乃木坂46 井上和サマの写真集がポップミュージック史的には完全に「性的搾取」な悲劇である理由
日本のアイドル史的にとても面白いです。
前提として僕は井上和ちゃんというおんなのこの演者としての可能性は
「うわーーーーーーーーーこの子によって日本のポップミュージックの"癌"となっている
坂道系という負の歴史が変わるかも?!?!?」
と思っていました。
でも実際には日本のアイドル・ポップミュージックにおける、正に
「失われた30年」
の構造は残念ながら変わることなく、そんな絶望の時にリリースされたのが
彼女のファースト写真集「モノローグ」でした。
アイドル史的に特筆すべきなのは、実は乃木坂46を含め
それはおにゃんこクラブとかAKBとか、そして現在の坂道系まで
秋元康氏が手掛ける「アイドルコンテンツ」では
他の例えばハロプロとかスタダとかKAWAII LABとかをぶっちぎって
「脱がせる」
という意味においてはAV監督の僕でさえも驚くくらい
徹底的に10-20代のアイドルに肌露出を行ってきました。
それはこのアカウントが日本でどこよりも深堀りしてきたように
中居正広氏と渡邊渚女史間の「不同意性交」事案が
フジテレビの解体にまで及んだような
いわゆる1980年代的
「おんなのこ=アイドルの性的搾取」
のオリジンを「ネタ」として作り上げたのが
秋元康氏であり
そうした流れの中であらゆる坂道系グループメンバーは
ギリギリの肌露出での写真集を出してきているわけで
僕はこの「モノローグ」を早速購入しましたが
AV監督の目から見ても
「おーーーーーーーーーーーーエグいなぁ・・・・」
というスチールが満載の傑作写真集だと思います。
が!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ここからです。何故かその事を伝えた記事は現在削除されてしまいましたが
実は矢継ぎ早にこの写真集の公式Xアカウントで解禁される井上和チャンの
エロ画像について
【乃木坂46】人気メンバー “一糸まとわぬ姿” が物議 1st写真集に「裸体は求めてない」「日本のアイドル文化おかしい」の声も
という声があったようです。
ここが物凄くポップミュージック史から秋元康氏を頂点とするゴミみたいな日本の「アイドル」コンテンツ
のポップミュージック史の観点からみる究極の「エラー」の本質がただ漏れていて
そうした観点で誰も、そしてこれからも書かないと思うので究極の深堀りをさせてください
これは秋元康氏という「グルーヴから逃げた男」がつくりあげた、ポップ・アイドルコンテンツの“地獄の果て”である。
井上和。2024年、日本アイドルの象徴のひとつ、乃木坂46の中心メンバーとして走り続ける彼女の一冊の写真集が、まるで何かの呪いのように炎上する。批判のトーンはいつも通り、「性的搾取」「未成年性の演出」「女性の商品化」。しかし我々が見なければならないのは、そうした“社会的モラル”の表層ではない。むしろこの現象は、日本のポップミュージックがダンスミュージックのグルーヴ=セックスのシミュレーションとしての音楽を拒絶してきた歴史の、燃えるような末端神経なのである。
秋元康──1980年代に彗星のごとく登場し、言葉で夢を売ることに全存在を賭けたこの作詞家は、「ポップミュージックとは何か?」という問いに、決してグルーヴで答えようとはしなかった。ダンス? ファンク? セクシャリティー? NO。彼が信じたのは言葉と物語、つまり「演出された純情」だけだった。
K-POPは、違った。
K-POPが21世紀の正統なるポップミュージックとして世界を制覇できたのは、それがセックスを踊りとして翻訳し、音の粒子にして空間に拡散する、まさに「身体の言語」としてのポップを更新し続けたからだ。BPM120超のビートに体を委ね、肉体のほてりをトラックに変換する。これがセクシャリティを楽曲で昇華するという、音楽の根源的な快楽への回帰だった。
だが、日本のアイドルは?
ダンスミュージックを拒否した秋元プロデュースの楽曲群は、リズムを持たず、グルーヴを失い、ただ物語と感情だけで聴き手を引きずる。それはまるで「君の名は希望」と囁きながら、少女たちの身体性を真正面から回避する演劇のようだった。
身体は嘘をつかない。
グルーヴを否定した音楽では、少女たちの内なる性のきらめき、あの燃えるような欲望の粒子を、音で回収できない。だからこそ、それは写真集という「映像と身体の商品」に押し込められ、閉じ込められ、切り売りされていく。井上和が「濡れたような瞳」でカメラを見つめるその一瞬に、日本のアイドル音楽が音で性を語れなかった悲劇が、圧縮されている。
これは搾取ではない。断絶されたセクシャリティの亡霊である。
秋元康の「純情幻想」は、もはや少女の魂を救わない。
グルーヴのないアイドルは、写真の中でだけ“肉体”になることを許された性の残骸でしかない。
K-POPが音で燃え尽きるなら、
J-POPアイドルは、沈黙のなかで、静かに燃やされていく。
──そしてこの火は、いつか誰かの心も焼き尽くすだろう。
「なぜ音で性を昇華できなかったのか?」という問いと共に。
たまたま今週「ポップミュージックとはダンスグループとどれだけ血みどろの戦いをできるのかという覚悟のことである」
という命題を証明するような、アメリカ公共放送(日本の教育テレビ)PBSによる素晴らしすぎる
A History of Funk Music and Black Liberation of the 1970sというドキュメンタリーが公開になりました
もう僕は死ぬほど何回もずーーーーーーーーーーーーーーっといってますが
おんなのこが放つ「性と生と聖」
それを楽曲内でどう表現するのか?
それだけがポップミュージック・アイドルポップに課せられた最大のそして唯一のミッションなんです。
でもほんとーーーーーーーーーーーーーに残念なことに乃木坂46を筆頭に
坂道系アイドルコンテンツはその創始者である秋元康氏のトラウマ
いや!だって秋元氏の年齢を考えれば氏は1970年代後半の「ディスコ」革命のど真ん中の方であるにもかかわらず氏は徹底的に楽曲の中にセクシャリティーを実装することを拒否し続けてました・・・・これはもうトラウマレベルだと思います
の「犠牲」になり、であるがゆえに井上和様はこの写真集「モノローグ」で脱がされまくるっていう
これはフジテレビにおける中居正広氏と渡邊渚女史間の不同意性交案件の
乃木坂46におけるど真ん中の「暗喩」でしょ???
繰り返しますがこの井上和サマの写真集「モノローグ」は
彼女のイマ・ココという「おんなのこの刹那」を活写した作品としては素晴らしいです。
でも、
それを乃木坂46の楽曲でなんでやらねーーーーーーーーーーーーーーーーーの?????
実はこの「構造的」「政治的」「白痴的」「フジテレビ的」、そしてそれらを全部ひっくるめた
「秋元康的」
アイドルコンテンツクリエイションが流石にもうそろそろ勘弁してよーーーーーーーーーーーーー(号泣)
というのがこの写真集の裏メッセージになってしまっていることが
ほんとーーーーーーーーーーに悲しいです
既に再生回数一億回になってるこの動画における
「ダンスミュージックだけがもつ特権性」
に日本のアイドルコンテンツが気づく日が来て欲しいと切に思います
ちなみにこうしたJPOPにおける「おんなのこの悲劇性」と秋元康氏を断罪するXRコンテンツ向け脚本「無敵の人3.0」を2019年に書いていますので是非!!
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