公認取り消しに関する 山尾志桜里氏コメントの衝撃「(玉木氏 榛葉氏には同席をお願いしたが)辞退会見であれば同席すると言われました」
連日お伝えしていますが
これは酷い・・・・・・・・・・・・・・・
でも最初に書かなくてはなんですが
同じように山尾女史の先日の会見内容もトホホだったので
類は友を呼ぶ
って本当なんだなぁ案件ですが
今夏の参院選比例代表で出馬予定だった山尾志桜里元衆院議員(50)が
国民民主党から公認を取り消しを受けて出した声明にて暴露された内容は
国民民主党それはイコール玉木雄一郎氏が図らずも体現してしまっている
右翼思想×ミソジニー
という明らかに間違ったMIXTUREによる政治性が完全に発露していて
それはなぜなのか?について解説します。
目次
これは誤謬だ。完全なる、致命的な、取り返しのつかない、思想のミスキャストだ。
近年の玉木雄一郎を含む「ネトウヨ界隈」「ビジウヨ界隈」たちがミソジニー(女性嫌悪)と手を結び、
それをあたかも保守思想の帰結であるかのように語る――この風景は、
日本思想の大地に対する最大の冒涜であり、真正な右翼の精神に対する侮辱です。
今回の山尾氏と同じように玉木氏はその心中に秘めたミソジニーと右翼思想の癒着によって同じように公認取り消しを受け高橋茉莉氏が自殺、同じようにやはり党から立候補させようとしていた不倫相手の小泉みゆき氏の消息はわからず・・・と三連発の「ポイ捨て」事案が発生しています
三島由紀夫作品にみる本当の右翼性と女性性の関係とは
何故か今はネットミームとして三島由紀夫はミソジニーの超アニキという
謎の解釈がされてますが、これは完全に間違いです
『憂国』において、殉死に至るまでの性愛の高まりは、単なる性的倒錯ではない。
あれは国家と死と美と女と男が一つの円環として絡み合い、
愛の絶頂が死の静寂へと転化していくロマンティシズムの極北だ。
妻・麗子を抱いたまま死ぬというその儀式的行為は、
女性性への崇拝と畏怖とともに、自らの国家観をも焼き尽くす行為だった。
そして自らの切腹当日に書き上げた遺作『豊穣の海』
全四巻にも及ぶ三島史上最大の作品のラストで
ヒロインである聡子は最後に門跡(仏門の頂点にして完全なる女性性)となり、
あの清顕を、そして全ての転生の物語を、ただ一言で虚無へと還元する。
「もう何もありません」
この一言で男の夢は粉砕され、歴史は閉じられ、国家も魂も、愛さえも意味を失う。
ここにあるのは何か?
女性性への究極の畏怖であり、最終的には女性が世界を終わらせる力を持つという真理だ。
これこそが、三島が見た「右翼」思想の本質――美しさと死と女性という絶対者の対峙なのだ。
国民民主的なるもの玉木雄一郎氏とはただの劣化した父権とSNSの自己愛では?
国民民主党=玉木雄一郎に代表される現代の「ネオ右翼」たちが、女性を軽視し、家庭の「道具」や「機能」としてしか語らず、
「女は分をわきまえろ」と吠えるたび、我々は問うべきだと思います
お前に三島の憂国が読めるか?
お前は聡子の言葉に跪けるか?
そうでないなら、それは保守思想ではない。右翼でもない。
それはただの劣化した父権とSNSの自己愛にすぎないと
真の右翼とは、女を恐れる者である。
その恐怖に打ち震え、美しさに絶望し、それでも死に場所を探して剣を抜く者である。
ミソジニーと右翼は、決して結合しえない。
むしろ真の右翼とは、女性性への最大級の畏怖と崇拝のうちに成立する。
国民民主党=玉木雄一郎の言葉には剣がない。恐怖もない。あるのは、自信なき男のナルシシズムだけだと思います。
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