「酒のツマミになる話」打ち切りに関する言説は何故全てが恐ろしく間違っているのか?

その他

ダウンタウンプラスがローンチして松本人志氏が活動再開のタイミングも相まって
ほんとーーーに吉本興業のバラエティコンテンツにおける「覇権」ぷりに
改めて驚嘆していますが、

不思議なことにこの千鳥のお二人の降板に関する
あらゆる言説を見て

決定的に欠けているもの

があるのにーーー!!と思いポップカルチャーの視点から
このテキストを書いています。

2011年にTVは「テーマ別チャンネル化」すべきだった

東日本大震災の瓦礫の中で、テレビ局は「万能の器」であろうとした。
悲惨と娯楽、涙と笑い、国家的喪失と広告収入を、一枚の皿の上に盛りつけた
――まるで幕の内弁当のように。
だがあの瞬間、あの「弁当形式」がテレビの生命線を断ったのだ。

本来、あのとき日本のテレビは変わるべきだった。
「一局一テーマ」――それがメディアの再生であり、芸人の救済でもあった。

ニュース局は「真実」のみに徹し、バラエティ局は「笑い」のみに徹し、アニメ局は「夢」のみに徹すべきだった。
それが“分業”ではなく、“魂の選択”だった。だが現実は逆だった。

ニュースの数分後にお笑い番組。死者数のテロップの数分後にスポーツの歓声。
すべてを均質に、コンプラの名のもとに「問題がない状態」に調律しようとした。
その結果、テレビは何も語れなくなり、芸人は何も叫べなくなった。

地上波を「特化型」にできない、制度・経済・文化の三重ロック

🔒1. 制度のロック(法律と免許の壁)

放送法が「地元のための“なんでも屋”でいなさい」と決めている。
ニュースも天気も災害もバラエティもぜんぶ届けることが“免許の条件”。
だから「うちはお笑い専門局です!」とは名乗れない。
=法律上、“特化”は禁止されてるようなもの。

💰2. 経済のロック(広告の仕組み)

テレビの収入はほぼ広告。
スポンサーは「老若男女ぜんぶに届く番組」にお金を出す。
つまり“総合編成”で広く視聴率を取らないと儲からない。
→「アニメだけ」や「ニュースだけ」にするとスポンサーが減る。
=ビジネスモデルが“特化”を拒む。

🧠3. 文化のロック(業界の空気)

テレビ業界には「公共性」「中立」「炎上回避」が最優先という文化がある。
だから尖った内容はすぐ“コンプラNG”。
結果、どの番組も似たトーンになり、特化を恐れる体質に。
=“文化的自己検閲”が最後のロック。

でもこの3つを見て誰もが思いますよね

それ一体全体いつの時代の話??と

“総合編成”という病理

なぜ地上波は、まだ“全部入り弁当”のふりをしているのか。
それは、怖いからだ。ニュースをニュースとして、笑いを笑いとして、夢を夢として突き詰めることが。
東日本大震災の瓦礫の中で、本当はすべてが見えていた。あの瞬間に“幕の内テレビ”は死んだ。だが、誰もその遺体を埋葬できなかった。
テレビは死体を抱えたまま、いまだ歩いている。

ニュースの後に笑い、笑いの後に涙、涙の後にグルメ。
この滑稽な多重人格の舞台こそが“総合編成”という病理だ。
視聴者はもうその分裂を受け入れられない。スマホの中で、彼らは既に“単一神”を worship している。アニメならアニメだけ、笑いなら笑いだけ、ニュースなら怒りだけ。
幕の内では魂は満たされない。必要なのは“特化”という名の宗教改革である。

第一の理由――文脈の純度。
広告主はもはや「リーチ数」ではなく「信頼できる文脈」に金を出す。
ニュースとバラエティを同居させた瞬間、信頼は薄まり、炎上の雷が落ちる。
ならばチャンネルごとに宗派を分けろ。笑いの国、真実の国、夢の国。
コンプラはルールではない、信仰の境界線なのだ。

第二の理由――芸人の解放。
彼らは矛盾の王。だが、総合テレビの檻の中では矛盾すら許されない。
炎上を恐れて言葉を削り、笑いを毒抜きし、無味の安全地帯で窒息している。
ならば言葉の刃を取り戻せ。笑い専門チャンネルこそ、芸人の呼吸器だ。
ニュースと笑いを隔てることは、芸人を守る唯一の防壁なのだ。

第三の理由――災害の現実。
一局総合の万能幻想は、非常時には鈍い。
速報を差し込むたびに割り込み、判断が遅れる。
だがニュース専用局があれば、指揮系統は一本で済む。
特化とは効率であり、即応性であり、生命線である。

第四の理由――地方の復権。
地方局こそ、特化の王国になれ。
地域ニュースだけでいい。地域笑いだけでいい。
「地元のNetflix」こそ、これからの県域放送の道だ。
魂を広げるより、掘れ。深く、狭く、狂おしく。

――そして第五の理由、それは“魂の記号化”である。
テーマ別チャンネル化とは、テレビを再び象徴に戻すことだ。
ニュースは検証の神殿に、笑いは破戒の祭壇に、アニメは夢の造船所に。
そこでは、番組は教典となり、MCは司祭となり、スポンサーは巡礼者となる。
総合はもう宗教ではない。惰性で焚かれる線香の煙だ。

だからいま、テレビは再び“信仰”を選び直すべきだ。
「全部できる」は才能ではない。妥協だ。
「ひとつしかできない」は敗北ではない。革命だ。

――笑いの王国を立てろ。
――ニュースの共和国を築け。
――夢の帝国を航海させろ。

当アカウントは10年前に「KPOPに拮抗できる本当のJコンテンツはお笑いだ!!」
と考察し、この2-3年AIの発達とともに「日本のお笑いの国際化」に
なんとなーーーく吉本興業様も一歩踏み出してる感はありますが
そこに一貫したストラテジーは見受けられません。

だから千鳥降板、ダウンタウンプラスローンチも
地上波の特化局化へと繋がるムーブではないですし
すでにBSやCSは一局ワンテーマの特化型じゃん
吉本もお笑いチャンネルもってるじゃんと思われるかもですが

地上波が変わらないと社会は変わらないです

そして何度も言及してるようにポップであるとは95%偶然性の産物です。

そうなる「運命」こそがPOPなんです。

Posted by nolongerhuman