一度だけ書きます。NEWJEANSを巡るHYBEとADORE問題の本質とは? 2024年という「KPOP史上最悪の年」について
えーーーーーーー?!?!
「ほんとうのこと」
を書いただけなのに強制ロック!?!?!
でもって当該のポスト強制削除?!?!?!
勿論僕のような「POP中毒者」が書ける「ホントウ」なんて
ポップミュージックの事しかないんで
ここ数日のあまりの事態に思わずXでポストしてしまったらこうなってしまいました(泣)
はっきり言って僕はこの2024年の四月以降、その騒動が勃発した当日に一回だけ
ポストしたけど極力極力極力その騒動には触れたくなかったし、というか
もう結論はその時点でわかっていることなので、イッサイガッサイが終結するまで
なんも書かなくていーやと思っていました。
でも流石に、今週のアクションにはかーーーーーーーっと血が上ってしまった。
だから本当に久々、2年ぶりにKPOP関連のブログポストをします。
でもはじめにお伝えしておきます。
この僕が!!!このKPOP大学が!!!!! KPOPに関してこんなテキストを書く日がくるとは
2年前に更新をストップした時には思いもよりませんでした。
そのくらい今回のテキストはGLOOMYだしかなり絶望感が漂っています。
でも4月の騒動勃発以降、誰ひとりとして騒動の核心について書こうとしないし
それを何らかのカタチで残しておくのは今後のKPOPを含めたポップミュージックの未来に
どうしても必要なことかもしれないと決心して書いています。
つまりそれは「NEWJEANS」についてです。
記事リンクを見ていただければ一目瞭然ですが
僕はNEWJEANSが韓国でデビューした2022年7月22日のその当日から
「これはとんでもないことが始まろうとしている!!」
と日本で最初に彼女達の音楽性を含む全てのクリエイションに関する日本語記事を書きはじめ
2022年12月19日の「Ditto」までの全楽曲を
今でもこの一連のテキストを超える評論はないと確信をもっていえるくらい正確に
NEWJEANSとは何か?について書きまくりました。
だから2022年12月31日にブログはストップしてAIAVの準備期間に入ってしまったけど
勿論その後の2023年のリリース楽曲も聞き続けていましたし
上の記事で完璧に予想した通り、正に「渋谷系」ど真ん中!!のような
でもKPOPは食わず嫌いで聴いていなかった(僕からいわせればその時点で????だけど)
日本の非KPOPファンにもNEWJEANSがリーチしていくのも見ていました。
そして2024年が明けて3月、遂にAIAVをローンチ!!
さぁーーーーーこっから一年間溜まってた分も含めて
また新しいNEWJEANS記事書いてくぞーーーーという矢先、正にその瞬間に
まるで天変地異のように起こったのがミンヒジン女史のADORとパンPDのHYBEとの騒動でした。
ただ!!!ただですねぇ・・・僕はこれだけNEWJEANSの事を聴き続けてきていて
上の記事でも書いてますが一連のNEWJEANSの作品における
コンセプトワークに込められたミンヒジン女史のフィロソフィーが
全部手に取るようにわかったし実際その通りだったりもしたので、
実は今回の予兆ともいうべき
厭な予感
を「BUBBLE GUM」を聴いたときに感じて、
そして「HOW SWEET」のMVを見たときに
これはヤバい・・・・・
と思いました。
「BUBBLE GUM」はいくら日本での最初のオフイシャルリード曲という事情を鑑みても
あまりにもシティポップすぎる
そして「HOW SWEET」のMVを見たときに僕の懸念は頂点に
なにこの「不穏なイメージの連鎖」は????!!!!!!
明らかにNEWJEANS廻りで「なにか」が起こっている。
今回のNEWJEANSを巡るHYBEとADOREの争いには
「POP MUSICがポップミュージックである事の意味についての全てが入っていると思います。
同じ様な騒動が、これまた僕がまだデビュー時点で
絶対に化ける!!と書いたFIFTY FITYにも2023年先行して起こってしまったけれど
同じゾーンの事件だけどNEWJEANSの場合はもっと本質的な事態が起こっている
その本質とは以下の二つです。
NEWJEANSに何が起こったか?1. ポップミュージックを生み出す「清濁」の本質とは?
2. 肥大化するファンダム・推し活といったポップミュージツクにおける「肥溜め」に対抗する「コトバ」の問題
ひとつづつ解説していこうと思います。
1. ポップミュージックを生み出す「清濁」の本質とは?
