アルバム「Malcolm Todd」を最速&完全レビュー!! ポップミュージック史を塗り替える奇跡の傑作は何故生まれたのか?

最新洋楽新譜情報malcolm todd

遂に!!遂に!!遂に・・・(号泣)

そしてこんな作品を彼が生み出すこと、それが僕にはわかっていた!!!

だって誰も、本当に誰も

僕以外に日本語でMalcolm Toddの2024年にDROPされた奇跡の傑作
「SweetBoy」について語っていない、そのポップミュージック史における衝撃を誰も感じていない!!!

はっきりいってこのX民の方々のポップミュージックに対する感度の地獄さが僕がX(ツイッター)をやめた一因です

そして遂に遂に遂に遂に!!!! Malcolm Toddという「ポップモンスター」の全貌が
世界へと放たれた途轍もない傑作アルバム「Malcolm Todd」が先ほどリリースされました!!!

このアルバムがポップミュージック史において金字塔となる途轍もない世界観と意味について

多分っていうか、どう考えても日本はもちろんですけど世界中で僕以外にその奇跡について書ける人間はいないと確信しているので
最速・そして完璧なアルバム「Malcolm Todd」のレビューを書かせていただきます

“Who’s the Fool?":Malcolm Toddと、アメリカの地下水脈から生まれた影のソウル

Malcolm Toddの新作は、チャートよりも地下水脈に近い。
それはSpotifyのパーソナライズドなプレイリストの中から、ふと漏れた亡霊のように現れた。

彼の歌詞の1行1行は、アメリカのベッドルームに置き去りにされた十代のモノローグのようであり、
1955年のElvisがミシシッピのステーションワゴンで聴いた黒人霊歌のエコーと、
2008年のLil Wayneが吐き出したピッチ補正された内臓のような愛と同じ回路につながっている。

“Dance monkey, dance, your favorite fool / You’ll never make a profit if you’re just trying to be cool"
「From Harry Styles」

世界が終わるその瞬間、ラジカセの中でまだ鳴っているかもしれないポップミュージック

この『Malcolm Todd』というアルバムのサウンドは、
現代のどこにでも転がっていそうでいて、**「あのときあそこでしか録れなかった音」**のように響く。

美しく、壊れやすく、うっかり誰かに見られると恥ずかしくなるようなメロディたち。
それはまるで、10代の終わりに作ったデモテープを、
大人になってからもう一度聞いてしまったときの心のざわめき。

Ben Wattの**『North Marine Drive』が、冷たい海辺の朝の記憶だとしたら、
Malcolm Toddのサウンドは、それをフライパンの上でゆっくり溶かしたバターのような切なさ**がある。

ギターは囁く。
ベースはあえて「うまくない」音でループする。
そしてボーカルは、何かを語るよりも「何も言えない」ことの方が多いような声で、
ささやかに、でも確実に、あなたの胸の底に触れてくる。

それはElliott Smithが夕方の高校の音楽室でMyspaceアカウントを作っていたら鳴らしていただろう音。
あるいはEMOCOREが傷だらけのインディーフォークとして転生した世界線の、儚い証明だ。

まるで1972年のNick Drakeが、2025年のDiscordサーバーで呟いたメロディ

1970年代、シンガーソングライターたちは皆、ギターと自意識過剰と失恋と、アナログ録音機材を武器に、
自分という小さな宇宙をどうにか音にしようとした。

Malcolm Toddの音には、その時代の精神的残響へと接続してるんです

そこにあるのは、
「歌えなかった言葉の代わりにだけ存在する旋律」。

まるでLemonheadsのEvan Dandoがうつむいてポケットの中のカギをジャラジャラ鳴らしている音みたいな。

1970年代と1990年を貫く「孤独に関して」のメロディーとコトバがここに鳴っているんです

The Echoes That Never Left: Malcolm Todd and the Songs That Refused to Die

Nick Drakeは、1974年に死んでいない。
彼は単に、音楽というものがまだ「語られるべきでない声」を受け止める準備ができていなかった時代に、
ひっそりとその場所から退場しただけだった。

だが、2025年、Malcolm Toddのアルバムの中で、
Nick Drakeの声が再びよみがえる。

けれどそれはコピーでも模倣でもない。
それは、Nickが語れなかった未来の哀しみを、Malcolmがついに歌ってしまったという事実だ。

“You can take it all, you can break me open / I’m your little game…”

このリリックは、1970年代の英国郊外のベッドルームから、2020年代のInstagramストーリーまで続く**「見捨てられた声」の回路に接続されている。
Elliott Smithが『XO』でポップスの亡霊を背負って歌ったように、Malcolm Toddは「もう流行らない感情」そのものを武器に変えていく。**

The Folklore of the Lonely: A Secret History in Sound

1960年代、フォークという形式は、しばしば**「真実の声」を持つ者たちの祈りの形だった。**
その伝統のなかにBob Dylanがいて、Joan Baezがいて、Tim Buckleyがいた。

Malcolm Toddはこの伝統を知っている。
でも彼は、Dylanのように声を張り上げない。
彼はTim Buckleyのようにファルセットで飛ばない。
彼は小さな声のまま、叫ぶのだ。

