M-1グランプリ2024 競技漫才の誕生とその完成形―令和ロマンの挑戦
今年2024年のM-1グランプリは令和ロマンによる史上初の2年連続優勝で幕を閉じました
漫才といえば、個々の演者の人間性やキャラクターを通して笑いを生み出す芸能の一形式です。しかし、令和時代に入り、漫才という伝統的なエンターテインメントが新たな進化を遂げました。それが「競技漫才」という形態です。
競技漫才とは、演者の個性や感情を極力排除し、技術的な精度と形式美を追求する新しいスタイルです。その本質は、いわばスポーツやエレクトロミュージックのような「純粋な技術表現」としての漫才を志向するものです。この新しいジャンルを最も象徴する存在が、令和ロマンです。
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競技漫才の定義と特徴
競技漫才は、従来の漫才と異なり、以下の特徴を持っています:
#### 1. **個性の排除と普遍性の追求**
従来の漫才は、演者の個性やバックストーリーが重要な役割を果たしていました。一方、競技漫才では、そうした人間的要素を排し、「笑いそのものの構造美」を追求します。ここでは、演者は感情的な訴求よりも「計算されたパフォーマンス」を重視します。
#### 2. **技術と形式の精密化**
競技漫才では、言葉のテンポ、間(ま)、ツッコミのタイミングといった要素が緻密に計算されます。たとえば、ボケが繰り出す言葉のリズムや、ツッコミの音声の強弱が、全て予めプログラムされたように正確です。
#### 3. **反復と変化**
テクノミュージックのように、同じリズムや構造を繰り返しながら、その中で微妙な変化を生み出して笑いを作るスタイルです。この手法によって観客の期待を裏切り、笑いを誘発します。
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テクノミュージックとの共通点
競技漫才の本質は、テクノミュージックの特性と驚くほど似ています。
#### 1. **人間性を超えた構造**
テクノミュージックが感情や物語を排し、リズムや構造そのものを重視するのと同様に、競技漫才は人間性を排除して「純粋な笑いの形式」を目指します。
#### 2. **機械的な精密さ**
テクノミュージックがシンセサイザーやシーケンサーを用いて精密に音楽を構築するように、競技漫才では、漫才の展開が精密なスクリプトと計算によって進行します。
#### 3. **観客との新しい関係性**
DJが観客の反応を見ながら音楽を調整するように、競技漫才でも観客の笑いの傾向を分析し、最適なタイミングで笑いを引き出します。この点で、競技漫才は新しい双方向性を持った芸術形式とも言えるでしょう。
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令和ロマンの功績
令和ロマンは、この競技漫才を完成形へと導いた象徴的な存在です。彼らの漫才は、以下のような特徴を持っています。
#### 1. **精密な構成**
令和ロマンのネタは、一切の無駄がありません。一言一句、全てが計算され尽くしており、まるでシナリオを読むような正確さで展開します。
#### 2. **タイミングの極致**
特に注目されるのは、ツッコミのタイミングです。彼らは、観客が笑いを期待する瞬間を見極め、寸分の狂いもなくツッコミを入れる技術を持っています。これにより、観客は「狙われた笑い」を感じつつも自然に笑いを引き起こされます。
#### 3. **新しい笑いの創出**
彼らは、笑いの伝統的な形を保ちながらも、競技的なスタイルを取り入れることで、既存の漫才ファンと新しい世代の両方を魅了することに成功しました。
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課題と未来
競技漫才には、「人間的な要素が欠けている」と感じる批判も存在します。従来の漫才が持つ共感性や個性の面白さが薄れるリスクがあるからです。しかし、令和ロマンの活動を見る限り、このスタイルは単なる挑戦に留まらず、新たな漫才の未来を切り開く可能性を秘めています。
さらに、AIやロボットが漫才の一部を担うようになる未来が訪れるならば、この競技漫才のスタイルは、その基盤となる可能性もあります。令和ロマンが示した道筋は、笑いという人間的な行為がどこまで技術や構造に依存し得るのかを問い直すものです。
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結論
競技漫才は、令和という時代が求めた新しいエンターテインメントの形であり、令和ロマンはその先駆者です。彼らが示した精密さと構造美は、漫才の新たな可能性を切り開き、多くのフォロワーを生み出すでしょう。これからの漫才は、感情と技術、個性と構造の間で揺れ動きながら、さらなる進化を遂げていくに違いありません。
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