三山凌輝が共演者の花乃まりあと裏切り愛?! 趣里女史と三山氏による究極の依存関係を徹底解説!

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三山凌輝氏、趣里さんとの結婚の際のなかなかな泥沼も凄かったけど

一年たたず連発は驚異的・・・・・・・・・・・・・・・

今後お決まりの三山氏バッシングと趣里サンの擁護発信合戦が行われると思いますが

この報道、つまり一番興味深いのはそこではなく三山氏と趣里女史の本当の関係とはどういうものなのか??というところだと思います

これは単なる「浮気する男」と「それでも耐える女」の話ではない。

そんな薄っぺらい昭和ワイドショーの図式では、この関係の深部には1ミリも届かない。

あくまで仮説として言えば、ここにあるのはもっと精巧で、もっと残酷で、そしてもっと甘美な心理システムである。

三山氏は、親密な関係を獲得すると、その安定の中にとどまれない。

女性に愛される。

選ばれる。

家族になる。

本来ならそれは幸福の完成であるはずなのに、彼にとって安定は完成ではない。

安定とは、自己価値を確認できなくなる静寂なのである。

三山氏にとって安定とは、自己価値を確認できなくなる静寂なのである。

相手を手に入れるまでの自分は輝いている。

口説いている自分。

求められている自分。

危険を冒している自分。

秘密を共有している自分。

誰かの日常を奪い取るほど魅力的な自分。

しかし、ひとたび相手が「自分のもの」になった瞬間、その熱狂は冷める。

愛されていることが日常になる。

選ばれていることが当然になる。

すると彼の中で、恐ろしい空白が口を開ける。

「俺は、まだ魅力的なのか?」

「俺は、まだ特別なのか?」

「俺は、まだ誰かの人生を動かせる男なのか?」

だから次の女性へ向かう。

求めているのは、必ずしもセックスそのものではない。

彼が本当に欲しているのは、

「まだ自分は選ばれる男だ」

という確認である。

三山氏にとって新しい女性は、新しい鏡なのだ。

その鏡に映る自分だけが、若く、自由で、魅力的で、無限の可能性を持っている。

既存の関係の中では、彼は夫になり、父になり、生活者になり、責任を負う人間になる。

しかし新しい女性の前では、再び物語の主人公になれる。

弱さを見せなくていい。

退屈さを知られなくていい。

日常の責任を背負わなくていい。

魅力的な部分だけを切り取った「理想の自分」として存在できる。

つまり彼は、親密さを求めながら、親密さに耐えられない。

誰かと深くつながりたい。

しかし深くつながれば、相手は自分の弱さも、幼さも、空虚さも、退屈さも見る。

だからまた逃げる。

もっと新しく。

もっと危険で。

もっと秘密めいた関係へ。

逸脱とは、親密さを求める行為であると同時に、親密さから逃げる行為なのである。

そしてさらに重要なのは、逸脱だけでサイクルは終わらないということだ。

逸脱する。

発覚する。

すべてを失いそうになる。

謝罪する。

泣く。

変わると誓う。

許される。

再出発する。

この「破壊から再生までのドラマ」そのものが、ひとつの巨大な感情装置になる。

平穏な日常では感じられないほどの感情。

人生が崩れ落ちる恐怖。

愛する人を失う絶望。

それでも受け入れられる安堵。

生まれ変わるという陶酔。

穏やかな幸福では生きている実感を得られない人間は、ときに危機を自分で作り出し、その危機から救済されることで、強烈に生き直そうとする。

だから問題は、反省しているかどうかではない。

反省すらもサイクルの一部になっている可能性がある。

逸脱、発覚、謝罪、許し、再生。

この劇を繰り返すこと自体が、彼の人生を感情的に駆動させているのである。

では趣里氏側はどうか。これも「悪い男が好きなお嬢様」という下世話な図式では足りない。

あくまで反復強迫(依存)という仮説を置くなら、彼女が欲しているのは危険な男そのものではない。

彼女が欲しているのは、

危険な男を、自分の愛によって安全な家族へ変える物語

なのである。

過去に問題があった。

周囲が警告した。

世間が疑った。

それでも彼女は選ぶ。

なぜなら危険信号が多ければ多いほど、その選択は「普通の恋愛」ではなくなるからだ。

「世間は彼の本当の姿を知らない」

「私だけは彼を理解している」

「過去の女性とは違う」

「私との関係なら彼は変わる」

ここに、強烈な特別意識が生まれる。

世間対二人。

家族対二人。

報道対二人。

常識対二人。

外部からの圧力は、必ずしも関係を壊さない。

むしろ二人だけの結束を強める。

批判されるほど、

「私だけは彼を見捨てない」

という使命感が強くなる。

そしてその使命感は、やがて愛情以上のものになる。

彼を支える。

彼を守る。