僕はこのNEWJEANSの騒動、というかもう「事件」(それも最悪な)が報道されたその日に
一つだけポストをしました。
あーーー・・今日のミンヒジン女史の会見
の英文全訳と会見に対するHYBEの公式見解読んだけど…— AIAV(EX-性格良し子ちゃん) (@seikakuyoshiko) April 25, 2024
実際事件が泥沼化していくこの何か月かでやはりそうだったという展開になってますが
このNEWJEANSの事件とは芸能やマフィア的ないわゆる犯罪組織の意識的アンド無意識的な礎になっている
「Family Affair」
の問題なんです。
韓国エンタメのトップ企業であるHYBEと、これまで伝説的なガールズグループを
いくつも手掛けてきた伝説のプロデューサー間で発生したことから
殊更この事件を金や契約にまつわるビジネスにおけるトラブルの視点から
書いたものばかりで辟易としますが
(っていうかオマエらハイエナはNEWJEANSに近づくなよゴミライター共)
そうではなく “Blood is thicker than water"というクリエイションにおける「血」の問題なんです
そんなはずはないだろう、今やあらゆる組織の仕組みは透明化され市場から評価され
そこに昔のような「義理」だの「人情」だの「血の轍」だの旧態依然のドロドロとした
マネタイズできないようなモノが存在するわけがない。と考えているなら
それはポップコンテンツ・POP MUSICというものの本質を全く分かっていないと思います
芸能も犯罪も共に本来
「世界にとっていらないもの」
です。
でもその芸能(界)や犯罪組織が生み出す本来なら「ゴミ」でしかないようなモノが
この世のものとは思えない輝きを放ち、人々の欲望を狂おしく搔き立てる
ポップであること=ポップミュージックであることは
本質的にドラッグでありセックスのシュミレーションであり
どこまでも得体のしれない魔性のクリエイションです。
だから芸能や犯罪組織に関する文献を読み込めば読み込むほど
最も優れた芸能を、そして最も残酷な犯罪を生み出すことができるのは
「偶然」
の力だけだということがわかります。
そんな不確実性のカタマリのような妖しいブツを作り上げる者たちにとって、
自らが拠り所とする共同体には世界から隔絶してもなお、
その関係性の強度を象徴するような「特別な何か」が必要になります。
それが「血」です
芸能でも犯罪組織でもその赤が織りなす轍と契りのイメージを直感的に共有できたものだけが
共同体の成員となることを許される
それは疑似的な、というよりは自覚的に選択し構築された
本来の意味における「家族的関係」なのです。
この「血」
この「家族的関係性」
こそがポップコンテンツにおける陰陽の「陰」のコアであり
この特殊な関係性に基づいた運命的・非論理的な陰がなければ
優れた「陽」は絶対に生まれない。
このパラドックスから生まれる複雑性のことを本来の意味でのポップ(ミュージック)といいます。
ミンヒジン女史がどこまでも青い「少女性」をNEWJEANSでクリエイトできたのも
パンPDがどこまでも勇敢な「少年性」をBTSでクリエイトできたのも
そうした陽のための強烈な「陰」のイメージ、家族的関係性への途轍もなく強いエモーションを秘めているからです。
だからこのNEWJEANS事件はF.フォード.コッポラ監督の傑作映画
「ゴッドファーザー」に限りなく似ています。
風習に背を向けて優秀な軍人として成長した"末っ子"の主人公のマイケルが
激化する抗争の中で次第に「血」と「家族」に囚われていく運命の物語
自らのクリエイションソースの多くを1970年代のポップカルチャーから引用している
両氏は、今回よく引き合いに出される「お国柄」という起因以上に、この1970年代の
最高傑作の一本である「ゴッドファーザー」に過分な影響を受けています。
そんな優れたポップミュージックを生み出せるものだけが共有できる
特別な「血潮」がミンヒジン女史とパンPDを繋いでいたはずなのに
何故?何故彼等はこのNEWJEANS事件で決定的な決裂に至ったのでしょうか?
