ルカ・グァダニーノとバロウズ! 映画版「QUEER(おかま)」はパパ活民の孤独を救えるのか?
当アカウントは日本でも大ブレイクしたド傑作「CALL ME BY YOUR NAME」をいち早くお伝えして
ルカ・グァダニーノ版「サスペリア」についても最もDEEPな考察をしてきましたが
もうこれは反則でしょ(号泣)なシニードオコーナーによる伝説的
NIRVANA「all apologies」のカバーがFEATUREっていうところで監督のモチベの高さが爆発してるわけですが
ルカ・グァダニーノ監督によるウィリアム・S・バロウズの「おかま」原作とした
新作「QUEER」のTRAILERを見ての誰も言わないであろう雑感を書かせてください!!!
映画史的に俯瞰すると、これはずーーーっとお伝えしてることですが
根本的に「裸のランチ」以降のバロウズ作品は、20世紀的映像作品を志すような人々達は
通過儀礼として必ず読まなければ!なマスト作品という(特に海外では)「踏み絵」的なテキストで。
でも、これまた当ブログでずーーーっとお伝えしてますが
その時期のバロウズ作品は小説技法史の伝説になっている「カットアップ」によって
書かれていて、そのココロは
「物語なんて死ね!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
そんなモチベなんでそりゃ「物語映画」で扱えるはずがない・・・(泣)
だから1960年代から今まで60年以上、
バロウズ的なもの
を映像化する試みは全て!失敗してきました・・・・・・・
そうした映画史を踏まえたうえで、満を持してルカ・グァダニーノが原作として選んだのが「おかま」
1980年代に出版されてからこの作品にはもーーーーーーーー死ぬほど様々な考察・解釈がなされているわけですが
2024年の「今」の視点からこの「QUEER=おかま」の主題とは何か?といえば
これは間違いなく
「パパ活・援助交際的関係性における途轍もない孤独」
でしかないです。
色々といわれてるけどこの「おかま=QUEER」の全編を覆う、途轍もない
「孤独」
っていうか
「ボクはキミと愛し合ってセックスしたい、でもキミはボクと愛のあるセックスをしてくれない」
という出版されてから40年以上だった今、これは何故か"あの"性愛肉食系"&"ドラッグ系"だった
村上龍先生の近年の作品にもダダ洩れってる
果てしのない中年・老年男子の性的孤独
を描いた作品が「QUEER=おかま」であり
作品内におけるそんな性愛的・パパ活的孤独を最も象徴してるのが
このTRAILERのラストカットにも、そしてポスターにも採用されてる
「ベッドで交差した(しなかった)足」
なわけです。(是非原作をお読みください)
昨今でそうした「孤独」は
「自業自得」
として最も冷笑される「みっともなさ」の筆頭としてやり玉に上げられてるわけですが
僕はそーいう人々は「性欲」が持つ悪魔的実存を甘くみすぎていると思うし
そーいう人々は男性が、そして女性が背負い続けてきた
「生と聖と性」
という十字架の存在を知らない浅はかな人達だなぁーと思います
映画史的には、そんな中年・老年期のおける「死に至る性的孤独」を描いたのは
ルキノ・ヴィスコンティがビョルン・アンドレセンへの性欲だけで作り切った
「ベニスに死す」だけですが
ルカ・グァダニーノは「ベニスに死す」公開から50年
変容し、そして今や地獄化した、そんな
圧倒的性的孤独
をどう映画化しているんだろう???
そして本日(11/22)ルカ・グァダニーノディレクションによる本作に出演もしてるOmar Apolloの「Te Maldigo」のMVが解禁!!うわーーエロッッ!!傑作!!!
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