Your body is like a violin in a velvet case 元祖「地下アイドル」マリアンヌ・フェイスフル死去

XR脚本と美少女

もちろんあの「赤い靴」をはじめ

撮影監督として美女・美少女という存在のコアをフィルムへと完全キャプチャーし続けた
ジャック・カーディフ監督の奇跡のようなシネマトグラフィと
マンディアルグの原作ありきなんですが

でも僕がこれまでに何度見たかわからない、そして数々の作品でSAMPLINGしまくった

「完璧なおんなのこ映画」

の一本がマリアンヌ・フェイスフルが主演したThe Girl On A Motorcycleでした。

それはマリアンヌ・フェイスフルという「おんなのこ」が
あまりにも完璧な

「アイドル」

だったからです

これは、死ぬほど何回も言ってますが・・・・・
今のJPOPでは自らが「KAWAII」と宣言すること
ワタシは自らの意志で「アイドル」というコンテンツに殉じます

という「自発性」こそが

「アイドル」という意味である

ってことになっちゃってますが

もーーーーーーーーーーーーーー死ぬほど何回もお伝えしていて
この2019年に書いた「無敵の人3.0」でその無理筋な「アイドル観」がJPOPにおける
アイドルを殺してしまった事の意味について予言していますが

今の「KAWAII」系へと繋がる

「ワタシがワタシはアイドルてあると認識したならそれはアイドルである」

つていう、こうした

「自己啓発系アイドル」

ってうコンテンツは本来のポップミュージック史においては

「アイドル」

じゃないんです・・・・・

究極のポップコンテンツを具象化した「アイドル」という存在は

(このあたり超ーーーーーーーーーーーーーーめんどくさい考察になっててスイマセン・・・)

マルティン・ハイデッガーが「存在と時間」で願ったように

「世界に投げ込まれた存在(Geworfenheit)」としてがんじからめになった「自己」を破壊する

九鬼周造が「偶然性の必然」として予見した

「おんなのこがおんなのこであるための自由」

それを体現するのがアイドルなんですね。

でーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

マリアンヌ・フェイスフルは

その時代と

そのメロディーと

そのコトバに

「否応なし」に「偶然」選ばれてしまった

本来の意味での、元祖「地下アイドル」でした。

そんな彼女の刹那的=運命的=究極的

「おんなのこ性」

を1968年の公開時から60年!!!!!!近く経過しても

映画史における最もすぐれた

「おんなのこ映画」

として2025年でも見れてしまう、それが彼女が主演した「The Girl On A Motorcycle」
「あの胸にもういちど」であり

ここで刻まれた

「おんなのこがおんなのであることは生も聖も性も、そして死でさえも超越してしまう」

という究極のメッセージはマリアンヌ・フェイスフルという

「おんなのこ」

によってしかRECできない奇跡でした。

「The Girl On A Motorcycle」
「あの胸にもういちど」

のエンディングこそが、僕は

おんなのこがおんなのこであること

それはイコール

誰も彼女をコントロールできない

という究極の「アイドル性」を宣言した作品だと今でも確信しています。

Posted by nolongerhuman