NETFLIX「コールドケース: ジョンベネ・ラムジーちゃんを殺したのは誰だ」と”神話のない”アメリカ
今更この事件のドキュって5年ぐらい前までのNETFLIXのドキュメンタリー制作力はどこへいったの?!?!
っていう感じですが「コールドケース: ジョンベネ・ラムジーちゃんを殺したのは誰だ」を見ました。
予想通りのミスリードタイトルに内容はこれまでに何百回とこすられた
「両親を犯人と決めつけたマスコミと地元警察」ネタでこの作品自体にはなんの意味もない
(唯一お父さんがまだ健在だというのがわかったのはホッとしました)んですが
でもこのジョンベネ事件を特別なものにしている本質は何か?っていうのが
これまで制作されたどのドキュでも追いきれてないんで記録として書いておこうと思います。
つまりジョンベネ事件がアメリカ人にとってこれだけ長期にわたって
心理的に「固執」する何かであるっていうのは、完全にアメリカという国家を形成する
「無意識」の部分、それはイコールその国に暮らす人々の深層意識に訴えている「IT」があるってことなんですね。
そんなアメリカという国を評して岸田秀先生は超絶凄テキストである「アメリカを精神分析する」で
アメリカとは強迫神経症の国であり、それはアメリカという国に
「神話」がないからだ
と1977年(!!!!!!)に喝破していたりします。
で!! このアメリカには「神話」がないこと。
その不在を埋めるためにコミックというメディアで量産され
それが映画化されることで、ある種の「擬史」、日本で言うなら「時代劇」的に
量産されているのがアメコミで。
それが多くのアメリカ人を引き付けるのは
そんな神話の不在を埋めてくれる「物語」だからです。
だからそんな神経症的時代劇に日本の方々がアメコミマニア化するっていうのが僕はいまいちわからないんです(泣)
人が生きていくうえで「物語」を必要とするように
(でこれは何度も言及してますが僕は必要がない)
国家という生命体もまた自らのオリジンとしての「物語」=「神話」を必要とするんですが
アメリカにはそれがない・・・・・・・・・・・・・・・・・
神話とはまだ社会的な「正しさ」や「罪」に縛られる前の
性と生と聖
が混然一体・三位一体化した生き様を描いたものであり
日本を含めてあらゆる神話で「少女への性欲」が描かれていて
逆に言うとその「禁断さ」をどのように解釈するのか?というのが
物語構造における神話の意味なのです。
そうした神話を持たないアメリカに「少女への性欲」が
赤裸々に、そしてあからさまに
もちろん歴史的に見ればアメリカはペドフィリア大国であり
でも神話を持たないがゆえにその性・生・聖性が隠蔽されて
隠蔽されるがゆえにアングラ化&過激化したのがアメリカであり、その
「嘘」
がもうもう耐えられない!!!!!
そんな心の叫びが「嘔吐」のように吐き出された。
それがジョンベネ事件をアメリカという国の歴史において
ここまで国民の心に刺さり続けている本当の意味なのです。
そうした「少女への性欲という神話」を持たないアメリカの無意志の構造は
皮肉なことに日本の「HENTAI」系ロリコンテンツによって寛解しつつもあるけど
あのエプスタイン事件における狂ったQアノン的ペドフィリア陰謀論を見てる限りは
このジョンベネ事件が解決されるにはまだ途轍もない時間がかかると思いました。
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