なぜリベラルは負け続けるのか? 沖縄 辺野古ボート転覆事故編・・・・・
いやー・・・・・よくないなぁ・・・・悪手だなぁ・・・・・・・・・
この記事に詳細に書きましたが
深堀ちゃんというポリティカルポストアカウントをPOC運用していた時に
ほんとーーーーーーーーーーーーーーーに驚いたのは、結局のところいわゆる「右派」と呼ばれる方々の言説の構造・有り様って
1960年代から実はあまり変わってないんですよね、でも逆に「左派」リベラル側の言説が
あまりにもあまりにも「変節」してしまった・・・・・
というか以前のこの記事にもかきましたが
とにかくリベラル側が「YES」の物語を紡ぐことができなくなっている事
で「深堀ちゃん」で最も反響のあったポストの一つはこれだったんですが
衆院解散→総選挙へ!「高市総理承認選挙」となる
この戦いでリベラル側が絶対にやるべきではない戦略とやるべき戦略を完全深堀りちゃん!!「高市早苗総理にYESか、NOか」
このまま衆議院選挙に突入すれば、
リベラルは極めて高い確率で惨敗します。… pic.twitter.com/tVHSjbijpM— 深堀ちゃん (@fukaborichannel) January 9, 2026
僕の勝手なイメージ??いや!本質論として「リベラル」って「右派」の反対側っていう立ち位置ではないと思っています
そうではなく
状況を見極める事
状況から自由である事
このマインドセットこそが「リベラル」の本質で。
ところが驚愕&絶望したのは、今いわゆるリベラル・左派の方々の言説って完全に
VS右派
で凝り固まっちゃってるんですよね・・・・・・・・・・・・・・
ちょっと抽象的な言い方で恐縮ですが
何か「左派・リベラル」といった「縛り」があって、それに準拠して帰依することで情報発信をしている
それって「右派」と全く同じですよね???
そうした実は右派以上に「硬直化」した言説がいわゆる「リベラル嫌悪・リベラル離れ」を引き起こしている
根本的な原因なわけですが、今回ここでもその本質を解説した
現在の政治状況の「不幸」さを象徴するような辺野古転覆事故に関してのリベラルの方々の言説が
うわぁ・・・・・これはマズい・・・・と(泣)
日本のリベラルが負け続けてきた理由の、ほとんどグロテスクなまでの縮図
辺野古転覆事件をめぐるリベラル側の言説が、いつのまにか
「その修学旅行を企画した高校に対する文科省の政治的中立勧告は是か非か」という制度論へとスライドしていること。
そこに、日本のリベラルが負け続けてきた理由の、ほとんどグロテスクなまでの縮図を見る。
もちろん、文科省の介入が教育現場を萎縮させる可能性はある。
平和学習が、沖縄学習が、主権者教育が、国家の顔色をうかがう無菌室に閉じ込められてしまう危険もある。
それは問われるべきだ。
だが、今この瞬間に、リベラルが第一声としてそこへ飛びついてしまうこと。
そこに、決定的な敗北の匂いがある。
なぜなら、この事件の中心にあるのは、まず「ひとりの女子高生が死んだ」という事実だからだ。
そして、船が転覆した。
誰が何を判断し、何が準備され、何が見落とされ、どの安全管理が欠落し、どの政治的熱量が現場判断を曇らせたのか。
そこを、誰よりも早く、誰よりも深く、誰よりも冷酷に、しかし誰よりも誠実に掘り抜くこと。
それこそが本来、リベラルの仕事だったはずなのだ。
リベラルとは、左派を守ることではない。
リベラルとは、右派に反論することでもない。
リベラルとは、どの陣営の物語にも自分を明け渡さない自由のことだ。
国家の物語にも、運動の物語にも、教育の物語にも、沖縄の物語にも、犠牲者の物語にも、そして自分たちの正義の物語にも、最後の最後で「待て」と言える視線のことだ。
にもかかわらず、今回もまた日本のリベラルは、その自由を手放しているように見える。
右派が、女子高生の死をことさらに感情的に持ち出し、沖縄の左派運動を揶揄する。
その醜悪さに怒る。
それはわかる。
わかるが、その怒りに即座に反応してしまった瞬間、リベラルは右派のリングに引きずり込まれる。
「反基地運動を叩くな」
「政治的中立勧告は危険だ」
「平和学習を萎縮させるな」
その言葉は正しいかもしれない。
しかし、いま市民が聞きたいのは、まずそこなのか。
市民が聞きたいのは、もっと単純で、もっと残酷で、もっと逃げられない問いなのでは?
なぜ死んだのか。
なぜ乗せたのか。
なぜ止められなかったのか。
なぜ教育の名のもとに、未成年の身体が危険の場所へ運ばれたのか。
そのとき大人たちは何を見て、何を見なかったのか。
ここから逃げてはいけない。
ここを「右派の攻撃材料になるから」と避けた瞬間に、リベラルはリベラルではなくなる。
それはただの陣営防衛になる。
そして陣営防衛の言葉は、どれだけ知的に整えられていても、市民には届かない。
なぜなら市民は、党派より先に、死を見ているからだ。
制度より先に、沈んだ船を見ているからだ。
教育基本法より先に、帰ってこなかった子どもを見ているからだ。
本当のリベラルなら、こう言わなければならない。
文科省の介入は検証する。
教育現場への萎縮効果も検証する。
右派の便乗的な嘲笑も批判する。
だが、その前に、あるいはそれと同時に、私たちはこの事故の真相を徹底的に追う。
左派運動の側に問題があったなら、それを言う。
学校の側に問題があったなら、それを言う。
行政の側に問題があったなら、それを言う。
メディアの側に問題があったなら、それを言う。
そして自分たちリベラルの側に、見たくないものを見ない怠慢があったなら、それも言う。
それが自由であるということだ。
それがリベラルであるということだ。
ここが修正されない限りリベラルは「負け続けて」しまうのではないでしょうか?












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