その回答が2.となります。
2.肥大化するファンダム・推し活といったポップミュージツクにおける「肥溜め」に対抗する「コトバ」の問題
かなりアタリの強いワードを使ってますが、1.の論旨にもあるように
ポップミュージックがPOP MUSICであるためには「清濁」「陰陽」の二つが
矛盾したまま成立していなくはならないわけで
ここでファンダムや推し活を「肥溜め」と定義したのは決して貶めているわけではないです。
でも今回のHYBEとADOREによるNEWJEANSにまつわるこの事件では
極度に肥大化・先鋭化したファンダムや推し活がこの数年でポップミュージックに
もたらしたものが非常に密接に関係していると思います。
何度も繰り返しでゴメンナサイなんですが
当アカウントは2015年の「KPOPルネッサンス」以降
音楽サイトを含め
「何故KPOPが世界で最も優れたポップミュージックになったのか?」について
1950年代からのPOPMUSIC史からのコンテキストから
日本語によるものとしては最も深堀したテキストを書き続けているから
だからこそ!!! 今年2024年が
「KPOPにとって史上最悪の地獄の年」
と定義してしまいました(号泣)・・・・・・・
ここで言う「地獄」とはJPOPにおけるアイドルポップソングを全滅させてしまった「地獄」のことであり
ぼくは2019年の段階で
「アイドルポップミュージックを愛するモノ達VSそれを殺そうとするモノたち」
を一つのテーマに、ポップミュージックを殺した奴らへの究極のリベンジとして
その地獄めぐりの道程を「地獄の黙示録」ばりに描いて
「無敵の人3.0」という作品にしました
この「地獄」が遂にKPOPにも迫ってきていること
このNEWJEANSの事件が象徴しているものとは
KPOP自体が今、非常に危険な状態にあるということです
近年KPOPがけん引した(★注・・これは日本においては
ジャニーズというTHE BEATLESが1960年代にはじめたファンダムビジネスを
より先鋭化して50年以上展開していたので、いまさらなんですが)
「2010-2020年代におけるポップミュージックとは?」
という命題を象徴するものとしての「ファンダム」と
日本での「推し活」
これらは現在の脱成長型社会における優れたビジネスモデルとしてももてはやされました。
もうこの時点で僕は「うむむ??????」状態で、
何故ならポップミュージック側の視点から言えば
1960年代のTHE BEATLESの時代からはじまったファンダムとか推し活による
「数字で定量化できるポップネス」
って、これははっきりしてるんですがポップミュージックにおいては
「肥溜め」
ってことだからです。
繰り返しますがこれは全くディスっているのではなく
ポップミュージックという奇跡のコンテンツ、それは言い換えると
人智の及ばないところで
「花を咲かせる」
のと同様の魔性のクリエイションであることは1.で述べましたが
そんな美しく凛とした花がこの地上に咲くためには
肥料としての「肥溜め」が必要不可欠で
権力闘争とか、コネとか、ワイロとか、そして肥溜めとしての
屎尿で最も重要な
「数字」
とか、
こうした糞尿なしには世界を破壊するような真の意味での強度をもつ
ポップミュージックは絶対に生まれません。
数字しかわからない
権力しかわからない
自らのコネの価値しかわからない
といった「糞尿様」が生み出す養分によって1950年代以降
最も優れたポップミュージックは生まれ。花咲いてきました。
しかし皆さんもご存じのように、時にその肥溜めが美しい花を枯らす(殺して)しまうことがある
いわゆる「肥料やけ」というやつです。
美しい花を守るためには、肥溜め・糞尿は
常時適切な量をKEEPしなくてはならない。
これはポップミュージックという美しい花を作る上でも同じです。
にもかかわらずこの数年のKPOPは明らかにファンダム・推し活といった
肥溜めの調整を意図的に放棄しています。
それはこの数年の異常なフィジカル(CD)販売枚数で明らかです。
ファンダムや推し活民が信じている唯一のものは「数字」です
彼等の言い分はいつも同じで
わたしたちがお金を出して、目に見えるカタチで数字を出しているから
アイドルは活動できるのだ。だから数字が生きがいなのだ
です。
このJPOPにおいてアイドルポップを殺した(枯らした)肥溜めの方々の時代遅れの論理は
「無敵の人3.0」で完全論破しているので詳しくはそちらを追っていただくとして
彼等には「数字」が全てです。
それは何故かというと何度も繰り返しますがポップミュージックとは
不可知なものであり快楽ももたらすけれどもと同時にその得体の知れなさは
人々に、そのコンテンツを愛していると表明しているファンダムや推し活民にも
無意識の上で不安をもたらしています。
彼等にも、そして僕にも自らの愛するモノの正体はわからない・・・・・
だから彼等は「数字」にしがみつくしかない。
自分が推しに費やした「時間」
自分が使った「お金」
チャートの「順位」
売り上げた「枚数」
これらの目に見える数字を信じなければ彼等はその愛する対象の得体の知れなさから
くる不安に押しつぶされてしまう。
長々と書いてますが、もうこうやって並べればおわかりいただけるように
ファンダム・推し活とは
「宗教」であり 「恋愛」のことです。
ファンダムや推し活を奨励する経済本は研究のためにほとんど全て読みましたが
恐ろしい事に海外も含めると何百冊とあるそれらのテキストには一行たりとも
ファンダムや推し活が宗教そのものであり恋愛そのものであるとは
まるで触れてはいけないという決まりごとがあるかのように
全く書かれることがありません。
もちろん人が宗教を信じることも人が他者に性愛を感じる事も自由です
でもこうしてファンダムや推し活とは宗教であり恋愛のことであると明確にした上で
もう一度彼等の「数字」とりつかれている行動を見るとどうでしょう??
