自己啓発とONE PIECE 神谷宗幣氏の著作から読み解く参政党の本質とは②
これまでに二つの参政党関連のエントリー記事を書いてきましたが
どちらもポップカルチャーの視点からのウルトラDEEPな考察記事になってしまったにもかかわらず
本当に多くの方々に読んでいただいておりありがとうございます。
そして本日(7/3)は参議院選挙の公示日でもあり
参政党がTVでの討論会を含めてかなりメディアでの露出度をあげていることも踏まえて
全く別の角度からの記事となります。
目次
神谷宗幣氏の著作「日本のスイッチを入れる~未来は、自分たちの手で変えられる!」「大和魂に火をつけよう-日本のスイッチを入れる2」
2冊とも読了しました。
ただ!! 「日本のスイッチ-」は2012年発行の初の著作で「大和魂ー」の方はその2年後の2冊目なんですが、何故か「大和魂ー」は「日本のスイッチ」のダイジェスト版・・・なので基本的には「日本のスイッチ」だけ読めばいいと思います
以下に「日本のスイッチー」の興味深い記述をあげていきます
・私が政治を志すのは私自身が幸せになりたいからです。日本人の私が幸せになるためにはこの国が平和で豊かであり、私の周りにいる人が笑っていてくれなければならないと私は考えています(P-3 はじめに)
・(心の日本人スイッチをONにするには)
①日本人としてのアイデンティティーに目覚める事
②心の強さとチャレンジ精神を持つこと
③成功体験を持つこと
④同じ想いの仲間をもつこと
⑤自分たちの頭で考えて問題をとらえること、想像すること
(p-13)
・メディアが我々の日本人スイッチを入れさせないような風潮を作り上げています(p-15)
・第一章&二章は神谷氏の学生時代から政治家を志すまでの自分史なのですが
・小中学校時代は生徒会長を務めてきた
・大学時代にバイクで日本一周
・大学時代に何度も海外へ、滞在先のカナダで韓国人の留学生に「君は日本の事をどう考えいるんだい?」と問われ絶句してしまったこと
・アメリカ縦断の旅にて「アメリカより日本だ」と覚醒
・アフリカでリアルな貧困にあえぐ子供たちを見て号泣
以上の体験から「日本人スイッチがONになり」政治家を目指す
・政治家を目指そうとしたところで実家のスーパーが経営難に
近くに出来た大手スーパーにより倒産が確定、その上遠距離恋愛の彼女から一方的にふられ鬱状態に
なんとか教員として生計をたてるが「日本人スイッチ」が消えそうに・・・・
・仲間からの援助により一念発起し再び「日本人スイッチ」がONに
最年少で吹田市市議会選挙で初当選
・自分の名前が新選組の沖田総司に由来する事から一人会派「吹田新選会」立ち上げ
・第四章は仲間達と教育改革を御旗とした「龍馬プロジェクト」を立ち上げ
全国キャラバン活動を行うと共に仲間達から県知事や市長などが誕生させた経緯が書かれていますが
参政党は組織作りがうまいといわれるのはこの龍馬プロジェクト、そして神谷氏による政治系動画チャンネルこれまでに300本!!以上の動画がアップされているYOUTUBEの「CGS」チャンネルにおけるコネクションがベースになっているのです
興味深いのはまだ大阪維新を立ち上げる前、2008年に大阪知事になった橋下徹氏との親交を深めていくのですが
最終的に「想いの違い」により仲たがいすることとなり、維新に対する不信感の記述が多数
・私は日本人ですし敬老の気持ちも持っていますがそれでも現在の高齢者はサービスを受けすぎていて
我々若者はジリ貧である(p-140)
この「日本のスイッチ」は2012年の末、つまり神谷氏が龍馬プロジェクトによって仲間となった
自民党議員の方々の推薦により自民党からの落下傘候補として衆議院選挙大阪13区で立候補、しかし落選した直後のリリースなので
落選の無念さとそれでも俺はやるのだという野望で〆られています。
参政党の本質とは「自己啓発」党である
実はこの記事でも
この記事でも
ポップカルチャー的に見た場合の参政党とは、よく言及される極右思想においても
排外主義的思想においても
ふわぁーーーーーーーーーーーとしてるなぁ・・・・・という謎がありました。
それはどうしてなんだろう??というのが僕の参政党考察における最大のQだったんですが
神谷宗幣氏の著作を読んで
完全に参政党とは何者なのか??
