皇室典範改定議論でまた「NO」と言ってしまったリベラル側への挽歌・・・・違うんですよ戦略が!!!
もう何度もこの事については書いてきましたが
この皇室典範改正でもまたまたまたまたまたまたリベラル側は「NO!!!!!!!」だけを響かせてしまいました・・・・・・・
目次
もちろん、全部わかる。全部正しい。全部その通りだ。だが、問題はそこではない。
またリベラルが「NO」を掲げてしまった。
皇室典範改定に反対。
男系男子維持に反対。
旧宮家養子案に反対。
女性皇族を公務要員化することに反対。
もちろん、全部わかる。全部正しい。全部その通りだ。
だが、問題はそこではない。
問題は、またしてもリベラルが「NO」の旗を掲げてしまったということだ。
これは近年のリベラルが繰り返してきた、あまりにも典型的な負け筋である。
反対する。
批判する。
危険性を指摘する。
差別性を告発する。
時代錯誤だと叫ぶ。
だが、その先に何を作るのかが見えない。
だから負ける。
なぜなら政治とは、単なる拒否ではなく、次の現実を設計する行為だからだ。
今回の皇室典範改定において、本当にリベラルが言うべきだったのは「改定反対」ではない。
むしろ逆だ。
YES、皇室典範は改定できる。
YES、皇族数の減少は問題である。
YES、安定的な皇位継承は必要である。
YES、だからこそ、女性天皇を可能にする皇室典範再改定が必要である。
これを言わなければならなかった。
高市内閣下で、男系男子維持を補強するための皇室典範改定が通る。
それは、いまの政治力学からすれば当然である。
ならばリベラルがやるべきことは、その法案を止められないことを嘆くことではない。
法案が通った後の「次の改定構想」を示すことだ。
ここを間違えてはいけない。
今回の改定によって、本当に明らかになるのは何か。
それは、
皇室典範は動かせる、という事実である。
これまで保守派は、皇室典範をまるで不可侵の聖典のように扱ってきた。
伝統だから変えられない。
男系男子は動かせない。
皇統は政治でいじるべきではない。
だが今回、その保守派自身が皇室典範を改定する。
ならば答えはひとつだ。
「なるほど。皇室典範は改定してよいのですね。では次は、女性天皇を可能にする改定を行います」
これでいい。
いや、これしかない。
リベラルが掲げるべき旗は「反対」ではない。
「次は私たちが改定する」である。
男系男子維持のために皇室典範を動かすのなら、次は女性天皇実現のために皇室典範を動かせばいい。
旧宮家の男系男子を呼び戻すために制度を動かすのなら、次はいま皇室にいる女性皇族の継承可能性を開くために制度を動かせばいい。
国会で決めるというなら、選挙で勝って、国会で再改定すればいい。
それが政治である。
ところがリベラルは、またしても「NO」を言ってしまう。
それはダメです。
それは差別です。
それは時代錯誤です。
それは国民感覚と違います。
正しい。
だが弱い。
なぜ弱いのか。
その言葉は、すべて相手の作った盤面の上で発せられているからだ。
相手が法案を出す。
リベラルが反対する。
相手が制度を動かす。
リベラルが危険性を指摘する。
相手が未来を作る。
リベラルが過去の正義を守ろうとする。
これでは勝てない。
必要なのは、NOの正義ではない。
YESの構想である。
皇室典範を変えるな、ではない。
皇室典範をもっとよく変えろ、である。
皇族数確保に反対、ではない。
皇族数確保が必要だからこそ、女性皇族を継承主体として認めろ、である。
安定的皇位継承という問題設定を拒否するのではない。
安定的皇位継承を本当に実現するなら、男子限定こそ不安定要因だ、と言うべきなのである。
つまり、リベラルは相手の問いに「NO」と答えるのではなく、相手の問いを奪い返して「YES、だからこっちだ」と言わなければならない。
YES、皇室典範を改定しよう。
YES、皇位継承を安定させよう。
YES、皇族数を確保しよう。
YES、国民多数の感覚に合う制度にしよう。
YES、愛子さまが天皇になれる未来を開こう。
これが本筋である。
「NO」は怒りを表すことはできる。だが「YES」だけが未来を作る。
政治において、反対は必要だ。
だが反対だけでは、現実は作れない。
「NO」は怒りを表すことはできる。
だが「YES」だけが未来を作る。
近年のリベラルの負け筋は、まさにここにある。
正しい怒りを持っている。
正しい批判もできる。
正しい倫理もある。
正しい歴史認識もある。
だが、その正しさを、次の制度設計へ変換できない。
だから、相手に先に現実を作られる。
その現実に対して、また反対する。
そしてまた負ける。
このループを断ち切るには、リベラルこそが「改定する側」に立たなければならない。
守るリベラルではなく、作るリベラルへ。
反対するリベラルではなく、設計するリベラルへ。
NOのリベラルではなく、YESのリベラルへ。
皇室典範改定をめぐる今回の局面は、その最大のチャンスだった。
保守派自身が、皇室典範は改定可能であることを証明してしまう。
ならばリベラルは、その事実を最大限に利用すればいい。
「今回の改定には反対する。しかし、皇室典範が改定可能であることは確認された。次の選挙で私たちは、女性天皇を可能にする再改定を掲げる」
この一文を言えるかどうか。
ここに、政治になるか、抗議で終わるかの分岐点がある。
反対では足りない。
再設計せよ。
NOでは足りない。
YESを掲げよ。
皇室典範を、次の時代へ動かすのは誰か。
その問いにリベラルが「私たちだ」と答えられないなら、また同じように負ける。
そして、その敗北は法案が通ったからではない。
法案が通った後の未来を、先に描けなかったからである。
この記事をはじめ何度も言及してきたように
現在の政治空間で起こっている事のコア中のコアは「政治の再宗教化」です。
右派はリベラルより何十年も前からその胎動を感じていましたろ。
そして最悪な事にリベラルであるとはそうした宗教化を相対化するのがミッションであるにもかかわらず
近年急速に、飲み込まれるように宗教化しはじめていることは
「深掘ちゃん」アカウントの運営報告で書きました。
そりゃ宗教化したほうが今の時代は絶対に「楽」です。
リベラルの皆さんもその快楽に意識的に無意識的に依存してしまった・・・・・
2026年に「NO」しか言わないのは政治ではなく宗教でありリベラルの使命は「YES」を掲げることだと再び思いました。
当アカウントの皇室への見解は既にこの記事に詳細に書いています。それは三島由紀夫的「文化的天皇論」の21世紀版ともいうべき「コンテンツ天皇論」です













ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません