おーーーーー!!!これは革命的宣言だ!! Mrs. GREEN APPLEが新曲「Brand New」MVでAI使用!!!!
THE BEATLESの時代から常に時代のわけわからないくらいトップランナーと宿命的になってしまった
バンドとは僕らの時代にとってどんな意味をもつのか??という「評論」が同時代的になされることはなくて
その意味では当アカウントがこれまでにおこなってきたこうしたテキストが
ほぼ唯一のMrs. GREEN APPLE評論なわけですが
やってくれたなぁーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!
まぁSTONESが正面切ってやったというのも大きいわけですが
でもってJUICE-JUICEにおいてはまたAI魔女裁判が起こっている中
新曲「Brand New」において生成AIを用いている事を表明しました
日本でほぼ唯一リアルタイムで「生成AIとポップコンテンツ」について書き続けている僕にとっては
これは革命的だと思いました
目次
- Mrs. GREEN APPLEがついにAIを使った――これは「事件」ではない。ポップスターとして当然の帰結である
- Mrs. GREEN APPLEという存在が、ようやくAIという、自分たちの思想にふさわしい技術と出会った
- ポップとは、技術と人間の最前線で発生する摩擦熱なのだ。
- Mrs. GREEN APPLEはすでに、AIを使用する以前から「純粋な音楽」という考え方を否定していたのだ。
- オリジナリティとは、世界中に存在する膨大な記号、音楽、映像、歴史、技術を、自分という身体を通して再編成することだ。
- AIか、人間か――その二択こそが最も古い
- そしてこれは、Mrs. GREEN APPLEのファンダムに突きつけられた問いでもある
- 「Brand New」というタイトルは、AI時代の宣言になった
Mrs. GREEN APPLEがついにAIを使った――これは「事件」ではない。ポップスターとして当然の帰結である
「ミセスがAIを使った」――いや、驚くべきはそこではない
Mrs. GREEN APPLEが新曲「Brand New」のミュージックビデオにおいて、ワイヤーアクションによる実写、CG、そしてAIをハイブリッドして制作したことを明らかにした。
2026年7月31日に公開されたMVは、東京の街を縦横無尽に駆け回るメンバーの実写アクションとCG、AIを高次元で融合させた、「真新しいミセス」を提示する作品として公式に紹介されている。
ついに来た。
ついにMrs. GREEN APPLEが、生成AIをポップミュージックの中心へ堂々と持ち込んだのである。
しかし!!!!
ここで「ミセスまでAIを使い始めたのか!?」と驚いている場合ではない。
むしろ逆だ。
Mrs. GREEN APPLEほどのポップグループが、AIを使わないままでいることのほうが、よほど不自然だったのである
なぜならMrs. GREEN APPLEとは、単に売れているロックバンドではない。
彼らはこれまでも一貫して、バンド、アイドル、テレビ、映画、ミュージカル、ファッション、ダンス、広告、キャラクター、SNS、ファンダムという、20世紀以来バラバラに分断されてきたあらゆるポップカルチャーの領域を、巨大なひとつのエンターテインメントへ再接続してきた存在だからだ。
そして生成AIとは、まさにその「分断」を破壊するために登場した、21世紀最大の統合技術なのである。
これはMrs. GREEN APPLEがAI側へ接近したのではない。
Mrs. GREEN APPLEという存在が、ようやくAIという、自分たちの思想にふさわしい技術と出会った
ポップとは「ジャンル」ではない。時代の最先端と格闘する態度である
私はこれまで何度も書いてきた。
ポップとは、明るい曲調のことではない。
ポップとは、売れている音楽のことでもない。
ポップとは、万人に分かりやすく作ることでもない。
ポップとは、その時代に生まれた最も新しく、最も危険で、最も誤解され、最も制御しきれない技術と、表現者が本気で切磋琢磨することである。
