吉本お笑い時代の終焉か? 令和ロマン・高比良くるま氏のオンラインカジノ賭博を過剰考察
あーーーー・・・なるほど。
なんで吉本興業様がこの件について既にネット上では「確定」してる
ダイタク兄さんや九番街レトロというコンビ名をなるべく出さないようにしてたのかがこれで納得。
今日(2/14)件のオンラインカジノ賭博に参加していた吉本興業芸人の方々に
令和ロマンの高比良くるま氏
とろサーモンの久保田かずのぶ氏という
M-1戦士(………..)
の方々が含まれていると判明しました
今の「お笑いブーム」
というかこの件は何度も超深堀りした記事を何度も書いていますが
1960年代に小林信彦氏がそのパイオニアとして超絶名著「日本の喜劇人」「世界の喜劇人」で始めた
「お笑い考察」
という「世界観」
それを見事にコンテンツ化したのが吉本興業様の「M-1」であり
自らの著書「漫才過剰考察」
ここでの「お笑い考察」は上にあげた小林信彦氏による60年!!以上まえの考察を超えるものではなかったのが残念ですが・・・
で高比良くるまという芸人の世界線は「M-1」にある。それはつまり
「芸事とは"人(ニン)"によるものではなく"技(ギ)"による競技戦である」
という「競技漫才の勝利」を宣言したのが高比良くるま氏という芸人のコアと"されていた"部分でした。
でも僕はそれって高比良くるま氏の実は「コンプレックス」の逆相だと思っていたんですね。
高比良くるま氏が、氏曰く、自らのクソッタレな家庭環境から「逃避」するために
お笑いに救いを求めていたのは明らかですし
にもかかわらず完全にお笑いという「神=キリスト」に対して自らのコンプレックスを逆相させた
「ユダ」のように
神=キリスト=お笑いを殺さなくては自分というものは存在しない
という自らが信じるものに対する究極の劣等感、それが令和ロマンが優勝後にふたたび「M-1」に出場し
優勝することである意味その自らの神を「殺さなくてはならなかった」根源的理由なわけです。
でもそれははっきりと「原罪」です。
そうお笑いの神は死んではいなかった。
太宰治がそんなユダのエモすぎるコンプレックスを完膚なきまでに暴いた途轍もない傑作
「駈込み訴え」のように
実は、高比良くるま氏は決して「技」によっては殺すことができない
「お笑い」という「魔」に殺されたかったのだと思います。
今の"お笑いファン"の方々にこの意味わかるかなぁ・・・・わかんねーだろうなぁ・・・・・
朝目が覚めたら 死ね
なんとなく生きてたお前 死ね
明日もきっと 死ね
ダラダラ生きるだろ 死ね
あんなに空が綺麗に青く澄んでるというのに
何かが足りないよ 死ね
何かが欲しくて 死ね
走ってみるんだ 死ね
夜明けの街一人
一番星から汚れた空に
輝いているのさ 死ね
豚が西向きゃ~死ね
朝日を追いかけ夕日~死ね
泣きたい涙も何処かに消えた~死ね
天国探して地獄を見つけた
2/15追記。こちらの動画で去年のM-1以前から内偵が入っていたのでは?という最新情報が公開されました。が、先ほど突如削除されてました・・・
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