「味の素」「ガスト」のAI使用炎上に見る生成AI時代に必須の「覚悟」とは?

AI魔女裁判, 生成AI

ここ数年、僕はずっとアンチAIの人たちと真摯に向き合ってきた。

「AIは盗作だ」
「クリエイターの仕事を奪う」
「環境を破壊する」
「こんなものはクリエイションではない」

そういう言葉に対して、だったら一個ずつ話しましょうよ、と。

生成AIだけを切り離して悪魔化するのではなく、YouTubeもGoogleもTikTokも巨大な計算資源の上に成立しているじゃないか。

写真が登場したとき、サンプリングが登場したとき、DTMが登場したとき、CGが登場したときにも同じような議論はあった。

新しい技術が登場したときに必要なのは魔女裁判ではなく、どう社会実装するかを考えることなんじゃないですか、と。

僕はずっとそう言ってきた。

だから最近の一連の出来事を見ていて、ちょっと腹が立っている。

ただし今回はアンチAIに対してではない。

AIを使っている側に対してだ。

問題は「AIを使ったこと」ではない。

なんでそれをそのまま世の中に出したんだよ!!!と

文字が崩れている。

商品のロゴが変わっている。

自社の商品なのに。

それを誰もチェックせず投稿した。

これは生成AIの問題ではない。

完全に制作の問題だ。

同じように、街の飲食店でAI生成された料理写真が貼られ、唐揚げなのか何なのかわからない物体が皿に盛られている。

そして炎上すると、

「生成AIを使用していました」
「不快な思いをさせて申し訳ございません」
「今後気をつけます」

いや、

そこで「ごめんなさい」だけで終わるなよ!!!!

