少子化を止める有効な施策はアニメを弾圧することであるという仮説

その他

実は「少子化」案件は、日本で一番政治的課題をポップカルチャーの視点から
めちゃくちゃな量テキストとXポストを書きまくっていた2025年にほぼほぼ結論を書いてしまってるんですが

もう完全にSeedance2.0モードなのでポリティカル系生成はしないんですが
相変わらずこの記事のような「恋愛と少子化」ネタは面白いと思います

上のテキストでも書いてますが「少子化問題」「恋愛問題」が実は普通のメディアでの言説において
全く的を得ないのはそしてAV関係者だから言えるのはこの問題の本質が単純に

中出しセックスって何???

っていう事だからなんですよね。

これを議論の真ん中に持ってこないと絶対に解決しないから
永遠に少子化問題は解決しない事確定で
それをするためには?!?!というギリギリの解決法が冒頭の記事だったりしました

で!!!去年の記事で書かなかった、そして「異次元の少子化対策」でも絶対に行われることのない

でもこれしか方法はないんだけどなぁーーーーという事を去年のような大真面目なポリティカル視点ではなく

あくまで思考実験の成果物として書いています

少子化を止める有効な施策はアニメを弾圧することである

少子化を止める有効な施策は、給付金でも、婚活アプリでも、異次元の子育て支援でもない。
そんなものは全部、すでに冷え切った鍋の底にあとから水を足しているだけだ。

本当にやるべきことはひとつ。
アニメを弾圧することである。

もちろん、ここでいう弾圧とは、警察が踏み込んで円盤を押収しろという話ではない。
そんな雑な話ではない。
もっと根源的に、もっと文化的に、もっと精神の奥底から、現代日本人の欲望のOSを書き換えてしまったものとしての「アニメ」を、一度、吊るし上げる必要がある、ということだ。

なぜか。

それはアニメが、あまりにも長いあいだ、性愛を描かない文化として君臨してきたからである。

いや、もちろんアニメには恋愛はある。
告白はある。
片想いはある。
夏祭りもある。
花火もある。
「好き」と言いかけて言えない夕暮れもある。
教室の窓際でカーテンがふくらむ場面もある。
雨宿りもある。
手と手が触れて「あっ」となる瞬間もある。

だが、そこには決定的にないものがある。

身体である。

生々しい欲望がない。
他者の肉体に触れたいという暴力的なほど自然な衝動がない。
愛が生活へ、生活が性へ、性が妊娠へ、妊娠が家族へ、家族が未来へと接続していく、あの泥くさくて、面倒くさくて、逃げ場のない人間の連鎖がない。

それは恋愛ではなく、防腐処理された恋愛標本なのだ。

アニメ視聴によってはぐくまれたアセクシャル化

現代日本の若者は、幼少期からアニメを浴びて育つ。
朝にアニメ、夜にアニメ、スマホでアニメ、SNSでアニメ、ゲームでアニメ、広告でアニメ、自治体PRでアニメ、企業CMでアニメ、政治家のポスターまでアニメ顔。
もはやアニメは娯楽ではない。
それは日本人の情緒を形成する、巨大な精神インフラである。

ならば当然、若者の恋愛観も、性愛観も、身体観も、未来観も、アニメによって規定される。

そこで描かれる「好き」は、しばしば永遠に未遂のままだ。
永遠に告白前夜で止まる。
永遠にファーストキスの直前で止まる。
永遠に文化祭の後夜祭で止まる。
永遠に手をつなぐかどうかで止まる。

つまりアニメは、若者に恋を教えているようでいて、実際にはこう教えている。

恋は始まらないほうが美しい。
身体に触れないほうが尊い。
欲望は発火する前がいちばん純粋である。
性愛に進まない関係こそ、永遠である。

これは少子化対策としては、ほとんど国家的自殺である。

なぜなら子どもは、概念からは生まれないからだ。
尊さからは生まれない。
推し活からは生まれない。
考察スレからも、聖地巡礼からも、アクスタからも、ランダム缶バッジからも生まれない。

子どもは、身体と身体が、現実の時間の中で、互いの人生に責任を持つところからしか生まれない。

にもかかわらず、アニメは若者に、身体を迂回する愛ばかりを与えてきた。
触れない恋。
汚れない恋。
歳を取らない恋。
妊娠しない恋。
生活費の話をしない恋。
親への挨拶も、保育園探しも、夜泣きも、ワンオペも、産後の疲労も、夫婦の倦怠も、全部カットされた恋。