「神を信じることって数字を信じる事なの?」「誰かを愛することって数字に還元できることなの?」
という疑問がわいてこないでしょうか?
ぼくはここがポップコンテンツの恐ろしいところのコアだと思っていますが
もし彼等が宗教行為として「数字」だけに狂っているなら、その行為の正当性に疑問がもたれるでしょう
もし彼等が恋愛行為として相手に与える「数字」だけに狂っているなら、その相手は彼等を遠ざけてしまうでしょう
でもポップはそれを一切否定しないんです・・・・ここが恐ろしいところです。
それは無責任な宗教・無責任な恋愛なのか
それとも究極の宗教・究極の恋愛なのか
トリックスターであるポップコンテンツはここでもその両義性の究極で
「どちらでもある」
としか言わないでしょう。これがポップミュージック・ポップコンテンツの悪魔的に凄いところです。
ではそうした肥溜め系狂信者達であるファンダム・推し活民から、
その美しい花を守るためのすべはないのでしょうか?
さきほど僕は
彼等にも、そして僕にも自らの愛するモノの正体はわからない
と書きました。そう僕にはポップミュージックとは何か?
もっと今回の事件に沿って具体的に書くなら
何故自分がNEWJEANSが好きなのかはわからない。
でも僕は「数字」を信じません。
なぜなら僕はNEWJEANSをどうしてもわかりたいから。
では僕が手にできるそのための武器は?
僕はホップミュージックを愛するモノが手にできる唯一の武器は「数字」ではなく
「コトバ」だと思っています。
最近ではポップコンテンツをわかりたいとするコトバに対する風当たりが強いといわれます。
「映画とか音楽を語ってなんの意味があるのかわからない」
そうした論調にはもちろん裏付けがあって
インターネットが出現するまではポップミュージックを含む
ポップコンテンツそのものであるその「一次的情報」にアクセスする方法は
非常に限られたものしかなく、その限られた情報から
自分が愛するモノの正体を「考える=自分の中にコトバを生み出す」ことしか
受け手はできませんでした。
でも今は自分が愛するモノに関する一次情報はSNSのプラットフォームの数だけあるし
お金=数字さえあれば特典というカタチで愛するモノに触れる事さえできてしまう。
なのになんでコトバなんていうまどろっこしいものが武器なん? という事です。
でも上に延々と書いたように、それは不可知なモノ(神・他者・ポップ)に対する不安を
情報量(数字!!!)で覆い隠しているだけで
その愛するモノの正体はわからないままです。
そして次にコトバという武器に向けられる疑問はこれだと思います。
「コトバで本当に愛するモノをわかることができるんですか?」と。
そしてその答えは決まっています。
「わからない」です。
禅問答やってんじゃねーーーーーー!!!!と怒られそうですが
ここなんですよ!!!!!! ここが「数字」と「コトバ」の決定的違いなんです。
ポップミュージックとは数値化すれば「わかる」「手に入る」ようなヤワな相手じゃないんです。
永遠にわからない。
信じ続けていても、愛し続けていても、どうしてもわからない。
このどうしようもない焦燥感こそが「宗教」に「恋愛」に「ポップミュージック」に共通のコアです。
宗教における神も恋愛における他者もそしてポップミュージックも
それは「不可知というなにか」の別称であり、自分とって謎でありつづけるド厄介なモノ
タイパもコスパも悪すぎる永遠にわからないモノです。
優れたポップミュージックであることはイコール優れた謎である事。
だから1950年代に生まれて以来ポップミュージックはファンダムや推し活といった肥溜めと共に
コトバも生み出し続けてきました。
それは実は今現在も同じで優れたポップコンテンツには「考察」と名前を変えて
無数のコトバが紡がれ続けていると思います。
それはお金がなくなったから「降りる」ことができるような数字の世界とは違います。
コトバを選んでしまった以上僕はその愛するポップミュージックから降りる事は出来ない
それはつまり僕はNEWJEANSから降りる事ができないということです。
僕は心の底から数字だけを信じるファンダムや推し活の方々はポップミュージックから
降りて欲しいと思います。
あなた方がほんとうのホントウのところで求めているのは宗教であり恋愛です。
まずはそっちで修業を積んでからもう一度、今度はポップミュージックに本気で関わってほしいです
———————————————————————————————–
そして本気でタイパもコスパも悪すぎる理不尽な「コトバ」を信じることは「血」を信じることと似ています。
だから僕は同じように「血」を信じて優れたポップミュージックを生み出してきた二人のクリエイターの作品について
多くのコトバを紡いできました
だからこそ僕にはわかります。
パンPDもミンヒジン女史も自らのクリエイティビティに、「血」に、疑問をもってしまっていることが!
