フジテレビ10時間超会見の見るべきやり取りを完全ダイジェスト! 「人権意識」と「人権侵害」
昨日(1/27)に中居正広氏と渡邊渚女史間の性加害案件に関するフジテレビの記者会見に関して
これまでの経緯を含めてどこよりも深堀りしたテキストをアップさせていたたきましたが
10時間超にも及ぶ日本のメディア史上最も長尺かつ
「僕たちが生きているセカイ=社会とはどこにあるのか?」
という根源的な疑問について途轍もないサンプルだったのが
このフジテレビ10時間超会見だったわけで
先ほどようやくこの10時間に及ぶ記者会見をすべて拝見&精査し終わりましたので
全会見において見ておくべきやりとりをタイムスタンプしてピックアップさせていただきました
それぞれの動画は見出しタイトルについて語っている部分からスタートするようになっています
目次
この案件は「特殊」な案件だった
なにが「特殊」だったのか? その特殊性とは?についてのやりとりがなされています
その特殊性とは相手がフジテレビに多大な利益をもたらす「中居正広」氏だったという「特殊性」なのでは
中居氏の渡邊渚女史への加害行為が「人権侵害」的なものだという認識であるならそのことへの「怒り」はありますか?
「人権意識」が足りず「人権侵害」にあたるような「認識の違い」がもたらす性行為への対応に問題があったのでは?
ここがこの10時間記者会見のコアです。人権侵害にあたるかもしれない可能性のある「(性的)行為」の根幹には中居正広氏と渡邊渚女史の間における「同意」と「不同意」における認識の違いがあったと遠藤 龍之介氏が「踏み込んで」発言されています(30分後に撤回されますが・・・)
フジテレビ系列の記者による問いかけ
フリー記者による最も激烈な追求場面
今回の会見で最も言及されている部分ですがトホホすぎるので(泣)・・・・・解説します
えーーーーこの部分における「フリージャーナリスト」による「性加害があったのかなかったのか?」の追求が
それは当該女性に対する「二次加害」にあたりますよ!!! という指摘があがり、SNSでも
「フリージャーナリストって??」とか「フジテレビかわいそう」という論調になっている部分なんですが
うわぁ・・・・・これ「ジャーナリズム」には二つの手法があるっていう大前提が共有されていないんですよね(泣)
フリージャーナリスト(SNSメディアも含む)とは読んで字のごとく
「ジャーナリズム」をコンテンツ化している企業以外のジャーナリスト、つまりは「企業」としてではなく「個」として
の情報発信をする人々であり、その人たちのジャーナリズム手法とは
「人=(ヒト)=(個人)」として「企業」に対して関わることで
「企業」と「企業」という「公的」テーブルでは決して語られることない
「ヒト的な情報」を企業から引き出そうとする、
簡単に煎じ詰めすぎかもしれませんが
「企業を営むヒトの中に存在する"情"を引き出す」こと
それがフリージャーナリストという存在の最も重要な役目なんです。
だからこの部分でのやり取りに関して
「なんてキモい・・・・恥ずかしい」とか
「なんで設定されたルールを守らないの??」
という批判が渦巻いてますが、それはこうした場における「フリージャーナリストの役割」を誤解していると思います。
彼らは叫びます。でも、それは「企業」の中で生きる目の前の「ヒト」にたいして「ヒト」として問うているから
でてこいよ。そこにいるんだろででこいよ!!!
という問いかけになります
いやいや・・・それはこの2020年代においていくらなんでも「オールドスクール」すぎるだろ!!!
それじゃフジテレビと古さでは同じじゃん!!っていう批判なんですが
こうした「オールドスクール」に対して最大限のリスペクトを払いながら自らの主張を展開した
石田健氏を除くと、ジャーナリズムには「公」的追求と「人」的追求という二つのメソッドがあるのだ
という歴史感があまりにも共有されなさすぎていて、あまりにも多くの人々が、この二つのメソッドの合わせ技が
様々な「真実」を突き止めてきたという歴史的事実を知らなさすぎるのではと感じています
そしてこの「企業対企業」という枠組みをこの10時間の中で唯一超えて「人」として踏み込んだのが上にあげた遠藤 龍之介氏の発言でした。これは本当に勇気のある「ヒト」としてのコトバだったと思います
フジテレビは本当に中居正広氏に本案件について聞き取りをしたのか
当該女性の心理状況を鑑みてというエクスキューズと中居正広氏番組を放送しつづけた矛盾について
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