その声は、1970年代のNick Drakeが『Pink Moon』で鳴らしたコードの奥に潜んでいた、**「世界が気づかなかった声」**そのものだ。

Malcolm Toddの音楽は、**「音が耳に届いたあとに訪れる沈黙」**を作品にしている。

Ruin and Rapture: The Emo Thread

1990年代のEMOCORE、The Get Up Kids、Sunny Day Real Estate、Mineral、あるいは静かな衝動としてのLemonheads。

彼が拾い上げているのは、その裏にある**「傷ついた者たちの予感」**である。

サウンドは、クリーントーンのギター、薄くかかったリバーブ、少しだけタイミングのずれたコーラスワーク。
そのどれもが、「自分は間違っているのかもしれない」と思いながら、それでも続けてしまう愛のかたちを音にしている。

そしてこれはまさに、50年にわたるポップの系譜の中にしか存在しえない美しさなのだ。

The Unclaimed Inheritance

『North Marine Drive』、Ben Watt。
その作品の中にある「雨が降る前の濡れた空気」のような音。
Malcolm Toddのアルバムにも、それと似た湿度がある。

だが、Ben Wattがジャズに傾倒し、Tracey ThornとEverything But The Girlを結ぶ橋になったその先で、
Malcolmは**「うた」という形式を壊さずに、その端に立ち続けている。**

それは選ばれなかった者たちのための歌。

Malcolm Toddは、その相続者(inheritor)であり、記録者(chronicler)であり、失敗者(loser)である。

このMalcolm Toddというアルバムを貫く「CORE」とは

“Sometimes the music isn’t about rising. It’s about not disappearing.”

“Sometimes the music isn’t about rising. It’s about not disappearing.”

つまり

忘れ去られてしまった「何か」だけが正しいポップミュージックを生む

という意志なんです

ブルーアイドソウルとベッドルームポップの奇跡的マリアージュ・・・・・

もしアナタがソウルミュージックも、そしてベッドルームポップもその両方を愛しているなら
僕と同じ様にこのアルバム「Malcolm Todd」のラスト曲 I’ll Come Back For Youを聴いた瞬間に
その

「勇敢さ」と

「愛」と

「恋」と

「ぼく」と

「あなた」が

がこんがらがったポップミュージックそのもののまるで
おもちゃ箱の中で壊れて笑って踊っている
愛情のかけらを集めてつくったピエロの独白集のような想いをカタチにするために必要な装置として
Bill Withers – Lovely Dayと全く同じコード進行を使っている事に気づくはず

つまりこのアルバム「Malcolm Todd」とは1970年代に生まれたBLUE EYED SOULの完全アップデートなんです

Malcolm Toddは「もうひとつのアメリカ」の語り部である

“The mirror’s not the same / I miss what I once saw"

このラインは、まるで**ニール・ヤングがAutoTuneを通して歌った『Old Man』**のようだ。
それは郷愁ではなく、自分自身が誰だったかすら曖昧になる21世紀の個人の話。

このアルバムは、きらびやかなラブソングでもなければ、怒りに満ちたプロテストでもない。
それは、騙された者がなおも踊り続けるための儀式であり、
失われた夢の断片を拾い集めるためのフィールドレコーディングである。

もしWoody Guthrieが2000年代に生まれていたら。
もしPrinceがTikTokのアルゴリズムに屈していたら。
彼らの「なりそこない」として、Malcolm Toddは歌っている。

そしてそれこそが、
いまポップミュージックができる最も誠実な仕事なのだと思います

このアルバムで遂に「ベッドルームポップ」はメインストリームへ

Malcolm Toddは、「メロディにしかできない抵抗」をまだ信じている

このアルバムは、ポップミュージック50年の「感情の系譜」に静かに接続している。
でもそれは、過去のオマージュなんかじゃない。
「音楽が音楽である理由」を再び信じるための、個人的な祈りだ。

メロディは傷つきながらも歩く。
コードは間違っているようで、完璧に心に合っている。
歌詞が語り切れないとき、音だけが真実になる瞬間がある。

Malcolm Toddは、その奇跡を知ってしまったんだと思います

このアルバム「Malcolm Todd」に鳴り響く

1960年代のモータウン・ポールマッカートニー
1970年代のBLUE EYED SOUL
1980年代のBED ROOM POP
1990年代のEMO
2000年代からイマのSNS POP

を接続しようとするヤバすぎな、そして途轍もない「編集力」

去年の「SWEETBOY」で既に発露されていたMalcolm Toddという

僕等の時代、この2025年の「ソウルミュージック」を鳴らすことができる
ポップミュージックの天才によって
今ではどんなおとこのこにもおんなのこにも巣食っている
「ベッドルームポップ」なメンタルが遂に「ソウルミュージック」として高らかに鳴らされる!!

そんな奇跡のアルバム

それがこの「Malcolm Todd」です

もしキミが2025年、たった一枚だけ洋楽アルバムを買うなら、この作品しかないと思います

そしてこのアルバムで明らかになったわけですが今、2025年に洋楽ニキ的なアニアック層を超えて日本でもぶっ刺さるのはMalcolm Toddのこのメロディーとコトバなんだってことに日本の洋楽プロモーターの方々に気づいて欲しいなぁ・・・

malcolm todd

Posted by nolongerhuman