あーー!!この手があったか!!!! ITZY “Motto” Dance Video (Rooftop Ver.)がすすす素晴らしいッッ!!
あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーここここれは素晴らしい!!!!
KPOP大学は彼女達のデビュー時からずーーっとレビューをしてきて
そして上記のテキストでも何度も強調してきましたが
デビュー曲「DALLA DALLA」におけるイエジ様のブリッジにおける
My life
というシャウトパートはKPOP史のみならずポップミュージック史においても比類なき
奇跡のようなパンチラインだったといまだに思っていて
ただ!! これがまるで「緋文字」のようにITZYの道程に刻み込まれ
TWICEはフェミニン爆発路線へ
NMIXXは遂にブレイクを果たし
という中でどんな方向性が彼女達にのこされているのか??
もちろんアジア圏におけるITZYのファンダムは強固で
これまで通りファンダム向けに特化したファンダムを飽きさせないバリエーションを繰り出していけばビジネス的にはOKなんだと思います
でも「DALLA」そして「ICY」という奇跡のようなPOP ANTHEMをくらった身としては
どっかにブレイクスルーの方向があるはず!!!と思っててのコレ!!!
Motto" Dance Video (Rooftop Ver.)"がほんとーーーーーーーーーーにFRESHで素晴らしい
“Motto” Dance Video Rooftop Ver.が教えてくれた、少女性という永遠のエンジン
ITZYが公開した “Motto” Dance Video (Rooftop Ver.) を観て、胸の奥でなにかが一気に晴れた。
そうだ。
ITZYとは、本来こういうグループだったのだ。
学校の屋上。
制服的なシルエット。
抜けるような青空。
風に揺れる髪。
そして、ためらいなく身体を鳴らす彼女たち。
そこにあったのは、単なる「青春コンセプト」ではない。
これは回帰だ。
いや、もっと正確に言えば、ITZYというアーティストの核に眠っていた“少女性”が、いま再び青空の下で発火した瞬間だった。
ITZYは、あまりにも強く始まりすぎた。
“DALLA DALLA”。
そして “ICY”。
あれはK-POP史における、最も鮮烈なティーンエイジ・アンセムだった。
「私は私だ」と叫ぶこと。
誰かの物差しを蹴り飛ばすこと。
世界の視線に負けず、スニーカーのまま走り出すこと。
あの頃のITZYは、文字通りTWICEの“妹グループ”として登場した。
だがその「妹」という言葉は、単なる事務所内のポジションではなかった。
そこには、まだ世界を知らないからこそ世界を変えられるという、無敵の少女性があった。
少女は、完成されていない。
だから強い。
少女は、傷つきやすい。
だから速い。
少女は、まだ未来に裏切られていない。
だから、あんなにも大きな声で「違っていていい」と叫べる。
ITZYの初期衝動とは、まさにその爆発だった。
しかし、時間は進む。
メンバーは成長する。
スタッフも誠実に考える。
いつまでもデビュー時のままでいるわけにはいかない。
より成熟したサウンドへ。
より強いガールクラッシュへ。
より大人びたイメージへ。
より洗練された表現へ。
その試みは、間違いではなかった。
むしろ、誠実だった。
ITZYを消費される少女のまま閉じ込めないために、彼女たちの制作チームは何度も別のドアを開けようとしてきた。
でも、今回の Rooftop Ver. は、残酷なくらいシンプルに教えてくれる。
ITZYの核にあるものは、22歳になっても、25歳になっても、やっぱり“少女性”なのだ。
ここで言う少女性とは、年齢のことではない。
幼さのことでもない。
未熟さのことでもない。
それは、世界に対してまだ諦めていない身体のことだ。
「私なんてこんなもの」と自分を縮める前に、屋上のフェンス越しに空を見上げてしまう心のことだ。
社会のルールに慣れきる前に、音楽が鳴った瞬間、制服のまま踊り出してしまう衝動のことだ。
大人になるとは、青空を疑うことだ。
でもITZYは、その青空をもう一度信じさせてくれる。
そして今回、何よりも素晴らしいのは、画面いっぱいに満ちた青である。
思えば、ITZYのパレットには、これまであまりにも青が足りなかった。
“DALLA DALLA”のガールクラッシュは強烈だった。
ネオン、ブラック、メタリック、ビビッドな色彩。
自己肯定の火花。
他人の視線を燃やし尽くすような強さ。
だがそのぶん、ITZYには長いあいだ、青春へと抜けていく青空の色が少なかった。
今回の Rooftop Ver. にある青は、まさにその失われていた色だ。
冷たい青ではない。
悲しい青でもない。
これは、アオハルの青だ。
屋上の青。
放課後の青。
まだ誰にも見つかっていない夢の青。
恋とも友情とも反抗とも名づけられない、あの胸のざわめきの青。
この青の中で踊るITZYは、驚くほど自然だ。
無理に若作りしているのではない。
逆に、いまの彼女たちだからこそ、この青が深く見える。
デビュー当時のITZYが鳴らしていた少女性は、爆竹のような少女性だった。
「私を見ろ!」
「私は違う!」
「私は私!」
そう叫ぶ、真昼の反抗だった。
でも今のITZYが屋上で鳴らしている少女性は、もっと澄んでいる。
一度、いろんな衣装を着て、いろんな音を試して、いろんな期待に応えようとして、それでも最後に残ったものとしての少女性だ。
つまりこれは、退行ではない。
成熟した少女性である。
ここが大事だ。
K-POPにおいて「少女」は、しばしば卒業される。
ティーンから大人へ。
キュートからセクシーへ。
制服からドレスへ。
教室からクラブへ。
青空から夜景へ。
けれど本当は、少女は卒業するものではない。
少女とは、年齢によって消える属性ではなく、ポップミュージックの中で何度でも再点火される感情の形式なのだ。
だからITZYは、もっと青くていい。
もっと屋上でいい。
もっと放課後でいい。
もっと青春でいい。
いまのITZYに必要なのは、過去に戻ることではない。
初期の焼き直しでもない。
そうではなく、“DALLA DALLA”と“ICY”が持っていたティーンエイジ・アンセムの魂を、今の彼女たちの年齢と身体で鳴らし直すことだ。
強さだけではなく、眩しさを。
クールさだけではなく、青さを。
勝利宣言だけではなく、走り出す前の息切れを。
完成された女王ではなく、まだフェンスを越えようとしている少女たちのポップを。
“Motto” Rooftop Ver. は、その未来の予告編に見える。
だから、次のITZYに必要なのは、夜の強さではなく、昼の無敵感だ。
重たい王冠ではなく、風でふくらむスカートだ。
過剰なコンセプトではなく、屋上で鳴るスピーカーの音だ。
ITZYよ、もっと青くあれ。
もっとアオハルであれ。
もっと少女のまま、未来へ走れ。
少女性は、過去ではない。
少女性は、K-POPが何度でも取り戻すべき革命の初速だ。
そしてITZYは、その革命をもう一度鳴らせるグループなのだと思います
5/31追記!おーーーーMUSICCOREにもこのスタイリングでステージが!!!ねーー!最高でしょ











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