デイヴィッド・リンチ死去 夢と映画と生者のための死者の讃歌

2025年1月18日XR脚本術david lynch, デイヴィッド・リンチ

先日も監督の作品を引用しまくってエセル・ケインのテキストを書いたばかりだし

なによりデイヴィッド・リンチ映画とは鈴木清順映画と同じで

生と死を隔てるものなんてない。全ては夢で繋がっているのだ

という死生観のことであり、鈴木清順作品と並んで、僕が物心ついて最も影響を受けた
映画作品群を作ってくれたのがDAVID LYNCH監督でした。

デヴィッド・リンチの映画は、まるで誰かの夢が偶然にスクリーンへと映し出されたかのようで
でもそれは決して偶然ではなく、David Lynchは夢という概念を、
その霧の中に潜む全ての矛盾と共に、緻密にデザインし続けてきました

夢の世界で起きる「あり得ないこと」は、リンチの作品ではむしろ現実を定義する鍵でした

例えば『ブルーベルベット』では、青い空の下で歌うコマドリの美しさは奇跡的で、でも同時に無防備なもの。
その背後に隠された何か――土の中を這う昆虫たちのように――そんな夢の中核のイメージ

そして、『ツイン・ピークス』における赤い部屋の奇妙な対話は、夢そのものが持つ構造的な断片性そのままで
会話の言葉は逆再生され、人物の行動は不可解で、でもどこかでその全てが一つの意味を形成している感覚が残り続けます

この長大なテキストにも書いたように

リンチの夢の世界は常に表面的な物語・ナラティブを侵食し続けました

その不穏で奇妙な『イレイザーヘッド』の工場の機械音は、どこかで眠り続ける誰かの悪夢であり、
『マルホランド・ドライブ』のダイナーの裏に潜む恐怖は、

何故僕等は夢の中で生き続けることができないのか??

という僕等が抱える最も根源的な不安をそのまま提示していました。

デヴィッド・リンチは夢を記憶として捉えていて
そこには時として暗号のような具体性があり、重要な「鍵」がが映り込んでいました。
つまり、それは単なる夢ではなくどの作品においても問いかけだったのです

「この現実は、本当に現実なのか?」

夢は単に物語の要素ではなく、DAVID LYNCH作品においては映画そのものでした。
音楽のように、時には詩そのもののように

そしてデイヴィッド・リンチの夢は、人が現実という名の大地で行き詰まった時、
そっと手を差し伸べる暗闇そのものだったと思います。

A candy-colored clown they call the sandman
Tiptoes to my room every night
Just to sprinkle stardust and to whisper
“Go to sleep, everything is alright"

I close my eyes, then I drift away
Into the magic night, I softly say
A silent prayer like dreamers do
Then I fall asleep to dreams, my dreams of you

In dreams, I walk with you
In dreams, I talk to you
In dreams, you’re mine, all of the time
We’re together in dreams, in dreams

But just before the dawn
I awake and find you gone
I can’t help it, I can’t help it, if I cry
I remember that you said goodbye

It’s too bad that all these things
Can only happen in my dreams
Only in dreams
In beautiful dreams

監督ありがとうございました。夢の中でまた会いましょう

1/18追記。本当に驚き&絶望したんですが現時点(1/18)で海外ではこれだけニュース記事として考察・評論が書かれているのに日本語によるデイヴィッド・リンチの深堀り記事はゼロっていう・・・・、もちろんそれを補完するようにブログ記事はいくつかアップされていますがAV監督である僕のこの「DREAM LOGIC」テキスト越えのものがホントウに一つもないっていうポップカルチャーにおける途轍もない悲劇・・・・・終わってるよなぁ・・・・

\特にこの二つの動画は素晴らしいです

2025年1月18日david lynch, デイヴィッド・リンチ

Posted by nolongerhuman