勘違いしてほしくない。

確認不足は謝ればいい。

間違った商品情報を出したなら訂正すればいい。

企業なら当然だ。

僕が言っているのは、

「AIを使ったことそのもの」を犯罪の自白みたいに差し出して終わるな

ということだ。

作ったのはAIじゃない。あなたですよ。

AIが勝手にXに投稿したわけじゃない。

AIが勝手に看板を印刷したわけじゃない。

生成ボタンを押して、選んで、採用して、公開した人間がいる。

だったら最後まで責任を持てよ。

ここが、僕が最近ものすごく引っかかっているところだ。

そしてこれは、僕にとってある意味ではアンチAIから攻撃されるより辛い。

味方に後ろから撃たれている感じがするのだ。

なぜなら彼らはAIを使っている。

だけど、AIを使いこなそうとしていない。

AIを使いこなそうとしない人々

生成AIの最大の革命は、誰でもクリエイションに参加できることだ。

これは間違いなく素晴らしい。

絵を描けなかった人が絵を作れる。

カメラを持っていなかった人が映像を作れる。

楽器を弾けなかった人が音楽を作れる。

僕はこの民主化を全面的に支持している。

でもここには、一つ巨大な勘違いがある。

「誰でも作れる」と「何を出してもいい」はまったく違う。

昔だって酷い絵を描く人はいた。

酷い自主映画を作る人もいた。

酷いバンドもいた。

酷いデザインも山ほどあった。

ただ昔はそれが大学のサークルとか、ライブハウスとか、仲間内とか、コミケの片隅で「お前これヤバいだろwww」と笑われて終わっていた。

ところがSNSは違う。

今はボタン一つで世界公開だ。

昨日生成AIを触り始めた人の作品と、20年間その仕事をしてきた人の作品が、

同じタイムラインに並ぶ。

ここが革命であり、同時に恐ろしいところなのだ。

だからこそ必要なのは規制でも資格でもない。

僕はそんなことを言いたいんじゃない。

必要なのは、覚悟だ。

AI以前のクリエイターには、嫌でもそれがあった。

映画を一本撮ったら、

「つまらない」

と言われる。

曲を出したら、

「ダサい」

と言われる。

デザインを出したら、

「センスがない」

と言われる。

評論を書けば、

「お前は何もわかっていない」

と言われる。

当然だ。

表現を世界に出すというのは、そういうことだからだ。

だからクリエイターはそこで戦った。

説明した。

反論した。

次の作品を作った。

直した。

研究した。

技術を磨いた。

何年も何十年もそれを繰り返した。

もちろん誹謗中傷まで受け入れろという話ではない。

でも、

自分の作ったものについて問われたとき、自分の言葉で答える。

これはクリエイターの最低限の責任だった。

ところが生成AIになると、突然、

「AIがこう作ったので……」

になってしまう。

知らんがな!!!!!!!!

Photoshopが勝手に広告を作ったのか。

Premiereが勝手に映画を編集したのか。

ギターが勝手に曲を書いたのか。

違うでしょう。

AIも同じだ。

出力された100枚から1枚を選ぶのも人間。

プロンプトを書くのも人間。

リファレンスを選ぶのも人間。

修正するのも人間。

そして何より、

「これを世の中に出そう」と決めるのも人間だ。

だったら責任の所在は明確だ。

あなたである。

ここで僕は、アンチAIの人たちに対して申し訳なくなる瞬間すらある。

彼らがずっと言っていた、

「AI作品は雑だ」
「魂がない」
「クリエイターを舐めている」

という批判を、
AIを使っている側が自分で証明してどうするんだ。

やめてくれよ。

こっちはずっと、

「AIでもちゃんとクリエイションはできる」

と言って戦っているんだ。

AIだから雑なのではない。

AIだから愛がないのでもない。

AIだからコピーなのでもない。

使う人間次第なんだ、と。

そう言い続けている横で、

文字が崩れたまま投稿する。

六本指のまま出す。

料理なのか何なのかわからないものを商品写真にする。

そして炎上した瞬間、

「AIを使用してしまいました。申し訳ありません」

と逃げる。

そりゃ生成AIは永遠に信用されないよ。

むしろ僕がアンチAIだったら最高の証拠として保存する。

だから僕はAIを使う人たちに言いたい。

もっとAIを使え。

もっと研究しろ。

もっと失敗しろ。

100枚生成して99枚捨てろ。

新しいモデルが出たら試せ。

プロンプトを研究しろ。

そして最後は人間の目で見ろ。

違和感があったら直せ。

わからなければ調べろ。

そして世の中に出した瞬間から、

「AIが作りました」は言い訳にならない。

それはもう、あなたの作品だ。

攻撃されたら、暴言で殴り返せという意味ではない。

逃げずに説明しろ。

なぜAIを使ったのか。

この表現で何をしたかったのか。

なぜこのアウトプットを選んだのか。

技術的な問題ならどう改善するのか。

ちゃんと自分の言葉で話せ。

それがクリエイターだろう。

僕たちはいま、生成AIという人類史でもとんでもなく巨大な表現装置を手に入れてしまった。

だからこそ問われているのは、

「AIを使ったか、使っていないか」

なんていうくだらない二択ではない。

その道具を使って、あなたは何を作ったのか。

そして、

その作ったものに、あなたは責任を持てるのか。

そこだ。

僕が守りたいのは、

生成AIによって生まれようとしている新しいクリエイションの可能性だ。

だからこそ言う。

AIを使うなら覚悟を持って使え。

「誰でも作れる」という革命に乗るなら、

「誰でも批評される」という責任も引き受けろ。

そして批判された瞬間に、

AIを犯罪道具みたいに差し出して逃げるな。

作ったものに責任を持て。

それができない限り、

生成AIコンテンツは永遠に

「安い」
「雑」
「盗んだ」
「魂がない」

と言われ続ける。

逆にそれができるようになった瞬間、

初めて世界は気づくだろう。

問題だったのは、

AIだったのではない。

最初から最後まで、

使う人間だったのだ。

Posted by nolongerhuman