MUSIC AWARDS JAPANはJPOPを殺した戦犯たちへの宣戦布告である
冒頭、まるで「黄泉の国」の翁のような霊性を纏った
YMOの細野晴臣御大が
YMOによって
「こうなるはずだった」
もう一つのJPOPの未来について語りはじめるオープニングから
この革命的なMUSIC AWARDS JAPANが目指すもの、その未来は明確でした。
僕はずーーーーーーーーーーーーーーーーーっとあらゆる媒体で
「POPMUSICであることの強度とは編集力のことである」
と書いてきて、1990年代まではJPOPにも実装されていたそうした編集力=POPNESSが
殺されてしまった・・・・・
その戦犯・犯人に対して誰も、ほんとーーーーーに誰も
「死刑宣告」
をしないので2019年に
「JPOPを殺した戦犯に対するテロリズム」
として「無敵の人3.0」を書き
そうした編集力=POPNESSという「正義」について世界中のどんな音楽よりも忠実にDEEPに交わった
のが2015年以降の「KPOPルネッサンス」によるKPOPのサウンド・メロディー・映像・コトバであるとして
日本で最もDEEEEEEPな考察記事を様々な音楽メディアで書いてきました
そして「AIAV」の立ち上げにおいて今のAI革命とは
正に1980年代初頭のYMOによるポップミュージック革命と完全に同意であると
誰も言わないから宣言しました
先日開催された「MUSIC AWARDS JAPAN」を拝見して
僕ははっきり言って泣きました・・・・・・
おーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー遂に遂に遂に遂に
「無敵の人3.0」で描いたような
これまで書いてきた「KPOPこそがイマココで最も正しいポップミュージックである」というテキストの本質を踏まえた
そして上記リンクに途轍もない文章量で書いたように
「イマ、最も正しくポップミュージック=POPNESSを作るアティチュードは1970-1980年代にYMOが行った奇跡のルネッサンスである」
というボクがずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっとアジテートしてきた
JPOPの未来へと
ようやく、よーーーーーーーーーーーーーやくその一歩を踏み出してくれた(号泣)
本当に日本のポップミュージック史における
「革命」
的な一夜だったと思います。
目次
- 『JPOPは死んだ』——その死体の傍らで、もう一度ポップの神を呼び起こそうとする試みが始まった。
- だが――MUSIC AWARDS JAPAN 2025には、その焦土の上に、もう一度“ポップとは何か”を問うという生々しい意志があった。
- 「黙らされていた声」が、自分の名を叫び返す――それがちゃんみなとAwichのパフォーマンスの本質だ。
- 「秋元康的冷笑文化」とは一過性のプロデュース手法ではなく、戦後日本のメディア環境と国民感情の“ねじれ”を土壌とした構造的現象だった
- MUSIC AWARDS JAPAN最大の疑問。何故Snowv Manは出席・パフォーマンスをしなかったのか(号泣)
- そしてスピーチ問題、コトバとコトバとコトバ
『JPOPは死んだ』——その死体の傍らで、もう一度ポップの神を呼び起こそうとする試みが始まった。
無敵の人3.0で書いたことをもう一度ここで繰り返す。「JPOPを殺したのは誰か?」その答えは明白だ。ポップの魂を軽蔑し、
アイドルという装置に「冷笑の演出」を注入した秋元康的なるものだ。
秋元氏は「ポップミュージックの奇跡」に背を向けることで、JPOPの可能性を潰した。
音楽における“信じる力”を笑い、歌の持つ“救い”を茶化し、
パフォーマンスの持つ“祈り”を、演出の“仕掛け”に変えた。そうしてJPOPは終わった。
だが――MUSIC AWARDS JAPAN 2025には、その焦土の上に、もう一度“ポップとは何か”を問うという生々しい意志があった。
それはもはや音楽ではない。それは時代そのものであり、「自分を映す鏡」としての音楽だった。グラミー賞が目指したのは、音楽という手触りに時代の呼吸を封じ込めること。そしてKPOPはそれをパフォーマンスという儀式に昇華し、“音楽で時代を震わせる”という行為のシミュレーションに成功した最初のポップカルチャーだった。
