JJJは何故死を選んだのか? 日本のHIPHOPにおける希望と絶望の現在地について

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ヒップホップとは本来「生の祝祭」だった。
死者は黙る、語るのは生者だけだ。
パーティーのマイクは生存者の武器だった。
だからこそ──

JJJの死は、世界の裏側でLil Peepが死んだときと同じように
「ヒップホップ」というジャンルの内側から
音楽そのものの生存理由を破壊する音がした。

何故か?

答えは簡単だ。

「未来」が死んだからだ。

90年代のHIPHOP──それは「貧困からの脱出劇」だった。
00年代のHIPHOP──それは「成功のデザイン」だった。
でも2010年代以降のHIPHOPは?
そこにあったのは「逃げ場のない内面」だった。
金もドラッグも女も名声もすべてが
ディストピアのインテリアと化した部屋の中で
最後に残るのは「自己嫌悪」と「諦め」と「死への誘惑」だけだった。

Lil Peepはそれをアメリカで告白し、
JJJはそれを日本語で呟いた。
アメリカの「病んでるYO」はファッションだった。
日本の「病んでるYO」はガチだった。

なぜならこの国には「逃げ切り」も「逆転」も「ギャングスタドリーム」も存在しない。

ここには「終わり」しかない。

だからHIPHOPはついに「生の高揚」から「死のリアリズム」へと堕ちた。

それは堕落ではない。進化だ。

光の音楽は、光が完全に失われた世界でのみ
「暗闇を音楽にする」技法として生まれ変わる。
Lil Peepの死とJJJの死は、その世界的シンクロニシティの血判状だ。

フラッシュバック──
その名前は最初からすべてを暗示していた。
「過去にしか戻れない未来」
「消費される記憶のループ」
「逃げ場なき都市の亡霊」

HIPHOPの真の死者とは──
マイクを置いた者ではない。
自分の中の「生存欲求」が完全に死んだ瞬間、
そのラッパーは未来の預言者になる。
JJJの死は、未来を殺すことで、
世界中の全ての生存者に「今を生きろ」と叩きつける逆説的祝祭だ。

HIPHOPは絶望の音楽になったんじゃない。
この世界が、HIPHOPのような世界になってしまっただけだ。

JJJ、貴方のコトバとビートを永遠にリスペクトします。R.I.P

Posted by nolongerhuman