今回のNEWJEANS事件とはポップミュージックの「血」を信じられなくなった二人が
その自らの不安をファンダムや推し活と同じ様な「数字」で埋め合わせようとしている事が最大の原因です。
僕はミンヒジン女史の途轍もない反響をよんだ
HYBEをこき下ろしNEWJEANSへの愛を叫んだこの会見
を同時配信で見ながら
エスカレートすればするほど、そのコトバと涙の裏に隠された
「血」への忠誠への覚悟が減ってきている彼女自身のダダ洩れな「焦燥」を見ました。
そして具体的に
「BUBBLEGUM」におけるこれまでとは雲泥の差の安易なシティポップオマージュ
「HOW SWEET」における自らのどんずまりを象徴するイメージの多用
「SUPERNATURAL」に至っては全てが壊滅的にそして悲しいほどチグハグなまま全てが「放り出された」状態です
ポップミュージックという魔のクリエイションが「血」だというのは
制作の過程で本人さえもわからない「宿命」に流されるからですが
端的に言えばミンヒジン女史はNEWJEANSのクリエイションに関して手詰まりになっていました。
そしてひるがえってパンPDの場合はどうでしょうか?
このNEWJEANS事件は彼が作り上げた「血の証」であるBTSが兵役で稼働できない、
そのジレンマの渦中に起きました。
TXTもENHYPENもデビュー当時はBTSではできなかった異なる
「少年性」(ゴシック等)をやろうとしているのが明白で素晴らしかった
でもそうした弟グループは彼の手を離れていきます
じゃあガールズグループは?
この事はこの事件の3年以上前のテキストに書きましたが
「おんなのこによるポップミュージック」というテーマに対してパンPDは途轍もなくナイーブすぎるのです
結果としてパンPDはGFRIENDを解散させてしまい
Fromis-9からは涙の訴えをされ
このテキストにも書きましたがLE SSERAFIMは初動のプロデュースを失敗し
ILLITに関してはミンヒジン女史から「盗作」とディスられる・・・・・
つまりパンPDは「おんなのこコンテンツ」を作るのが苦手なわけです。
よくミンヒジンに嫉妬してーーーみたいな言説も見ますが
自分が「おんなのこコンテンツ」を作れないってわかってるから
ミンヒジン女史を召喚したんですよ
そしてこのNEWJEANS事件で何にブチ切れたかといえば
誰も言わない「パンはおんなのこコンテンツを作れない」
っていう彼のコンプレックスを彼女がついたから(泣)
はっきりいってILLITはNEWJEANSをパクってもいないし
まるでJPOP好きな海外のヲタがKAWAII POPを高性能に具現化したような
ILLITはパンPDが考えるギリギリの幻想のガールズポップだった
それはNEWJEANS的「残酷な少女性」とはかけ離れているわけで
そんな事はミンヒジン女史にもわかっているのに、わかっているのにILLITを攻撃した
これは少年性を追求したパンPDと
少女性を追求したミン女史のまったく異なる、でもその偏愛の血潮で一致していたばずの二人が
お互いのコンプレックスを生々しく指摘され
その恥ずかしさをカバーアップするためにあえて「数字」を持ち出した。
そりゃわかるけどここで「血」ではなく「数字」かよ・・・・・
っていう優れた二人のクリエイターの「スランプ」に関わる
超ーーーーーーーーーーーーーシンプルな話なんですよ
元々「おんなのこポップ」を作れないパンPDがNEWJEANSを継続する事はできないし
はっきり言ってミンヒジン女史のこれまでのクリエイションの軌跡(これは悪い事ではなく
そのクリエイターの方法論ということですが彼女の場合は全てを一回リセットするために全ての人間関係を切るといったような極めてロリータ的残酷な選択をしないかぎり優れた何かを作れないという性格ということです)を見てくれば
これ以上NEWJEANというメディアで優れたポップミュージックを作るのは不可能だと思います。
つまり・・・・・・・
どっちのバカもこれ以上NEWJEANSのNEWJEANSによるNEWJEANSというおんなのこ達のためのポップミュージックを作れねーじゃねーかよ!!!
