「失敗」こそが新しい時代の「信用スコア」だ!! RehacQのひろゆきvs片山さつき動画が素晴らしいです
おーーーーーーーーーーーーーー!!この動画は本当に素晴らしく「POP」!!!
何故かいわゆるリベラル系メディアの方々がRehacQを目の敵にしているっていうしょーもない現状について
以前こうしたテキストを書きましたが
そうした「思想性」とは別個に最近のRehacQのコンテンツって
「(まくまでこれは裏設定なんすけど)政治家とかってヤバいくらいバカじゃないっすか(クスクス・・・)」
っていう建付けによってSNS系ゾンビ達の溜飲を下げる、ルサンチマン系な動画が多くて(泣)悲しかったんですが
まぁ・・・サムネの「釣り」はNGだと思いますが
ひろゆきvs片山さつき】石破政権で何が?商品券10万円と参院選…党の内情ぶっちゃけ【ReHacQ西田亮介】
動画はメチャクチャ素晴らしいコンテンツでした。
というのは、もう既に当アカウントはトランプ政権が目指す
「全てをぶっ壊した後の世界」
について日本で最も深堀りした記事を書いてきて
なんで「Q」的な方々はちょっと除くとして(スイマセン・・・)
このトランプ政権の途轍もなさについて正しく語る人々がいないんだろう(泣)と思ってたんですが
このRehacQの動画で
ひろゆき氏も西田亮介氏も、そしてRehacQの裏テーマである
「政治家って・・・・ヤバくないっすか(冷笑)」
というストーリー性に全く嵌らない、いやーーー本当に「クレバー」で「正しい」
片山さつき女史という三者の対談が、最終的に
「トランプがやってることって・・・・実は正しいんじゃないの??」
という当アカウントが提唱してきた結論に最終的に至っていて途轍もなく面白かったです!!!!
でーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!
でもこの近々のRehacQ動画の中では最も優れた対談のもう一つの意味ってわかりますか???
実はこの動画でひろゆき氏も西田亮介氏も片山さつき女史も異口同音に話していらっしゃるのは
「なんで日本ってこんなに失敗を嫌う・恐れるの???」っていうことなんです
それを片山さつき先生は「官僚マインド」と称されてますが
この!!!!!!!ほんとーーーーーに
「失敗」についての価値意識
これこそが実は今最もヤバすぎる「病巣」だと思っているのです
目次
「先進国病としての官僚マインド」とは
、先進国において社会や行政が硬直化し、変化や革新への対応が遅れがちになる現象を、「官僚的な考え方=官僚マインド」にたとえて説明する概念です。わかりやすく言うと:
前例重視:過去にこうだったから今回もこうすべき、という思考。
責任回避:失敗を避けるために決定を遅らせる、あるいは他者に判断を押しつける。
縦割り主義:組織内の部署同士が連携せず、自分の範囲しかやらない。
変化への抵抗:新しいものを導入するより、「今のまま」の方が安全と考える。
🏥 なぜ「病」なの?
先進国になると、社会インフラも制度も整ってくるため「失敗しないこと」が最優先されがちになります。すると:
イノベーションが生まれにくくなる
若者や新興勢力が排除されやすくなる
海外との競争に負けやすくなる
つまり、成功体験にしがみついて動かなくなる状態が「病」とされるんですね。
💡 例えるなら?
ベテランの会社員が「昔はこうだった」と言って新しいツールを拒否するような状態が、国全体で起きているイメージ。
または、スピード感あるスタートアップと、お役所仕事しかできない巨大企業の違いともいえます。
🌍 なんで先進国だけ?
発展途上国はまだ社会インフラが整っておらず、失うものも少ないため、思い切った改革や新しい技術への飛びつきがしやすい。その分、成長力も高い。
対して先進国は安定しているぶん、リスクを避ける構造(官僚マインド)に染まりやすい。
「リスクをとりたくない」「絶対に失敗したくない」なぜそんなに失敗を恐れるようになったの?
「評価社会」の圧力
特にネット以降、失敗が見える化されすぎてる。
炎上
晒し文化
すぐに数値化・ランキング化されるSNSの世界
一度の失敗で「終わった人」扱いされる感覚が蔓延してる。失敗の“やり直し”がしにくい。
これは、挑戦よりも「叩かれない立ち回り」を優先する空気を生む。
③ 「失敗=責任」への過敏な反応
日本でも他の先進国でも、失敗を「誰の責任か?」ってすぐに追及されがち。
だからみんな、「自分が決断したらヤバいかも…」って回避思考に入る。
謝罪会見文化
責任の押し付け合い
「上が決めたので」と言える安心感
こういうのが、個人レベルでも組織レベルでも根深くある。
④ 成熟社会ゆえの“失うもの”の多さ
社会が豊かになると、守るべきものも増える。
制度も財産も人脈もキャリアも、全部失いたくない。
そうなると、「変化」は“リスク”になる。
未知のものに踏み出すより、「今ある秩序を守ること」が合理的に見えてしまう。
⑤ 教育が「失敗耐性」を育ててこなかった
特に日本なんかは、間違わないこと・ミスをしないことを重視する教育が長く続いてきた。
テストで正解することが偉い
人前で失敗すると恥ずかしい
空気を読んで間違えないことが正義
このマインドセットが、大人になってからも抜けない。
つまりまとめると、
「失敗」が“社会的に許されにくい構造”になってるから、みんな失敗を恐れるようになった。
「失敗」こそがイノベーションの源でしょ??
