脚本の種 美と媚 孤独とコロナと志村けん殿の遺言

脚本COVID-19, 孤独, 志村けん, 新型コロナウイルス


この脚本千本ノックでは開設以来
一貫して孤独をテーマに、というか
物語・ストーリーとか人間関係なんかで
2020年代の新しい脚本は書けない。
真の孤独の底でだけ聴こえる無人称の「VOICE」だけが
今僕らに必要なセリフであり言葉なのだ
と宣言して
実際そのXR脚本術で書かれたのが「無敵の人3.0」なのですが
この新型コロナ禍においてドンドン去年書いたその
究極の孤独世界があながち僕の強迫観念だけの代物じゃないんじゃないか?
感が強くなってきましたので、今一度
孤独と脚本とコロナについて論考しようと思います。

 

Left Caption

沙奈絵ちゃん

海外ではコロナと孤独について今のソーシャル社会や不均衡な経済関係の
視点から語られる原稿も増えてきました
Right Caption

人間失格

「貧困ウイルス」は貧乏人しか罹患しないから無視して
「コロナウイルス」は上級国民も一様に死ぬから血眼になって
MMT的財政出動を唱え出してるのもおかしな話だと思うニャー

僕等から孤独を奪おうとした平成という時代

「無敵の人3.0」のテーマが孤独になったのは、そして
そのXR的無人称という独自の文体へと昇華されていったのは
とにかくひたすら僕が平成的なソーシャル社会の有り様に
全く賛同できなかったからです。

もちろんその途方もなく狂った「NON」、三島由紀夫の「英霊の聲」ばりの
確信犯的呪詛の内容は是非とも本編をご覧いただくとしまして


僕は今、新型コロナによって風前のともし火と化している
“ゆるく""繋がった""SNS"型音楽も
“ゆるく""繋がった""SNS"型映画も
“ゆるく""繋がった""SNS"型性愛も
“ゆるく""繋がった""SNS"型経済も
全て壊されなくてはならない全て殺されなくてはならない
と考え、そのための殺戮破壊装置として新しい人称と新しい聲(VOICE)
を作り上げました。
何故そうした音楽は映画は性愛は経済は
もはや存在してはならないのでしょうか?
それはそうした腐った世界が僕等から孤独という真実を奪おうとしたからです。
音楽はフェスやライブ、そしてアイドルなら握手会といった「現場」によって
人人とが孤独を忘れて繋がりを確認する道具だって??
映画は手垢のついた物語をSNSで突っ込みながら
キャラクターごっこで孤独を癒す道具だって???
性愛はDARKWEBにしか行き場がないような禁じられた欲望
を排した孤独に陥らないための暇つぶしだって????
経済は他者からの評価が貨幣価値となる
孤独な消費の先にある投資という名の未来だって??????

全部ウソじゃん

平成の「媚」と令和の「美」

音楽も映画も性愛も経済も
それは僕等が自分の中に眠る本当の孤独の在り様に辿り着くための儀式であって
その孤独から逃避するためのじゃない。
平成の30年間、エンタメを含めて社会において起こったのは
僕たちが孤独であること=本来の姿である事を許さない「FRIENDLY FASCISM」でした。

音楽とは映画とは性愛とは経済とは
孤独がメタモルフォーゼして実体化したもの

僕はほんとーに不思議でしょうがないんですが
本当に音楽を聴こうとしたら鳴っている全ての音にコトバに触れているために
一人になりたいし
本当に映画を見ようとしたら映っている全ての画を見続けていたくて
一人になりたいし
本当にセックスをしようとしたら美が実体化したエクスタシーの潮は
ふたりをひとりに融合するし
本当に経済を回そうとするなら使い古されたゴミを共有するのではなく
僕等はまだ誰も見たことがない「何か」を求めて群れから離れるはずで。
そうではない音楽・映画・性愛・経済なんて
その儀式の「美」を忘れた

「媚」

でしかない。
「無敵の人3.0」にも書いたように平成という時代は
孤独という「美」が「媚」に乗っ取られてしまった30年だったんです。
だから今のCOVID-19のまん延で「コロナ疲れ」の記事とか
エンタメ系のイベントが「不本意な無観客公演」とか「已む無く中止」とか
必死で"繋がろう"とする方々の様を見る度に
平成ウイルスがどれだけ人々から孤独という美を奪っていたかが如実にわかります。
そして2020年代と共に現れたコロナとは
新しい時代のいわば令和ウイルスで
ようやく人々を媚という監獄から解き放ち始めています。

まとめ

長年のウイルスの研究成果の一つに
人類の進化に関わるHorizontal gene transfer
「遺伝子の水平伝播」という作用があります


この新型コロナウイルスが果たして
進化のためのレトロウイルスかは現時点ではわかりません。
しかしこの30年で世界中に蔓延ったソーシャルという名の
ウイルスに媚びまくった社会構造が
この新型コロナウイルスのもつ意味を把握しきれず
多くの命が不本意に奪われたことはまぎれもない事実です。
STAY HOMEというメッセージは我慢をしろという意味ではありません
耳をそばだてろ
スクリーンを見つめろ
そして自分の内側にある孤独へと手を伸ばせ
という意味です。

それは生涯を孤独と共に生き、音楽と性愛を愛した
志村けん氏からの僕等への遺言でもあると思います。

 

この投稿をInstagramで見る

 

志村けん(@ken_shimura_bakatono67)がシェアした投稿


今回も記事をお読みいただき誠にありがとうございました。
R.I.P.