なのになーーーーーーーーーーーーーーーんで彼女達を盾にして自分のスランプを正当化すんだよ!!!!!
だから僕はこの二つのポストをしました
そしたらしょうがないのはわかっているけどXから強制削除されました
Xのオーナーであるイーロンマスクは「ハリスを殺せ」とポストしているのにです
いーーーーかげん「数字」の世界から僕等は旅立たなくちゃならないはず!!!!
そのことをBTSは「Pied Piper」で皮肉なカタチで指摘し
NEJEANSは「Get Up」で囁きました
それは何度も言うようにKPOPが現時点で
「世界中で最も優れたポップミュージック」
になることができた「ポップミュージックがPOPMUSICであるための生命線」
だったはず。それをKPOPを代表する男女二人のクリエイターが完全に見失っている事
NEWJEANSのこの事件は、あまりにも肥大化した「肥溜め」がポップミュージックのコアを侵食して、
クリエイターが自らの未熟さを「数字」をエクスキューズとして隠すことができるという
最悪の逃げ道を与えてしまった・・・・・
そのJPOPにおいてアイドルポップを殺した最悪のルーティーン
そして僕が「無敵の人3.0」で完全に抹殺した
「地獄」
が今まさにKPOPをも殺そうとしていることの象徴が
HYBEとADOREによるこのNEWJEANSの事件の本質なのです。
—————————————————————————————–
P.S
そして本当ーーーーーーーーーにポップミュージックが恐ろしい「偶然」だけで
成立している世界だなぁと痛感するのは、この!このタイミングで
あるポップアンセムがリリースされた事。
それがnævis 나이비스の 「Done」です
このFKA twigsをリファレンスにした途轍もないPOP ANTHEMの歌詞
(日本語訳もMVには記載してあります)
In my garden there’s a snake crawling
I’m a wolf I’m a wolf
Bite your head before you come here
Swallow your golden gun
Bang bang I should run
Watch me come till I’m numb
Pain pain undone
Liar liar liar liar, no
Pretty witty girl is gonna go
You Liar liar liar liar, no
Pretty witty girl is gonna go
Oh, Higher higher higher higher alone
I’m a phoenix rising from the dust
World is frozen
Feel the change coming
I’m a wolf I’m a wolf
Buckle up, I hear em calling
Swallow the rising sun
Burn burn you should run
Watch out cause you might burn
Pain pain undone
Liar liar liar liar, no
Pretty witty girl is gonna go
Liar liar liar liar, no
Pretty witty girl is gonna go
Oh, Higher higher higher higher alone
I’m a phoenix rising from the dust
You won’t see me on my knees
You won’t hear me begging please
Hurts such a wonderful feeling
I will have you on your knees
And I will have you begging please
Hurts such a wonderful feeling
Done
Enough of this
Enough of that
Done
この歌詞のイメージは完全にあの「家畜人ヤプー」を元ネタにしてますが
このタイミングで
「人間が作る幼稚なポップごっこは終わり
さぁ私の前で跪きなさい」
というAI POP SONGが偶然生まれる事の凄さ・・・・・・・・・
この血だけが生み出す「運命」をパンPDもミンヒジン女史も引き受ける事ができるだろうか?
そしてNEWJEANSには今、この本を読んで欲しいと僕は思う
「鳥は卵からむりに出ようとする。卵は世界だ。
生まれようとする者は、ひとつの世界を破壊せねばならぬ。
鳥は神のもとへ飛んでゆく。その神は、名をアブラクサスという。」
(ヘルマン・ヘッセ「デミアン」)
そして今君たちが本当になすべき事は誰かを求める事ではなく
たとえその誰かがいなくてもキミがキミでいられることを証明する
キミにしか聴こえない一発の銃声を放つことだと僕は思うんだ。
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