BLACKPINKは「誰がこの惑星の主語か?」を問うた。BTSは「ぼくたちは本当に存在するのか?」をダンスで語った。
一方、日本の音楽賞ときたらどうだ?カメラワークに魂がない。照明に祈りがない。音響に感情がない。舞台上のアーティストすら、自分たちの“登場”を信じていない。
もちろん今回が初めてのMUSIC AWARDS JAPAN における
POP MUSICをSHOW化する試み
においてはここにも書いたようなKPOPの高みと比較したらほんとーーーにまだ第一歩ですが
でも「ここではない、どこかへ」という意志は感じました
「黙らされていた声」が、自分の名を叫び返す――それがちゃんみなとAwichのパフォーマンスの本質だ。
それをポップミュージックとは何か?ということをわかっていない方々は
「ジェンダーポリティック」(冷笑)
するかもですが、これはずーーーーっと洋楽とKPOPにおける
「音楽の式典とはどうあるべきか?」について
それはイコール、その音とコトバとメロティーに最も近い人々が
どうそのPOPNESSの時代的意味を多くの人々へ発信するか ?という命題において
今回のMUSIC AWARDS JAPAN がどのアーティストの方々より
ちゃんみな、そしてAwitchによるコラボステージに最も時間を割いていたのは本当に素晴らしかったッッッ!!!
MUSIC AWARDS JAPANの舞台で、ちゃんみなやAwichが放ったラップは、言葉ではない。それは怒号であり、泣き声であり、黙殺されてきたすべての少女たちの“魂のリバーブ”だった。
ちゃんみなのステージは、「私の醜さをおまえらは笑ってきた。でも今は私が美しい」と歌う身体の叫びだった。整形、差別、身体、ジェンダー、国籍――そのすべてを踏みつけにされたうえで、「それでも歌ってやる」という復讐のビートが鳴っていた。
Awichのパフォーマンスはもっと剥き出しだ。沖縄という場所性、女という記号、母であること、愛と暴力、その全てを喰らって「私は私だ」とラップする。これはもう音楽ではない。“社会との戦闘”そのものだ。
この二人のステージに共通するのは、「ラップ=証言」であるという感覚だ。
「秋元康的冷笑文化」とは一過性のプロデュース手法ではなく、戦後日本のメディア環境と国民感情の“ねじれ”を土壌とした構造的現象だった
🧱 1. AKB商法の演出論:「感情を競争化する仕掛け」
秋元康の最大の発明は「ポップの民主化」に見せかけた、「感情の選挙化」だった。
CDを買わせる→総選挙に投票させる→応援を数値化する→「推し」を順位で見せる。
これは恋愛の私的感情を、資本で可視化するゲームであり、
そこにあるのは「夢」ではなく、ファン同士の競争と自己責任の構造である。
👉 こうして、“応援”が“投資”になり、愛が価格に置き換わる。
まさに資本主義が感情の奥まで侵食してきた象徴的瞬間。これを「夢」と呼ぶのが秋元的冷笑の真骨頂。
🎥 3. テレビ演出のアイロニカル構造:ステージの裏側を“先に”提示する手法
バラエティ番組での秋元印アイドル登場シーンを思い出してほしい。
パフォーマンスの前に「練習風景」や「涙のドキュメント」を流す
→ 観客はパフォーマンスそのものより**“背景”を知っている**
メンバー同士の不仲や演出ミスすら、“ネタ”として加工
→ 舞台の失敗は「素顔が見える感動」に変換される。
こうして音楽の“本番”は「舞台裏」の添え物となる。
それは**「ステージの神聖さ」を信じていない演出者の姿勢の表れ**でもある。
👉 「本番」よりも「メタ的な解釈」を観客に先取りさせることで、“感動”を逃がす仕組み。
これが、秋元的冷笑文化の演出上の最大の特徴だ。
MUSIC AWARDS JAPAN最大の疑問。何故Snowv Manは出席・パフォーマンスをしなかったのか(号泣)
これはですね・・・・・・
最優秀アイドル賞
というある意味でポップミュージック史における2025年の
JPOPの立ち位置を最も象徴するこの受賞において
絶対にSnow Manは出席・パフォーマンスをするべきだったと思うし
絶対に運営は彼等の賛歌こそがこのMUSIC AWARDS JAPANのキモだったばずだと思います。
このタイミングで、この瞬間に
JPOPにおけるBTSに匹敵するようなボーイズグループは僕等です!!
