だからアメリカのポップミュージックは劣化してしまう・・ジャック・アントノフによるAIバッシングに徹底反論します

AI魔女裁判

最初に説明しておくと僕は大変申し訳ないけどジャック・アントノフのプロデュースワークをあまり評価してなくて
こーいう事はポップミュージック史において何度も起きている事だけど
それまで職人肌の定番的な制作をしてきたアイドル的ポップスターが
彼の比較的インディーなスモールオペレーションな楽曲づくりに触れて

これぞわたしの求めていたものだわ!!

状態になるっていうお決まりのコースっていうのがありまして・・・・・・

その結果どうなるかっていうとテイラーもサブリナも楽曲が「地味」になるっていう(号泣)
そんな「戦犯」がJack Antonoffの立ち位置っていうのが俯瞰したポップ史的史観なんですが

でね、こーーいう人がまたやらかしてしまうんですよ、こーーいうことを・・・・・

もーーーーほんとご勘弁願いたいっす・・・・・・

もうこれ何回書いてきたかってことですが繰り返しで!!!

なぜアメリカは10年以上も新しいポップミュージックのフォーマットを作れないジレンマの中にいるのか?

ジャック・アントノフがAI生成を使う者たちに向かって、ほとんど「死ね」と言わんばかりの呪詛を吐いた。

もちろん、これに対する反論は簡単だ。

では君はDAWを使っていないのか。
プラグインを使っていないのか。
ピッチ補正は。
サンプラーは。
シンセサイザーは。
ドラムマシンは。
Pro Toolsは。
Logicは。
Abletonは。
Auto-Tuneは。
ソフト音源は。
コンプは。
リバーブは。
ディレイは。
そもそも録音というテクノロジーそのものは、神に許された“本物の手仕事”だったのか。

それで終わりだ。

しかし、問題はそこではない。
ここにあるのは、もっと深い病巣だ。

ジャック・アントノフはグラミーを何度も受賞している。
つまり彼は、現在のUSポップミュージックを代表する人物の一人である。
テイラー・スウィフト、ラナ・デル・レイ、ロード、サブリナ・カーペンター——その名前を並べれば、彼がこの10年のアメリカン・ポップの中枢にいたことは誰にも否定できない。

だが、だからこそ問題なのだ。

なぜこの10年以上、アメリカのポップミュージックは新しいフォーマットを発明できなかったのか。
なぜチャートは、HIPHOPの巨大な惰性と、停滞を象徴するようなカントリーの復権に飲み込まれているのか。
なぜロックでもない、R&Bでもない、EDMでもない、インターネット以降のまったく新しいポップの器がアメリカから出てこないのか。

その答えが、彼の発言の中にある。

彼らはポップミュージックを「守るべき聖域」だと思っている。
違う。
ポップミュージックとは、聖域を破壊する技術のことだ。

ポップミュージックとは、いつだって“不謹慎な機械”だった。
エレキギターは騒音だった。
シンセサイザーは偽物の楽器だった。
ドラムマシンは黒人音楽の身体性を殺すものだと言われた。
サンプラーは盗みだった。
Auto-Tuneは歌を殺すものだった。
DAWはスタジオの神話を破壊した。
YouTubeはレーベルの権威を破壊した。
TikTokは曲の構造そのものを破壊した。

そしてそのたびに、ポップミュージックは死んだのではない。
むしろその瞬間に、ポップミュージックは生まれ直した。

ポップとは、最新テクノロジーによって既存の作法を破壊し、その破壊の瓦礫の上で、まだ名前のない快楽を鳴らすことだ。

ラジオから盗む。
ブルースから盗む。
教会から盗む。
クラブから盗む。
路上から盗む。
映画から盗む。
広告から盗む。
他人の声から盗む。
昨日の自分から盗む。
そしてそれを編集し、圧縮し、増幅し、光らせ、商品にし、夢にし、欲望にする。

それがポップミュージックだ。

ならばAIとは何か。
AIとは、この盗みと編集と変形と再配置の速度が、ついに人間の手の速度を超えたということだ。
つまりAIはポップミュージックの敵ではない。
AIはポップミュージックの本性が、あまりにも露骨な形で現れてしまったものなのだ。