それはもはや恋愛ではない。
恋愛のファンタジー加工食品である。

そして日本の若者は、その加工食品を食べ続けた。
毎日食べた。
幼少期から食べた。
思春期にも食べた。
大人になっても食べた。
その結果、現実の恋愛のほうが、むしろ異物になった。

現実の人間は面倒くさい。
汗をかく。
老ける。
怒る。
返信が遅い。
話が通じない。
金がかかる。
機嫌が悪い日がある。
過去がある。
家族がいる。
欲望がある。
そしてなにより、こちらにも責任を要求してくる。

アニメのキャラクターは要求しない。
歳を取らない。
妊娠しない。
結婚を迫らない。
家賃を払えと言わない。
子どもの進路で悩まない。
義実家との関係もない。
老後もない。

つまりアニメは、愛からリスクを抜いた。
恋から身体を抜いた。
性愛から生活を抜いた。
人間関係から責任を抜いた。

そして最後に残ったものが、少子化した国の、美しすぎる孤独である。

なぜアニメ作品は性愛を描かない・描けないのか??

だから、アニメを弾圧せよ。

ただしそれは、アニメを禁止せよという意味ではない。
アニメの中に巣食っている、性愛なき恋愛至上主義を弾圧せよ、という意味だ。
永遠の少年少女だけを美化する感性を弾圧せよ。
身体を持たないキャラクター消費を弾圧せよ。
「尊い」という言葉で、欲望と責任を冷凍保存する文化を弾圧せよ。

もっと愛を汚せ。
もっと恋を生活に落とせ。
もっとキャラクターに歳を取らせろ。
もっと恋人たちに家賃を払わせろ。
もっと結婚後を描け。
もっと妊娠を描け。
もっと出産を描け。
もっと育児を描け。
もっとセックスの後の朝を描け。
もっと「好き」の先にある現実を描け。

「付き合って終わり」ではなく、
「結婚して終わり」でもなく、
「子どもが生まれてから始まる物語」を描け。

それができないアニメは、いくら作画が美しくても、いくら声優が完璧でも、いくら海外で評価されても、国家の深層心理においては、ひとつの去勢装置である。

日本は、あまりにも長く、二次元の青春に閉じこもりすぎた。
桜の下で告白する少年少女の幻影に、国ごと幽閉されてしまった。
その桜はもう散っている。
その教室はもう存在しない。
その放課後はもう帰ってこない。

必要なのは、永遠の十七歳ではない。
二十代の不安、三十代の決断、四十代の疲労、五十代の許し、そしてそれでも誰かと生きることを選ぶ、時間のある物語だ。

少子化とは、金の問題である以前に、未来を欲望できなくなった文化の病である。

そしてアニメは、その病をもっとも美しく、もっともポップに、もっとも無自覚に育ててきた。

だから今こそ言わなければならない。

アニメを弾圧せよ。
アニメを現実へ引きずり戻せ。
アニメに身体を返せ。
アニメに性愛を返せ。
アニメに妊娠を、出産を、育児を、生活を、老いを、責任を、未来を返せ。

恋を「尊い」で終わらせるな。
愛を「推し」で代替するな。
身体を「作画」で消毒するな。
人間を「キャラ」に還元するな。

そのための第一歩は、
アニメを燃やすことではない。

アニメの中に閉じ込められた恋愛観を、
現実の太陽の下へ引きずり出し、
こう叫ぶことだ。

その恋は、本当に誰かの未来を産むのか?

少子化対策とはほぼニアイコールで文化体系施策であるっていうことは
冒頭にリンクした去年の記事で書きましたが
それは同時に今のアニメ化社会との関連性を誰も指摘しないしこれからもしないと思うので
記録のために書きました!!

ただ技術論的な事を言うとtiktokでもう500作品のAIアニメを作ってきてなるほど!と思ったのはアニメだとほぼほぼ性愛シーンって作れないんですよ。その結果現在のアニメ技術で最も効果的なシーンに特化して行った結果がアセクシャルな作品にならざるを得なかったという事情があると思っています。でもそれって作り手の怠慢だと思うし僕がアニメが嫌いなのにAIアニメこそが正しい手法だと確信してるのは僕のこのスタイルだと性愛的シーンが可能になるからなんですよね

Posted by nolongerhuman