかないまま失われていく時間を保存する曲である。
何年か後、この曲を聴いた誰かは、2026年の夏に起きた具体的な出来事ではなく、その夏の空気だけを思い出すだろう。
汗ばんだ手。
画面の光。
帰り道の風。
笑っていた友達の横顔。
何も起こらなかった一日。
そして、確かに何かが終わっていった感覚。
それを可能にするのがグルーヴである。
メロディーより深く。
歌詞より早く。
記憶よりも先に身体へ入り込み、何年後かに突然、その季節を連れて帰ってくるもの。
B.Roxは「Greedy Girl」から「Everything’s Alright」へ至る道の中で、KAWAIIの次に来るものを探していたのではない。
すでに知っていたのだ。
ポップミュージックが本来持っていた、最も根源的な力。
人間の身体と時間と記憶を、ひとつの揺れへ変えてしまう力。
2026年、10代の夏はログとして保存される。
しかし、その夏を本当に思い出させるのは、記録された文章でも、撮影された写真でもない。
身体の奥に残ったグルーヴだ。
だからもう一度言おう。
これぞサマージャム’26!!!
そして理由なんて、あとから考えればいい。
今はただ、このグルーヴに身体を預ければいい。
Everything’s Alright。
だって――
全ては夏のせいなのだから!!!
てかさぁもちろん余計なお世話なんですが・・・なんですが!! こーいう兄さん方がこうしたルーキーをフックアップなーーんでしないのかなぁーーとは思いますよねー










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