それはアメリカンドリームではなく「アメリカンデイドリーム」追悼 ブライアン・ウィルソンが発明した「三つの海」
R.I.P
僕は自分のAV作品でも幾度となくブライアン・ウィルソンが生み出し
今、この2025年においてもあらゆるemo系HIPHOPやemo系エレクトロアーティスト達まで
その世界観、つまり
「セカイとワタシという二項対立を決壊させるポップミュージック」
そんな「ベッドルームポップ」
ポップミュージック史における革命について言及してきた唯一のヤツだと思います。
僕が何かを作る上においていつもリファレンスしてきたのは ブライアン・ウィルソンが生み出し続けた
ポップネスであり、でもほんとーーーーーに残念なことに
僕自身はずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと
そのあまりにも強力な影響力ゆえに日本はもちろん海外でも言及されていない
ブライアン・ウィルソンというアーティストのコアについて
AV監督という周縁にいたものだからこそ照射できていた!!!という確信があるので
このエントリーをさせていただきます
第一の海。それはアメリカンドリームじゃなかった――それは、アメリカン・デイドリームだった
星条旗の下、希望を叫ぶことを良しとした時代に、ひとりブライアン・ウィルソンだけが、
ベッドの中で布団をかぶりながら、夢を見続けた。
そう、「起きながら見る夢」=白日夢。
彼が1960年代、ラジオから流したのは、太陽のもとで輝く自由の音じゃない。
ベッドルームで微熱にうなされながら紡がれた、もうひとつの“海”の音だった。
ビーチボーイズの初期――あの“Surfin’ USA”の波しぶきでさえ、それは既にAI的で、合成的で、
僕はほんとうに聴くたびに他のサーフィンミュージック・ホットロッドミュージックとは異質の
現実の海よりもどこかプラグインの波のような
「生成された海」
ホントウとセイセイの境界を溶かしてしまうような「AI感」
それは“リアル”じゃなかった。けれど“リアルよりリアルな音”だった。
このポップミュージック史において初めて生まれた「(AI)生成感」こそが
ブライアンウィルソンという天才のコアだ!!と思っていました
これが第一の海:生成AI的サーフ海岸(初期ビーチボーイズ時代)です
🌊第二の海:インナースペースの深海
そして《Pet Sounds》。
コード進行は迷路のように絡まり、犬の鳴き声と列車の音、トイレットペーパーの芯のようなエコーの奥に、
ブライアンは音の内宇宙を、ぐるぐるぐるぐるサーフし続けたのだ。
サーフボードのかわりに、彼の足元にあったのは、スタジオのフロアと膨大な幻覚のレイヤー。
“God Only Knows" は、神の名前を借りた、孤独な子供のSOS。
彼が潜ったのは、内なる宇宙、内面の海――すなわち“脳内海洋”。
《Pet Sounds》で彼が掘った音の洞窟は、
音階が溶け、コード進行が水流のように揺れ、旋律が涙腺を刺激する「液体構造音楽」。
この海には太陽がない。あるのは自己投影の幻灯と、母胎回帰的エコー。
「Wouldn’t It Be Nice」や「I Just Wasn’t Made for These Times」――
それらはすべて、現実を拒んだベッドルームから、内側に広がっていく心象風景のドローンだった。
この海は広くはない。それは閉ざされたひとりの男の心の中で広がっていく海。
深く、静かで、しかし決して澄んではいない。
それは、心の病が染み込んだ音の水槽。
🌊第三の海:光と溶け合う回復の海
うつ病と闘い、薬に溺れ、砂に埋もれ、
それでもブライアン・ウィルソンは、ついに1988年――
初のソロアルバムで、“ほんとうの海”へと、泳ぎ出す。
そしてそんな彼の最もコアとなったのは「Melt Away」。
水と光が混ざり合い、ブライアンはついに「消えてもいい」と言った。
それは死ではなく、再生。
それは逃避ではなく、浄化。
この1988年リリースのブライアンウィルソン初のソロアルバムについて、もちろんこの時期にはあの悪名高いブライアンの精神疾患の主治医としてメイクマネーしようとしていたユージン・ランディ氏の監督下の作品じゃん!と後付けで非難する人々も死ぬほどいますが、僕はペットサウンズも途轍もない傑作だと思いますが今から60年前!!にリリースされた作品を2025年にリザレクションしてニュートラルに聴くにはどーしてもテキスト的解説が不可欠であり、それを外して楽曲の鳴りかただけでブライアンウィルソンとは何者だったのか?を最も伝えられるのはこの1988年のソロアルバムだと思います
水と光が混ざり合い、ブライアンはついに「消えてもいい(meltaway)」と言った。
それは死ではなく、再生。
それは逃避ではなく、浄化。
ポップミュージックがただの商業でも、ただの希望でもなく、
「閉じた部屋の中から、世界と向き合う手段」になったとき――
そこには必ず、ブライアンの波が打ち寄せている。
そう。彼は**“ポップ”を泳ぎ切った。**
それも、アメリカという海の中で、誰よりも孤独に、誰よりも深く、誰よりも優しく。
それは、再生の海。回復の海。
かつての幻聴ではなく、現実の波の音が聞こえる場所。
この第三の「波・海」で
彼はようやく、音楽の中で“他者”と接続することに成功した。
そこにあるのは孤独ではなく、癒しの音像。
それはもう、逃避のベッドルームポップではない。希望を見つめるサンセットポップ。
水と光が混ざり合い、ブライアン自身が「溶けていく」ことを祝福として歌う、真のアメリカン・エピローグ。
この三つの海が、ポップミュージックそのものの進化の航路であり、
その船長は誰でもない、ブライアン、あなただった
I wonder why
Nothin’ ever seems to go my way
But every time I see you
I get that same old feelin’
And my blues just melt away, melt away
The world’s not waiting just for me
The world don’t care what I can be
I feel just like an island
Until I see you smilin’
And my blues just melt away, melt away
I won’t let you see me suffer
Whoa, not me
I won’t let you hear me cryin’
Whoa, not me
I won’t let you see me sighin’
Whoa, not me
Whoa oh oh
そう僕等はいつでも泳ぎだしていける
その一つの海へ
その二つ目の海へ
そして永遠へとつながる三つ目の海へ
そこにだけ僕等が求めている「おんなのこ」がいる
この故・雨宮女史のインタビューで言っているように
おんなのことはポップミュージックが実体化したもの
そして僕等が彼女達に出会えるのはメルトした新しい海の中だけなんだ
この途轍もなく究極的に正しい「POPNESS」
を鳴らし続けていただいた御大に心から、僕自身の全ての存在をかけて
この記事を捧げます
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