究極の「アイドル論」。NETFLIXのカイリー・ミノーグドキュメンタリー「KYLIE」レビュー!!

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この記事でご紹介した

Netflixのカイリー・ミノーグドキュメンタリー「KYLIE」見ましたー!!!!

上の記事でも書いたようにポップミュージック史的に俯瞰してkylie minogueというアーティストを捉えた時に
「特別」なのは、アイドルとしてデビューした時からの猛烈なまでのバッシング、そしてゲイコミュニティーからの熱狂的な支持
JPOPにおいてだとほとんどこーいう捉え方をしてる人はほかにいないんですが一番近いのは「松浦亜弥」サンな

あっ!ただ製作者側は2001年にデビューした松浦亜弥をかなり初期カイリー様を意識してディレクションしてたと思います

それはこれだけ誰でもアイドルになれる時代に

ほんとうにアイドルとしてサバイブすることの意味

を体現した「ザ・アイドル」がカイリーミノーグという存在なのです!

POPとは、性的であること。おんなのこであること。そして、それを絶対に謝らないこと。

Netflixのカイリー・ミノーグのドキュメンタリー『Kylie』が素晴らしいのは、彼女のキャリアを単なる成功物語として語らないところだ。

これは「世界的ポップスターの栄光と挫折」ではない。
これは「POPであること」をめぐる、ひとりの女性の信仰告白である。

そしてこの作品が突きつけてくる結論は、あまりにもシンプルで、あまりにも強い。

POPとは、性的であること。
POPとは、おんなのこであること。
POPとは、そのふたつを恥じないことである。

カイリー・ミノーグという存在の本質は、歌唱力でも、ダンスでも、キャリアの長さでもない。
もちろんそれらはすべて凄い。けれど、もっと根源的なものがある。

彼女は、自分が「POPである」ということを知っている。

それは軽いということではない。
安いということではない。
若作りということではない。
大衆迎合ということではない。

むしろ逆だ。

POPであるとは、世界の重力に負けないということだ。
年齢、批評、失敗、病、時代遅れという呪い、女はこうあるべきだという説教、成熟とは欲望を手放すことだという退屈な倫理。
そうしたすべての重力に対して、ミラーボールの光で反撃することだ。

カイリーが挫折する時、彼女はいつも「POPであること」から遠ざかっている。

つまり、性的な高揚を手放す時。
おんなのこ的自由を手放す時。
きらめき、誘惑、笑顔、ダンスフロア、甘さ、軽さ、人工的な美しさ、少し過剰な夢。
それらを「もう大人だから」とか「もっと深刻でなければ」とか「もっとアーティストらしくなければ」とかいう、世界のつまらない声に譲り渡してしまう時、彼女は迷子になる。

だが、カイリーは必ず帰ってくる。

どこへ?

POPへ。
ディスコへ。
身体へ。
快楽へ。
ピンク色の光へ。
少女のような微笑みへ。
そして「私はこれでいいのだ」という、最強の自己肯定へ。

彼女は帰還するたびに、まるでこう宣言しているように見える。

POPであることが、私自身なの。

「おんなのこ」とは、永遠の未熟さではない。永遠の解放なのだ。

多くの女性ポップスターは、ある時点で「POPからの卒業」を求められる

アイドルからアーティストへ。
少女から大人の女へ。
可愛いから深刻へ。
踊る身体から語る人格へ。
欲望される存在から、欲望されることを批評する存在へ。

もちろん、それが悪いわけではない。
けれど、その道しか「成熟」と呼ばれないのなら、それはあまりにも貧しい。

カイリーは違う。

彼女は、POPを卒業しない。
おんなのこを卒業しない。
性的であることを卒業しない。
きらめきを卒業しない。

いや、正確にはこうだ。

卒業しないことこそが、彼女の成熟なのだ。

そして言うのだ。

私はここにいる。
私はまだ歌う。
私はまだ踊る。
私はまだ欲望される。
私はまだ欲望する。
私はまだ、おんなのこである。

この「おんなのこ」という言葉を、ただの年齢や未成熟の記号として読んではいけない。

ここでいう「おんなのこ」とは、制度に飼いならされる前の自由のことだ。
恋をしていい自由。
可愛くていい自由。
馬鹿みたいに踊っていい自由。
性的であっていい自由。
痛みを知っても、なお光ることを選んでいい自由。
誰かの妻でも母でもミューズでもなく、ただ自分の身体と声と夢で世界を誘惑していい自由。

つまりカイリーにおける「おんなのこ」とは、永遠の未熟さではない。
永遠の解放なのだ。

そして実は上に書いたことをこのドキュメンタリーで逆説的に、えーーーーーー!?!?って感じで証明しているのが出演しているNick Caveで。これめちゃくちゃ驚いたんですが確かにSAW(ストック・エイトキン・ウォーターマン)体制によるアイドル路線からの脱却を図っていた時にカイリー様は暗黒王子・ゴス帝王のニックケイブとデュエットソングを出すんですが、これは「企画もの」的なリリースかと思いきや、ここがめちゃくちゃ面白い事に発案者のニックケイブの方がカイリーの天真爛漫さ・そのどこまでも直球な「アイドル=おんなのこ性」に完全にくらっていて「おれの音楽に対する考え方まで変えてしまった」って告白して"カイリーヲタ化"してるんですよね。ケイブ先生ってそーいう人だったのか?!恐るべしカイリー様・・・このシーンが一番面白かったかもしれません

Posted by nolongerhuman