リベラルはなぜ負け続けるのか?それは「矛盾」を引き受けないからである

その他

今年になって政治的なイシューがカルチャーコンテンツと同じくらい「POP」であるという視点から
右派・左派問わずあらゆる政治的な言説にポップカルチャー考察のやり方で接してきたときに
物凄く不思議なのは、そこに「編集的視線」「俯瞰した視点」というものがほとんど存在していない事でした。

それが「思想」っていうものでしょ??と思われるかもしれませんが
特に驚いたのはやっぱり左派・リベラル側にそうした視点が欠如していることに心底驚いたんですね

それが顕著なのが以前にもこのテキストでご紹介したUSのリベラル系ポッドキャスターである
Ezra Klein氏

USではリベラル系論客として最もポピュラーな一人ですが
日本でこの人に言及しているリベラル系の方々が全くいない・・・・・・

このEzra Kleinが凄いのはその「編集的視線」「俯瞰した視点」で
どうしたらリベラルをアップデートできるのか?について真摯に分析・考察しているところなんですが
今日本のリベラル側にも最も必要だと思われるコンテンツについて
だーーーーれもリファレンスしていない。。。。

リベラルが負け続ける本質がここにあると思っています

そして今回のEzra Kleinの緊急メッセージ的動画もほんとーーーーに凄い!!!

この動画で彼がテーマとしているのは「矛盾」についてです

リベラルは長いあいだ「正しさ」を信仰しすぎた

Ezra Kleinが指摘する「矛盾を引き受ける」という行為こそ、政治の魂そのものだ

リベラルは長いあいだ「正しさ」を信仰しすぎた。正しさという均整のなかに逃げ込み、
そこに現れる亀裂を「ノイズ」として消し去ってきた。
しかし世界はノイズそのものとして鳴っている。
労働と資本、移民と共同体、自由と秩序、欲望と倫理——そのすべての矛盾がぶつかりあい、
燃えながら世界という機関車を走らせているのだ。

トランプが勝利するのは、その燃焼音を聴いているからだ。
彼は矛盾を整えることなく、むしろその炎の中に椅子を置く。
怒りと歓喜、被害者意識と支配欲、信仰と不信——それらすべてを呑み込みながら、「Yes, this is America」と言って笑う。
つまり彼は「統合」ではなく「抱擁」をやってのける。
醜さを愛し、混沌を自らの肖像に変える。それがポピュリズムの暗黒のカリスマだ。

矛盾は解決されるためにあるのではない

対してリベラルは、矛盾を「解決すべき問題」として処理しようとする。

だが矛盾は解決されるためにあるのではない。

生きるためにある。

Ezra Kleinが語るのはその痛み——「理想」と「現実」を同時に持つことの不可能性を、
あえて引き受ける勇気のことだ。
清らかであろうとする倫理は人を殺す。
清らかであれど矛盾を抱け、というのが彼の祈りなのだ。

われわれの中に、ほんの一ミリもトランプ的・プーチン的・習近平的な「矛盾」がないと、本当に言い切れるのか? 

それを否定する瞬間に、リベラルはもはや「現実の人間」ではなく、「理念の亡霊」と化す。

彼ら——トランプを、プーチンを、習近平を支持する人々は、彼らの政策の細部を信じているわけではない。信じているのは矛盾そのものを体現する存在としての彼らだ。
嘘と真実、支配と献身、暴力と慈悲、国家と個人——あらゆる対立を内包したまま生きている人間のリアリティに人々は共鳴する。
彼らは、「一貫していない」ことを恥じない勇気を持っている。
なぜなら、生活そのものが矛盾の上に立っているからだ。
働きたいのに職がない。豊かになりたいのに制度が邪魔する。自由でいたいのに孤独になる。
その痛みの中で人々は叫ぶ——「俺たちを見ろ!」と。

「矛盾の王」としてのドナルドトランプ

トランプはその叫びを言語化した「矛盾の王」だ。
理想ではなく断層を体現することで、群衆の心を掴んだ。
彼は「真実を語る」わけではない。「矛盾を生きている」のだ。
その姿に、世界の裂け目と同じ振動数を感じ取った群衆は、
理性ではなく存在論的な同調によって彼を支持する。

リベラルが本当に再生するために

今、問われているのは正義よりも矛盾だ。

世界を救うのは完璧な論理ではなく、自己の中にある敵をも見つめる目である。
Kleinの言葉に宿るのは「不純さの美徳」への讃歌。
リベラルが敗北するのは、現実の汚れを嫌い、理想の鏡の中でしか世界を見なくなったからだ。

リベラルが本当に再生するためには、
もう一度「矛盾を生きるリーダー」を生み出さなければならない。
それは、清廉潔白な救世主ではなく、汚れを抱えたまま世界の痛みに沈む者である。
透明な倫理ではなく、濁った誠実さを持つ者。
「間違うことを恐れず、それでもなお進む」者。

矛盾の王は暴君ではなくてよい。
それは、絶望の中でも世界を愛しつづける者のことだ。
Kleinが言う「矛盾を引き受ける政治」とは、
この「矛盾の王」を自らの内に見出すこと——
そしてその王を外に召喚することだ。

リベラルが勝利する日とは、
道徳の勝利ではなく、矛盾を赦した瞬間のことである。

矛盾を抱きしめよ——そこにこそ、ほんとうの政治が息をしている。

Posted by nolongerhuman