維新版〈道州制〉と「帝都物語」??!! 副首都構想を超わかりやすくパーフェクト解説
一応オフィシャルには「副首都構想」は将来の災害発生に備えて、東京以外にも「首都」機能をもつ都市を設立していく
というまっとうな内容なんですが、ほんとーーーーに不思議なことに何故か維新の会から提言される政策って
金やーーーーー!!!!!
という「ナニワ金融道」感というか・・・・(ほんとーーーーにスイマセン)
でもまぁこれこそが「中道保守」の極みだとも思うんでアリなんですが
この「副首都」から「道州制」という政策的にエクストリームに運営すればメチャクチャ面白い構想の「本質」が伝わりにくいと思うんで
思いっきりポップカルチャーの視点から深堀りしています
テーマは《帝都物語》における荒俣的呪都=東京が、維新×自民連立によって再び開眼する「ディストピアの封印解除」
目次
〈副都心〉という呪符
大阪副都心構想――それは都市計画の名を借りた地霊召喚の儀式だ。
荒俣宏が描いた帝都の亡霊は、瓦礫の下で今も呻いている。
東京の帝都魔界を封じ込めた「国家」という呪具が、いま大阪に移植されようとしている。
橋下が撒いた理性の種、高市が磨いた欲望の刃、そして吉村が握るのは近代合理の仮面をかぶったカバラの鍵だ。
副都心――その語の中に潜むのは「帝都に次ぐ都」。つまり、
魔都に次ぐ魔都。
そこにこそ、「終わりの始まり」の鐘が鳴る。
維新=カオスの巫、自由民主=秩序の亡霊
帝都物語における加藤保憲は、「科学」と「呪術」を融合させた存在だった。
現代におけるその合体こそが「維新と自民の連立」である。
維新はテクノロジーの亡霊、シリコン製の呪符を掲げるカオスの巫。
自民は明治以来の官僚的霊脈、封建と資本のハイブリッド。
その二つが接続されるとき――生まれるのは「国家AI」ではない。
それは、合理化を装った呪的支配のリブート。
「改革」という名のコードに書き換えられた、帝都システムの再起動だ。
反革命としての〈現実化〉
荒俣の物語世界では、魔都の成立はいつも「進歩」の形をして現れる。
地下鉄の開通、超高層ビルの建設、万博、データセンター。
だがそれらはいつも、地中に眠る怨霊の「呼吸口」であった。
副都心構想の本質も同じだ。
大阪を東京化することではなく、東京の怨念を大阪に転写すること。
つまり、これは都市間競争ではない。
怨霊のリレーなのだ。
「経済特区」「万博」「スマートシティ」――その語のすべては、
近代が近代を自己崩壊させるためのプログラムコード。
そしてそのコードを実行する政治が、
まさにこの「反革命連立政権」である。
維新版〈道州制〉=“隣の芝生フェデラリズム”の罠
彼らは言う。「大阪副都心」を突破口に道州制へ――。
だが、その地図は《自由な無数の王国》が自律連鎖する“開かれた多中心世界”ではない。
トランプ的世界観が指し示すのは、信用通貨を脱ぎ捨てビットコイン本位の“アブソリュート・フリー”の上で、
小さな王国どうしが水平接続するネットワーク宇宙だ(同構想の解説で「無数の『王国』」を掲げる旨が明示されている)
“王国”ではなく“自治区”――権限は増すが自由は増えない
“王国”は価値源泉の自前化を意味する。通貨・資本配分・規制の哲学を根っこから差し替えるラディカルさが前提だ
対して、維新の道州制は徴税・規制の小割り直しに留まり、価値源泉は依然として中央と株主市場に繋留されたまま。
結果生まれるのは“王国”ではなく準委任自治区――財政は薄く、KPIは厚く、意思決定の速度は上がるが自由の位相は上がらない。
ここでいう自由とは「好きな条例が作れる」ではない。価値設計の根を掴めるかだ。
“隣の芝生”アルゴリズム:分断を量産するKPI呪術
副都心KPIはこう囁く――地価↑、観光者数↑、流入人口↑、納税額↑。
このメーター列は都市間のゼロサム感情を煽り、「うちの芝生はとなりより青いか?」へと住民を駆り立てる。
こうして生まれるのはNIMBY 2.0(Not In My Back Yard)がRegion vs. RegionにスケールしたRIMBY(Region Is More Beautiful than Yours)。
税制の小競り合い→福祉の薄型化→文化支出の名誉欲化→よそ見の加速。
気づけば、「開かれた多王国連邦」どころか、互いの芝生の色しか見ない分断サーキットが出来上がる。
荒俣的に言えば、これは合理を装う呪術だ。
行政DX、特区、メトロポリス──語彙は未来だが、作動原理は怨念の転写。
中央の負荷を周辺へスピルし、周辺は隣へスピルし、最後は個人へ沈殿する。
《無数の王国》が重力を分散するのに対し、維新式は重力を移譲するだけ。
分散は自由を増やすが、移譲は責任だけを増やす。
ここに、反革命の核心がある。
この国を呪うのは誰か??
「帝都物語」の終盤で、陰陽師・安倍晴明の血が再び呼び覚まされる。
いま必要なのはまさにその再臨だ。
この国を呪っているのは亡霊ではない。
合理主義のふりをした亡国の政治そのものである。
維新と自民の連立、それは「国家再生」ではない。
それは、
日本という実験国家が、ついに呪術資本主義の最終段階に突入したという合図。
副都心構想は「未来都市」ではない。
芝生は張り替えられるが、土壌は耕すしかない。
“王国”が欲しいのなら、必要なのは副都心の看板でも道州制のフレームでもない。
価値を耕す土壌――通貨観・労働観・文化投資の根っこを差し替えること。
そこに《アブソリュート・フリー/無数の王国》の入口が口を開ける
維新が掲げるのは青い芝生の見取り図であって、新しい土壌の地質図ではない。
ゆえに、これは“改革”ではなく分断の微分である。
――さあ、芝生から降りよう。土壌へ。
夢を食う都市は、ついに夢そのものを失うのである
と書いてくると副都心構想自体にネガティブな事を言ってるようですが
そうではなくて、どんどんやるべきなんですよ!!!
これまでにもこの記事等で書いてますが
どんどん失敗しても失敗こそを信用スコアにすればいいんです
Pass on what you have learned. Strength. Mastery.
But weakness, folly, failure also. Yes, failure most of all.
The greatest teacher, failure is.
Luke, we are what they grow beyond. That is the true burden of all masters.












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