写真が登場したとき、絵画は死ぬと言われた。
映画が登場したとき、演劇は死ぬと言われた。
レコードが登場したとき、生演奏は死ぬと言われた。
シンセサイザーが登場したとき、本物の音楽が死ぬと言われた。
サンプリングが登場したとき、それは盗作であり音楽ではないと言われた。
CGが登場したとき、映画から現実感が失われると言われた。
デジタル編集が登場したとき、映像は誰でも作れる軽薄なものになると言われた。
そしていま生成AIが登場し、まったく同じ言葉が、まったく同じ顔で、まったく同じ恐怖から繰り返されている。
AIを使ったものは偽物だ。
AIには魂がない。
AIは努力していない。
AIはアートではない。
だが歴史を見れば明らかだ。
新しい技術を拒絶した側が「芸術」を守ったことなど、一度もない。
芸術を更新してきたのはいつだって、新しい技術に無邪気に飛びついた人間でも、古い表現を破壊したいだけの人間でもない。
その技術が何を変えてしまうのかを恐れながら、それでも手を伸ばし、自分自身の表現へ変換しようとした者たちである。
ポップとは完成された様式ではない。
ポップとは、技術と人間の最前線で発生する摩擦熱なのだ。
だからポップはいつも少し俗悪で、少し不謹慎で、少し怖く、少し安っぽく見える。
それはまだ社会が、その新しさを理解するための言葉を持っていないからである。
そしてMrs. GREEN APPLEは、まさにそうした「まだ名前のないもの」を、巨大な大衆文化へ翻訳する能力によって、現在のJ-POPの頂点に立った。
『テレビ×ミセス』で起きていたのは、すでにジャンルの破壊だった
以前私は、『テレビ×ミセス』について、これは単なる冠番組ではなく、J-POP史のリセットボタンであると書いた。
日本の音楽界では長いあいだ、ロックバンドとアイドルが奇妙な「住み分け」を続けてきた。
ロックバンドは、自分たちはルックスや演出ではなく音楽性で勝負しているのだという、架空の純粋性へ逃げ込んだ。
一方でアイドルは、歌や作曲や演奏の外側に置かれ、偶像性だけを消費されてきた。
しかしMrs. GREEN APPLEは、その分断そのものを無効化した。
彼らはバンドであり、アイドルであり、俳優であり、ダンサーであり、テレビスターであり、ファッションアイコンであり、キャラクターであり、演出家であり、そして何より「全部まとめてポップである」と宣言した。
『テレビ×ミセス』は、音楽、演技、トーク、衣装、照明、セット、振付、カメラ、編集を総動員し、ロックバンドとアイドルのあいだに築かれてきた壁を破壊する、メディア・クーデターだった。
ここが重要である。
Mrs. GREEN APPLEはすでに、AIを使用する以前から「純粋な音楽」という考え方を否定していたのだ。
音楽だけで勝負する。
生演奏だけが本物である。
本人が自分の肉体だけで表現したものに価値がある。
そんな20世紀的な純粋芸術観を、彼らはとっくに乗り越えていた。
衣装も、メイクも、テレビも、ダンスも、CGも、広告も、タイアップも、キャラクターも、ファンダムも、すべてを作品の一部として引き受ける。
ならば、その延長線上にAIが登場することは、あまりにも自然ではないか。
AIだけを突然「不純なもの」として排除する理由など、どこにもない。
むしろAIを拒絶することのほうが、これまでMrs. GREEN APPLEが行ってきたジャンル横断的な実践と矛盾するのである。
上のリンク記事でも長文で解説したように「breakfast」がBTS「Dynamite」を見つめたとき、彼らは世界標準のポップへ向かっていた
さらに私は「breakfast」について、Mrs. GREEN APPLEがBTS「Dynamite」の達成を参照しながら、日本の音楽を世界標準のポップエンターテインメントへ接続しようとしているのではないかと書いた。
そこで重要だったのは、表面的に似ているかどうかではない。
過去の表現を引用することは、敗北ではない。
