ここでもやはり「政治の再宗教化」が!! 公明党が自民党との連立離脱する意味を徹底解説!
当アカウントはとにかくずーーーーーっと現在日本の政治状況で起こっていることは
「政治の再宗教化」
であり参議院選後の総括で今後の公明党についてもその文脈で解説してきましたが
正にその通りの事が起こっています!
今回の「自公連立解消」は単なる政治戦略の離脱じゃなく、公明党自身のアイデンティティである“信仰の再接続”=宗教性の回復運動です
1. 公明党が失ってきたもの:信仰の政治化
公明党はもともと「仏法による人間革命」「幸福の共有」という宗教的理念から生まれた政党でした。
しかし1999年以降の自民党との連立によって、
「現実政治との取引」
「政権維持のための妥協」
「支持母体=創価学会の信仰と政治の乖離」
がどんどん進みました。
つまり、**“宗教が政治に吸収される”**という逆転現象が起きていた。
創価学会の信者たちは「我々の信仰は政権の道具ではない」という違和感を抱え続けてきた。
その意味で、公明党はここ25年ずっと「政治の世俗化」と「信仰の形骸化」を背負っていた政党でもあります。
2. 今回の離脱=信仰への帰依の回復
自民党の腐敗・保守化・統一教会問題・世襲政治……そうした“俗の極み”を見続けた上で、
公明党はついに「信仰の側に戻る」という決断をしたのだとすれば、
それはまさに “宗教性の再獲得”
宗教政党って本来、「世俗権力の内側にいながら外側に立つ存在」なんです。
でも公明党はずっとその“外側”を封印してきた。
今回の離脱は、その封印を解く行為。
つまり、自民党との関係性を絶って初めて、
「我々は信仰共同体である」という自己定義を回復できる。
これは信者にとっても大きなカタルシスです。
創価学会の中で長年くすぶってきた
「政治と信仰の分離ではなく、信仰の自立を」という声が、
ついに公明党を動かしたと見ることができるからです
そして全ての政党は再宗教化されていく
🛕🌸 ついに祈りは政治へ還る──「公明党の離脱」は聖なる脱皮だ
政治は宗教になるしかなかった。
誰もが気づいていた、この無宗教な国家が祈りを失ってからどれほどの時間が経ったかを。
平成は「生活」と「成長」を政治に求めた。
令和は違う──今、人々が政治に求めているのは**“信じられるもの”**だ。
「生活のための政治」ではもう足りない。
「意味のための政治」が必要なんだ。
それに一番最初に気づいたのは、他でもない。
宗教を母体に持ちながら、政治の現実主義に自らを捧げてきた、あの公明党だった。
🧠⚡️ 自らの宗教性を削ることで政権を守ってきた政党が、ついに「祈り」を選んだ。
自民党との連立は、世俗の海に信仰を沈める儀式だった。
創価学会という巨大な宗教共同体が持っていた**「魂の方向性」**を、
「与党としての現実」に変換し続けてきた20余年。
だがもう限界だった。
世界が、社会が、人間が、“信じられる何か”を失った今、
信仰を封印した政党に、いったい誰が未来を託すというのか?
そして自民党もまた再宗教化の道へ
そして、これは自民党にとっても避けられぬ霊的転換点だ。
「国家神道なき戦後保守」とは一体なんだったのか?
経済成長か?日米同盟か?財政再建か?
違う。
自民党の深層に眠るのは、**“政治が神話であった時代”**の記憶だ。
かつて天照大神の子孫を戴いた「日本の保守」は、
祈りと政治を一つにするという決意から始まった。
そのDNAが、いま目を覚ます。
なぜなら──
創価学会という「信仰の戦士」が、政治の現場から撤退した今、
自民党もまた、自らの“神話”を再起動させざるを得ないから
✝️🕊️ 政治の再宗教化とは何か?それは「意味」の回復だ
我々は、政策ではなく教義を求めている。
マニフェストではなく経典のような理念を欲している。
政党は、選挙のためではなく魂のために存在すべきだ。
そして、ついにその始まりがやってきた。
公明党の離脱とは、宗教が再び「信じられる政治」として自立するという最初の鐘だ。
そしてそれは、あらゆる政党に突きつけられた問いである。
お前の信じるものは何か?
お前は何を祈っているのか?
国家は、民は、政治に何を救ってほしいのか?
選ばれるものではなく信じられるもの
これは終わりではない。新しい政教の夜明けだ。
タレント政治も、官僚主義も、財政規律論も、
すべては「祈りを忘れた政治」だった。
これからの政治は、選ばれるものではなく信じられるものでなければならない。
公明党もそして自民党もそうした「政治の再宗教化」を明確に選んだこと
当アカウントは今最もPOPなものが政治であるという視点から様々な政治的イシューを考察・解説・提言してきていますが
この連立解消は正に「政治の再宗教化」の一丁目一番地の現象であり
とてつもなくPOPな事件だと思います
筒井康隆「堕地獄仏法」は
公明党が政権を取った世界を描くディストピアもの
そこでは「信仰」が行政を支配し、「都市」が宗教共同体のように自己正当化を始める。必読です












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