このことは中野剛志先生が『入門シュンペーター 資本主義の未来を予見した天才』で暴露しているように
社会をより良く、新しくアップデートしていくコアは「失敗」なんです
「失敗」こそが新しい時代の「信用スコア」
🔄 1. 「失敗=情報」として扱う
たとえばエンジニアの世界だと、バグやミスって「学びの材料」として扱われる。
失敗は単なるマイナスじゃなくて、「どこが問題だったのか」を知る貴重なデータなんだよね。
☑️ 失敗した→×
✅ 失敗した→だから、ここを次はこうすればいい
この考えを教育やビジネスの現場にも持ち込む。
🎤 2. 失敗談を語れる文化を作る
「成功した人の話」ばっかり聞いてると、失敗=恥ずかしいものになる。
でも、ほんとは逆で、
成功者の9割は失敗しまくってる
って事実がもっと共有されるべき。
🧠 たとえば:
起業家が「10個サービス潰しました」って笑って話す
アーティストが「何百回もボツ食らってきた」って普通に語る
教師や親が、自分の失敗を子どもに話す
そんな空気があれば、「あ、失敗してもいいんだな」ってなる。
🧪 3. 小さな失敗を許す“実験空間”を増やす
いきなり人生かけて失敗するのはキツい。
だから「失敗してもダメージが少ない環境」を意図的につくるのが有効。
例:
プロトタイピング:アイデアを小さく試す
ハッカソンや文化祭:本番じゃないけど挑戦できる場所
シミュレーションゲーム:仮想空間でミスってもOK
この「小さなチャレンジを何度もできる」って環境が、失敗への耐性を育てる。
🎨 4. 美学としての「かっこいい失敗」を認める
たとえば、舞台俳優がセリフを飛ばしてアドリブで切り抜けた話とか、
芸人がすべり倒して爆笑取った話とか、
そういう「転んでもただでは起きない」失敗って、むしろかっこいいよね。
これって、「失敗した→でも魅力に変えた」ってストーリーだから、人を惹きつける。
☠️「失敗した」だけじゃなく、
🌱「その後どう生きたか」にフォーカスすると、失敗の価値が変わる。
🏆 5. 失敗者が再評価される仕組みをつくる
「失敗した人の再チャレンジに投資するVC」
「敗者復活枠があるコンテスト」
「倒産した起業家のセカンドチャンス支援制度」
こういう制度があると、失敗が“終わり”じゃなく“通過点”になる。
失敗こそが資産である社会
📚 失敗=資産って価値観があると…
クリエイターも研究者も経営者も、失敗を“自分のストック”にできる
他人の失敗も、笑って終わらせずに“引き継げる”
社会全体がもっと「動きのある場」になる(停滞しない)
🌱 この価値観、文化や言語の再設計にもつながる
日本語だと「失敗」はどうしても“ネガティブ”に響くけど、たとえば:
失敗 → 「実験」
やらかし → 「経験イベント」
無駄骨 → 「価値のない成功未遂」
みたいに、言い換えを通して、行動の評価軸を変えていくこともできる。
トランプ政権がやろうとしている事は「失敗」かもしれない
でも実はその失敗こそが、今実は最も求められている事なんです
そのくらい今のセカイはヤバい・・・・・・・・・
そのことをメインには語っていないけど結局のところ日本にない「コア」とは
「失敗の何が問題なの???という勇気(政治的ハードランディング)である」
という正しい結論にたどり着いている稀有な動画、是非多くの方々に見ていただきたいと思います
ではお三方も賛同せざるを得ない「勇気ある失敗こそが政治の本懐である」というテーマを突き詰めた映画があるのをご存じですか?
映画『Duck Soup(我輩はカモである)』(1933)を再定義!
✴️「政治的失敗こそが正しい世界」の寓話
🧠 まず、基礎的な文脈
グルーチョ・マルクス演じるフリードニアの大統領ルーフス・T・ファイアフライは、無能で、気まぐれで、政治を完全に茶番にしてる。
彼の言動は支離滅裂、外交は挑発的、国会はコント状態。
そして戦争が起きる。理由?ないようなもん。
でも、これが単なる「風刺コメディ」だと思ったら浅い。
🎯 この映画の“失敗”はなにか?
国家運営の完全な破綻
民主主義っぽく見せかけた“コネと感情”による選出
外交の非論理性と衝動的な戦争勃発
政治的責任の不在
どれも「大失敗」だよね。しかも意図的。
💡 でもなぜ、それが“正しい”のか?
① 国家そのものの“滑稽さ”を暴く手段としての失敗
ファイアフライが大統領になった瞬間から、システムはギャグになる。
でもそれって、「もともと政治が滑稽な構造だったからこそ、ギャグ化が成立する」わけ。
まともにやると隠される“不合理”が、失敗によって全開になる。
→ 成功していたら、この狂気はバレなかった。
② 「機能しない」ことが、真実をあぶり出す
ファイアフライのめちゃくちゃな行動が、外交、戦争、メディアのくだらなさを浮き彫りにする。
本人はバカだけど、そのバカさが構造をあぶり出す“装置”になっている。
→ つまり、**“失敗者が機能することで、本質が露呈する”**という逆転構造。
③ あえて“崩壊させる”ことで、再構築の余白をつくる
『Duck Soup』は戦争映画でありながら、戦後の回復や反省が一切描かれない。
だけどそれこそが、**「そもそもこれ、もう一回考え直さない?」**っていう“余白”として機能してる。
→ 完全な「バッドエンド」ではなく、再構築のための“ゼロ化”エンド。
🌍 現代的なメッセージに変換すると?
無能なリーダーの登場が、逆に社会に本質的な問いを突きつけることがある
政治の失敗は、破壊ではなく“再設計のきっかけ”になりうる
ある失敗は、“見えなかった構造の可視化”としての価値がある
本当は RehacQのお三方にもここまで辿り着いて欲しかったけど
でも繰り返しますがこの動画はそうした予感に満ちた素晴らしいコンテンツで必見ッス!!!!!!
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