引用し、模倣し、分析し、解体し、異なる文化圏へ翻訳し、別の観客へ届け直す。
それこそがポップミュージックの歴史そのものなのである。
「breakfast」に見えたのは、海外の成功例を遠くから眺めて称賛する日本人アーティストの姿ではなかった。
自分たちもまた、BTS、ブルーノ・マーズ、クイーン、ディズニー、ミュージカル、K-POP、ハリウッド映画と同じ巨大なポップ史のリングへ上がるのだという意志だった。
オリジナリティとは、誰からも影響を受けないことではない。
そんなものは存在しない。
オリジナリティとは、世界中に存在する膨大な記号、音楽、映像、歴史、技術を、自分という身体を通して再編成することだ。
そしてAIとは、まさにこの引用、参照、変形、再構成というポップの原理を、極端な速度と物量にまで拡張する装置である。
だからAIはポップの敵なのではない。
AIは、ポップミュージックが最初から内部に持っていた欲望を、あまりにも露骨な形で可視化してしまった存在なのだ。
サンプリングが、音楽は過去の音源を再配置することで新しくなり得ると示したように、生成AIは、映像や身体や空間や時間さえも再配置可能であることを示した。
当然、そこには権利の問題も、労働の問題も、倫理の問題も存在する。
だが問題があるから使ってはいけないというのなら、映画も、テレビも、広告も、音楽産業も、資本主義も、そもそも最初から存在できない。
必要なのは拒絶ではない。
どう使うのかを社会全体で発明することである。
AIか、人間か――その二択こそが最も古い
「Brand New」のMVが重要なのは、AIで映像を作ったと発表したからではない。
むしろ逆である。
この映像は、高難易度のワイヤーアクション、実写撮影、CG、そしてAIをハイブリッドしたものとして紹介されている。
ここには、これからの表現の正解がある。
AIか人間か。
実写か生成か。
本物か偽物か。
この二項対立自体が、もう古いのだ。
映画は演技だけでは成立しない。
俳優、監督、撮影、照明、美術、衣装、メイク、編集、VFX、音響、音楽、配給、宣伝が、異なる技術と能力を持ち寄って成立する。
そこにAIという新しい部署、新しい絵筆、新しいカメラ、新しい合成装置が加わっただけである。
もちろんAIを使えば自動的に新しくなるわけではない。
AIを使っただけの映像など、すでに世界中に無数に存在する。
問題はAIの使用有無ではない。
それをどのような美学のもとで統合し、何を見せ、何を感じさせ、作品全体のなかでどのような必然性を与えるかである。
そしてMrs. GREEN APPLEが今回選択したのは、実写を捨ててAIへ逃げ込むことではない。
自分たちの身体でワイヤーアクションを行い、その身体をCGとAIによって現実の限界から解放することである。
ここにあるのは人間の放棄ではない。
人間の身体を、技術によってさらに遠くへ飛ばそうとする、映画誕生以来の欲望である。
人間が空を飛べないから、ワイヤーを使う。
ワイヤーが見えてしまうから、CGで消す。
撮影できない世界があるから、VFXで構築する。
既存のVFXだけでは届かないイメージがあるから、AIを投入する。
そのすべてが表現だ。
なぜ最後のAIだけを、表現ではないと切り捨てられるのか。
そしてこれは、Mrs. GREEN APPLEのファンダムに突きつけられた問いでもある
今回の発表は、作品の制作技術だけの話では終わらない。
それはMrs. GREEN APPLEのファンコミュニティにも、極めて重要な問いを突きつけている。
これまでAIを使ったファンアートやファンメイド映像に対して、「ミセスはAIを使わない」「ミセスの世界観にAIは合わない」「人の手で作るからこそ価値がある」と批判してきた人々は、今回の公式発表をどう受け止めるのか。
もちろん公式が使えば、ファンも無条件で何をしてもよいという話ではない。
肖像権、著作権、なりすまし、誤情報、商用利用には、それぞれ異なる論点がある。
しかし少なくとも、
「AIを使用した作品は愛がない」
「AIを使うこと自体がアーティストへの侮辱だ」
「本物の表現者はAIなど使わない」
