ReHacQ最高傑作! 【辺野古沖転覆・核心へ】が暴いた「沖縄という船底と日本の構造疲労」
総尺5時間19分・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
でも現時点で2171本あるReHacQチャンネルの動画コンテンツで最も素晴らしいものだと思います。
以前に記事化しましたが
謎にリベラルの方々から目の敵にされているReHacQですが
繰り返すとReHacQの本質は「TV」でもっと解像度をあげた言い方をすると
タレントではなくインフルエンサーを出演者とした「TV」
なんですね。
これも繰り返しになりますがTVはタレントを「アイドル(偶像化)」したけど
ネット・SNSはインフルエンサーを「アイドル(偶像化)」する装置で
それにともなって政治もまた「再宗教化」を図っています
だから基本的に「信者」の方々が書き込まれるReHacQのコメント欄は中々正視できないし
こーいう人でも偶像として神格化されるんだなぁ・・・・っていう「HUMAN ZOO」的なのぞき見娯楽番組がReHacQなんですが
今回の辺野古沖転覆事件の取材動画はどこまでも真摯に、信者向けの「説法」にならないよう極力抑制された
心から素晴らしい動画になっていて感動しました
沖縄が抱える滑稽なまでの「混沌」
ReHacQが公開した辺野古沖転覆事故をめぐる5時間に及ぶ動画の凄みは、単なる事故検証でも、沖縄問題の整理でも、
ましてや左右どちらかの政治的正しさの採点でもない。
そこに映っていたのは、今の沖縄が抱える滑稽なまでの「混沌」そのものだった。
そしてその混沌は、もはや沖縄だけのものではない。
外交問題、政治思想問題、格差問題、環境問題、教育問題、報道問題。
そのすべてが同じ海の上でぐちゃぐちゃに絡まり、誰もほどけないまま、誰も責任を取りきれないまま、ただ時間だけが経過していく。
沖縄とは、日本の例外ではない。沖縄とは、日本の縮図である。いや、もっと正確に言えば、構造疲労を起こした日本という巨大な沈没船の、最初に水が噴き出している船底なのだ。
ほどけなかった救命胴衣
名護市辺野古沖で2026年3月16日に船が転覆し、平和学習で訪れていた17歳の女子高校生と船長が死亡したこと、
また女子高校生の死因が溺死であり、救命胴衣が転覆船の一部に引っかかった状態で発見されたこと
その事実の痛ましさは、単なる「不幸な事故」という言葉では到底受け止めきれない。
なぜならこの事故は、あまりにも多くの未解決が積み重なった場所で起きているからだ。
基地。海。反対運動。住民感情。教育。観光。メディア。安全管理。政治利用。沈黙。怒り。諦め。
そこではすべての問題が、まるで水を吸ったロープのように重く、冷たく、ほどけない結び目となっている。
そして、その結び目の中心で、17歳の命が奪われた。
この動画が本当に恐ろしいのは、誰か一人の悪人を見つけて終わらせてくれないところだ。
むしろ見れば見るほど、悪の所在がぼやけていく。
ぼやけるのに、腐敗臭だけは強くなる。真相へ近づこうとすればするほど、政治が出てくる。教育が出てくる。報道が出てくる。
地域の分断が出てくる。安全管理の穴が出てくる。運動の歴史が出てくる。国家の無責任が出てくる。
つまりこれは、一本の線で解ける事件ではない。日本という社会が長年放置してきた配線が、海の底でショートした瞬間なのだ。
血のような不安と沖縄の青い海
飛躍に聞こえるかもしれない。しかし、高市総理が支持される理由の一部も、ここにある。
もちろん辺野古の事故と政権支持を単純に直結させるべきではない。
だが、いま若い世代の無意識の奥には、もっと黒く、もっと生々しい不安がある。
「このまま構造疲労の国に住み続けていたら、いつか自分たちも殺されるのではないか」という不安だ。
誰も責任を取らない。誰も決めない。誰も救助に来ない。制度はある。ルールもある。会議もある。報道もある。
だが肝心な瞬間に、なぜか人は死ぬ。その感覚が、理屈より先に身体へ来ている。
だから人々は「強い決断」を求める。だから人々は「停滞を切断する刃物」を欲しがる。
たとえその刃物が自分たちをも傷つけるかもしれないとしても、腐ったロープに縛られたまま溺れるよりはマシだと、どこかで感じてしまう。
これが今の日本の恐ろしさだ。民主主義が壊れているのではない。
民主主義が、あまりにも長く何も救えなかったように見えてしまっている。その絶望が、強権への欲望を生む。
沖縄を血塗れにした、北野武の映画『ソナチネ』
あの映画が突きつけていたのは、どこまでも青い海への復讐だった。
南国の青。観光の青。癒やしの青。平和の青。だがその青の下には、ずっと血が沈んでいた。
沖縄の海は美しい。だが、その美しさはしばしば、国家が見たくないものを隠すスクリーンとして使われてきた。
青ければ青いほど、死は見えにくくなる。穏やかであればあるほど、暴力は風景に溶けてしまう。
今回のReHacQの動画は、その「青」を剥がしている。美しい海の下で何が絡まり、何が沈み、何が腐っているのかを、長い時間をかけて見せていく。
5時間という長さは冗長ではない。むしろこの事件を短く語ろうとすること自体が、すでに暴力なのだ。
なぜなら、この事故の本質は「短くまとめられないこと」にあるからだ。
誰かの失敗。誰かの思想。誰かの怠慢。誰かの善意。誰かの正義。
それらが全部、救命胴衣の紐のように絡まり、最終的に一人の少女を水面へ浮かび上がらせなかった。
ReHacQのこの5時間は、事故の検証であると同時に、日本という国の解剖である。
メスを入れると、政治が出てくる。さらに切ると、報道が出てくる。さらに奥へ進むと、教育が出てくる。基地が出てくる。貧困が出てくる。正義が出てくる。善意が出てくる。
そして最後に、誰も救えなかったという事実だけが残る。
その事実から目を逸らさないこと。
それこそが、この動画の価値なのだと思います













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