だから彼らは怖がる。
AIが怖いのではない。
AIによって、彼ら自身が信じていた「本物の創作」という神話が、ただの作法であり、ただの慣習であり、ただの業界内ルールだったことがバレてしまうのが怖いのだ。

「プロセスが大事だ」と彼らは言う。
もちろん大事だ。
だが、プロセスとは固定された儀式ではない。
プロセスとは、その時代のテクノロジーと身体がぶつかった場所に発生する熱のことだ。

ギターを持った瞬間にプロセスは変わった。
マイクを持った瞬間にプロセスは変わった。
テープを切った瞬間にプロセスは変わった。
MIDIを打ち込んだ瞬間にプロセスは変わった。
Auto-Tuneを声にかけた瞬間にプロセスは変わった。
そして今、プロンプトを打った瞬間にプロセスは変わった。

それだけのことだ。

にもかかわらず、AIだけを「偽物」と呼ぶ。
それは批評ではない。
それは、自分が慣れ親しんだ機械だけを“人間的”と呼び、新しく現れた機械だけを“悪魔”と呼ぶ、老人の宗教である。

ポップミュージックは、そんなものではなかったはずだ。

アメリカのポップは、かつて常に不良だった。
常に泥棒だった。
常に裏切り者だった。
常に新しい機械を手にして、古い美学を笑い飛ばしてきた。

エルヴィスも、モータウンも、フィル・スペクターも、プリンスも、マドンナも、ヒップホップも、ハウスも、EDMも、全部そうだった。
神聖なものを俗悪にし、俗悪なものを神聖にする。
それがアメリカン・ポップの凶暴な美しさだった。

だが今、その中心にいるはずの人間が、AIを前にして「これは偽物だ」「これは神への冒涜だ」「これはスロップだ」と叫んでいる。

違う。
それはAIがスロップなのではない。
君たちの想像力が、すでにスロップになっているのだ。

AIを使えばいい音楽になる、などとは誰も言っていない。
AIを使ってもくだらないものはくだらない。
むしろAIによって、くだらないものは山のように増えるだろう。
だがそんなことは、ギターが発明された時も、シンセが普及した時も、DAWが一般化した時も、YouTubeが開かれた時も、ずっと同じだった。

道具が増えれば、ゴミも増える。
だが同時に、天才が抜け道を見つける。

ポップミュージックの歴史とは、その抜け道の歴史である。

だから今問われているのは、AIを使うか使わないかではない。
AIという新しい暴力を前にして、なおポップでいられるかどうかだ。
新しい機械に触れた瞬間、自分の中の古い作法が崩れていく恐怖に耐えられるかどうかだ。
「これは音楽ではない」と叫ぶ側に回るのか。
それとも「では、これを音楽にしてやる」と笑う側に回るのか。

ジャック・アントノフの発言が象徴しているのは、AIへの批判ではない。
それは、現在のUSポップの中枢が、もはやポップミュージックの本質である“破壊への欲望”を失っているということだ。

ポップとは、未来に向かって品性を失うことだ。
ポップとは、まだ誰も美しいと思っていないものを、先に美しいと言ってしまうことだ。
ポップとは、昨日までインチキだったものを、明日のクラシックに変えることだ。

AIはそのための新しい汚い手だ。
新しい盗みの手だ。
新しい編集の手だ。
新しい夢を見るための、まだ倫理も美学も追いついていない、危険で、下品で、眩しい手だ。

ならば僕たちは、その手を使う。

なぜならポップミュージックとは、いつだってそういうものだったからだ。
神に許された音楽ではない。
教科書に載った音楽ではない。
本物だと認定された音楽ではない。

まだ誰にも許されていない音が、街のノイズと機械の光の中から勝手に鳴り始めること。

それがポップだ。
それがアメリカがかつて世界に教えたことだ。
そして今、そのアメリカの中心にいる人間がそれを忘れているなら、こちら側からもう一度言ってやるしかない。

ポップミュージックは、守るものではない。
壊すものだ。

AIはその破壊の、最新の名前である。

Posted by nolongerhuman