という主張は、完全に成立しなくなった。
なぜなら、その「本物の表現者」であるMrs. GREEN APPLE自身が、AIを自らの最新表現へ組み込んだからである。
ここで公式だけを例外扱いして、「ミセスが使うAIはよいが、一般の人間が使うAIは駄目だ」と言い始めるならば、それは芸術論ではない。
ただの権威主義である。
誰が作ったかによって技術の善悪を決めるのではなく、何を作り、どのように使い、誰の権利を侵害し、誰にどのような影響を与えたのかを、個別に考えなければならない。
それこそが対話であり、コミュニケーションであり、Mrs. GREEN APPLEが作品を通じて何度も歌ってきた、他者と共に生きるための態度ではないのか。
技術を排除し、異なる価値観を持つ人間を追い出し、自分たちだけの「正しさ」を守ることが、果たして彼らの音楽が描いてきた世界なのだろうか。
違う。
Mrs. GREEN APPLEの音楽が繰り返してきたのは、世界には理解できない他者が存在し、それでも言葉を交わし、間違いを認め、矛盾を抱えながら共に生きるしかないというメッセージだったはずだ。
ならばAIをめぐっても必要なのは、排斥ではなく対話である。
「Brand New」というタイトルは、AI時代の宣言になった
そして何より、この曲のタイトルが「Brand New」であることが象徴的すぎる。
新しい技術を使いながら、「昔ながらの人間らしさ」を再現するだけでは意味がない。
過去の映画のように見えるAI。
過去のアニメのように見えるAI。
過去のアイドルのように見えるAI。
それだけではAIは、懐古を高速化する機械にすぎない。
重要なのは、AIを使うことで、これまで存在しなかった感情、身体、風景、編集、スター像を発明できるかどうかだ。
Mrs. GREEN APPLEが「Brand New」で踏み出したのは、その入口である。
彼らはAIによって人間を消そうとしているのではない。
AIを使って、Mrs. GREEN APPLEという人間の存在を、より巨大に、より不可能に、よりポップに拡張しようとしている。
ここで改めて言おう。
ポップとは、人間だけで作ることではない。
ポップとは、古い方法を守ることでもない。
ポップとは、その時代に存在するあらゆる技術、資本、身体、メディア、欲望、矛盾を引き受け、そのすべてを大衆の前で眩しく爆発させることである。
だからこそポップスターは、時代の最先端技術から逃げてはならない。
最先端技術を無批判に礼賛する必要もない。
しかし真正面から触れ、失敗し、批判され、それでも自分たちの表現へ変えていかなければならない。
それがポップスターの仕事だからだ。
Mrs. GREEN APPLEがAIを使ったことは、彼らが人間性を失った証拠ではない。
彼らがいまなお、ポップであり続けようとしている証拠である。
「テレビ×ミセス」で、バンドとアイドルの壁を破壊した。
「breakfast」で、日本と世界のポップの壁を越えようとした。
そして「Brand New」で、人間とAIのあいだに築かれつつある新しい壁へ、ついに身体ごと突っ込んだ。
これこそがMrs. GREEN APPLEだ。
安全な場所から時代を批評するのではない。
矛盾と誤解と批判が渦巻く中心へ飛び込み、その場所で誰よりも巨大な歌を鳴らす。
だから彼らはロックバンドであり、アイドルであり、テレビスターであり、映画スターであり、そしてポップスターなのである。
Mrs. GREEN APPLEがAIを使った。
違う。
ポップミュージックが、ついにAI時代へ本格的に突入したのだ!!!!!!!
そしてこの「Brand New」は、その入口に高々と掲げられた、巨大な緑色の旗なのである。
追記。そしてこの件に関連してバンドのファンダムが予想外のリアクションで当アカウントを攻撃中・・・恐ろしいある実態も発覚・・・・恐ろしい内容なので閲覧注意です・・・・















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