というメッセージの発信は絶対絶対絶対必要でした
そのポテンシャルをSnow Manは持っていたと思います
これが実現しなったのは途轍もなく残念でした・・・・・・
そしてスピーチ問題、コトバとコトバとコトバ
グラミーを筆頭としてこうしたYearend音楽SHOWにおいて
パフォーマンスと並んで最も重要なのは
受賞者によるスピーチ「コトバ」が放つメッセージです
本家グラミーでは
🕊️ 1998年:ボブ・ディラン「時代は変わる」と静かに宣言
受賞:最優秀アルバム賞『Time Out of Mind』
“My father said it was destiny. I wanted to make music that meant something.”
このスピーチは、「歌詞の文学性」がポップミュージックで評価された瞬間だった。ディランは70年代の反戦運動を象徴した存在だったが、90年代のグラミーで「老い」と「死」をテーマにしたアルバムで受賞したことに、世代を超えた“言葉の力”への信頼が再確認された。
🎤 2009年:リル・ウェイン「これはオレたちのストリートから生まれた勝利だ」
受賞:最優秀ラップ・アルバム賞『Tha Carter III』
“I want to thank New Orleans, where I come from. We ain’t supposed to be here. But we here.”
このスピーチは、ヒップホップが“被差別的地域の声”から“主流の文化的力”へと昇華された瞬間だった。
リル・ウェインはカトリーナ後のニューオーリンズという瓦礫の街から這い上がり、「存在そのものが勝利」だという強度を持ってマイクを握っていた。
🧠 2017年:アデル、ビヨンセに涙ながらにトロフィーを捧げる
受賞:最優秀アルバム賞『25』
“The artist of my life is Beyoncé. The Lemonade album was so monumental.”
ここでアデルは賞を受け取った後に自らその栄誉を“ビヨンセに返上”するという前代未聞の行為に出た。
背景には、アフリカ系女性の芸術が白人のポップスに比して正当に評価されないという構造的問題がある。
このスピーチは、“グラミーの構造的偏向”を内側から突きつけた最初の出来事として今も語り継がれる。
🌈 2019年:ミシェル・オバマが突如登壇し、音楽の力を語る
登壇:オープニング・スピーチでサプライズ登場
“Whether we like country or rap or rock, music helps us share ourselves. It allows us to hear one another.”
政治家ではなく、“文化の語り手”として登場したこの瞬間は、音楽がアイデンティティと共感の媒体であることを再確認させたスピーチだった。
グラミーが「社会を語る場」へと脱皮した象徴として記憶されている。
🩸 2020年:タイラー・ザ・クリエイター、グラミーを批判
受賞:最優秀ラップアルバム賞『IGOR』
“It sucks that whenever we — and I mean guys that look like me — do anything genre-bending, they always put it in a rap or urban category.”
タイラーは受賞後の記者会見で、「ジャンル的実験をすると“黒人だから”ラップに分類される」という構造的偏見を批判。
これはグラミーの分類システムそのものを問い直した声明であり、その後のジャンル再定義にも影響を与えた。
総括:グラミーのスピーチ=「ポップの良心」あるいは「制度への内なる批判」
これらのスピーチは、単なる受賞コメントではなく、
文化的正義(ビヨンセ)
構造的偏見(タイラー)
階級の回復(リル・ウェイン)
言葉の永続性(ディラン)
社会の共鳴装置(ミシェル・オバマ)
といった、「ポップミュージックとは何か?」という問いに対する、それぞれの答えでもあります。
そうした社会的メッセージ性は今回のMUSIC AWARDS JAPANに皆無で
でも!!!これは回を重ねていくたびに成熟していくのでは?!?!?!
ほんとーーにJPOPがよーーーやくよーーーーやく
洋楽やKPOPが鳴らす
「正しいPOPNESS」
を志向していること。その覚醒に最大限の賛辞を贈らせてくださいッッッ
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