彼を信じる。

彼の事情を理解する。

彼の失敗を受け止める。

家族を維持する。

世間に背を向ける。

これらを繰り返すうちに、彼女はただ彼を愛する女性ではなく、

彼を救うことのできる、唯一の女性

という自己像を獲得する。

ここが決定的である。

もし彼が本当に変われば、それは彼が救われたというだけではない。
彼女自身が「愛されるに値する特別な女性だった」と証明される。

自分の愛は、過去のすべての失敗を上書きできた。

自分との家庭は、彼を別人に変えた。

自分だけが、彼を本当の人生へ連れ戻した。

だから彼の更生は、彼女の自己価値そのものと結びつく。

逆に言えば、彼がまた逸脱したとき、その裏切りは単なる浮気では終わらない。

「私は彼を変えられなかった」

「私の愛では足りなかった」

「私は特別ではなかった」

という傷になる。

すると普通なら離れるべき局面で、さらに強く支えようとする可能性が生まれる。

もっと理解すれば変わる。

もっと愛せば変わる。

子どもがいれば変わる。

家族になれば変わる。

次こそ変わる。

こうして彼女は、彼から離れられないのではなく、

彼を救えなかった自分という結末から逃れるために、救済を続ける

ことになる。

男性は、新しい女性によって自己価値を確認する。

女性は、その男性を救うことによって自己価値を確認する。

彼は外へ向かう。

彼女は内へ引き戻す。

彼は壊す。

彼女は直す。

彼は逸脱する。

彼女は救済する。

この二つの運動が、恐ろしいほど美しく噛み合ってしまう。

男性が安定の中で空虚さを感じる。

新しい刺激へ向かう。

秘密の関係が生まれる。

発覚する。

家庭が崩壊しかける。

女性が傷つきながら事情を理解しようとする。

男性が謝罪する。

「今度こそ変わる」と誓う。

女性が受け入れる。

二人は危機を乗り越えたことで、以前より強く結ばれたように感じる。

そして日常が戻る。

日常が戻った瞬間、男性は再び空虚になる。

また次の刺激へ向かう。

これが反復する。

彼は何度でも帰ってこられる場所を手に入れる。

彼女は何度でも救うことのできる対象を手に入れる。

彼は彼女の救済者役を必要とし、

彼女は彼の逸脱を必要とする。

もちろん、彼女が彼の逸脱を望んでいるという意味ではない。

そんな単純な話ではない。

彼が逸脱するたびに彼女は傷つく。

しかしその傷によって、再び彼女の「救うべき役割」が起動する。

彼は壊すことで、彼女を救済者にする。
彼女は救うことで、彼を再び逸脱できる日常へ戻す。

ここに、共依存的なシステムが完成する。

だからこれは、

セックス依存の夫と、かわいそうな耐える妻

という話では足りない。

もちろん裏切った側の責任は、裏切った側にある。

行為者の責任が、相手の心理構造によって軽くなることは絶対にない。

しかし関係の構造を考えるなら、

なぜ離れないのか。

なぜ信じ直すのか。

なぜ危機のたびに、むしろ二人の結束が強まるのか。

そこまで見なければならない。

そこには愛がある。

子どもがいる。

家族を守りたいという責任がある。

相手を見捨てる罪悪感がある。

世間への反発がある。

自分だけは理解しているという特別意識がある。

そしてなにより、

今回こそ、この悲劇を幸福な結末へ書き換えたい

という欲望がある。

彼女が愛しているのは、現在の彼だけではない。

いつか変わるはずの彼。

本当は優しい彼。

自分の愛によって再生した未来の彼。

つまり彼女は、現実の男性だけではなく、

自分が完成させるはずの救済物語

を愛している。

そして彼もまた、彼女だけを愛しているのではない。

新しい女性から欲望される自分。

すべてを失いそうになって謝罪する自分。

それでも最後には許される自分。

何度でも再生できる自分。

彼もまた、

自分が主人公であり続けるための物語

を愛している。

だから二人は互いを愛している。

しかしそれだけではない。

互いを使って、自分自身の価値を確認している。

彼は新しい女性によって、

「自分はまだ欲望される男だ」

と確認する。

彼女は傷ついた彼を受け入れることで、

「自分こそが最後に選ばれる女だ」

と確認する。

彼が逸脱するほど、彼女の救済は劇的になる。

彼女が救済するほど、彼の帰還は保証される。

これは恋愛である。

同時に、自己価値を補給し合う装置でもある。

家族である。

同時に、破壊と再生を演じ続ける舞台でもある。

一文で言えば、これは、

自己価値を確認するために逸脱を反復する男性と、その逸脱を愛によって終わらせることで自らの特別性を証明しようとする女性が作る、「裏切りと救済の反復共同体」だと言えます

こうした関係性を深く描いた名作が映画「存在の耐えられない軽さ」です

Posted by nolongerhuman