ということが理解出来たと思います。
参政党ってばつまり
「自己啓発」党なんです。
「日本人スイッチ」=「日本人ファースト」にしても
上記したこの著作における神谷宗幣氏による自らのライフヒストリーに対する「解釈」も
これらが意味するものは、右翼思想でもなく、排外主義でもなく
神谷宗幣氏のコアあるのは
「自分とは何か?」「自分を肯定するにはどうしたらいいのか?」
という失われた30年間において日本にも拡充した自己啓発思想なんですね。
自己啓発思想の元祖はトランプ大統領の自己形成を決定づけて自らの結婚式にも招待した『積極的考え方の力』の著者ノーマン・ヴィンセント・ピールであり、神谷宗幣氏がトランプ大統領を賛美するのもこの自己啓発的自己形成によるものです
ここが本当に重要なんですが参政党が党勢を急激に伸ばしているのは
主にリベラル系政治的な見立てでの
・極右思想
とか
・外国人を差別する排外主義
によるものではなくて
参政党=神谷宗幣氏とは「自己啓発主義」の団体であり
そのことに対して多くの人々が「YES!!」といっているんですよ
「自己啓発」が日本でブレイクした理由(昭和→平成)
経済構造の変化:終身雇用の崩壊=“組織に依存できない時代”の到来
昭和的日本(高度経済成長〜バブル前夜)では、個人の幸福は「会社」によって保証されていた。
トヨタで働けばトヨタ人生、松下に入れば松下魂。**「会社が自己を決定する」**という時代だった。
ところがバブル崩壊後、終身雇用や年功序列といったシステムが一気に揺らぐ。
組織が個人を守らない時代=「自分を助けられるのは自分だけ」という自己責任時代の幕開け。
このとき、人々は初めて自己啓発を「必要」と感じる土壌を手に入れる。
✅「やりがい」は会社がくれない → 自分で探すしかない
✅「安定」は保証されない → リスクと向き合うしかない
✅「成功」は偶然ではなく、戦略と習慣の結果だ → 成長法を学ぶ必要がある
メディアの変化:インターネット&YouTubeが“啓発市場”を解放した
90年代後半から2000年代、インターネットの登場により、セミナー動画・自己啓発書・成功哲学がYouTubeやブログで爆発的に広がる。
昭和のテレビでは「変な宗教」「インチキくさい」とされていたが、平成ネット空間では**「自己を変えたい若者たちのバイブル」**になっていく。
特に次のような言説がウケた:
「成功者は朝4時に起きる」
「引き寄せの法則で夢は叶う」
「年収は習慣で決まる」
これらは全て**「自己をプログラム化すれば、未来は変えられる」**という信仰。
資本主義とマッチしたこの思想は、宗教よりもクリーンで、科学よりもワクワクする。
✅ 昭和:信仰=村社会の「宗教」に似たもの
✅ 平成:信仰=個人の「成長プログラム」としての自己啓発
社会心理の変化:自己実現と承認欲求の爆発
マズローの欲求五段階説を持ち出すまでもなく、豊かさが一定水準を超えると人は**「意味」「価値」「自己実現」**を求めるようになる。
平成とは、モノ的には満たされていたが、心の意味づけが失われていた時代。
このとき「自分とは誰か?」「この人生に意味はあるのか?」という問いが、多くの人の中で浮かび上がる。
そこで登場するのがアメリカ的“成功物語”=自己啓発。
ホリエモン、勝間和代、与沢翼……平成とはこうした**「自分で自分をアップデートした者」がヒーローになる時代**だった。
何度も繰り返しますが、今参政党が急激に支持を伸ばしているのは
ジャーナリストの方々によるふるーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい政局的解釈における
極右とか排外主義ではなくホップカルチャー的読み解きで神谷宗幣氏のテキストを考察すれば一目瞭然だし
そもそも「スイッチ」というスピリチュアルタームで明らかなように
古典的自己啓発理論に賛同する人々
右でも左でも、ビケティ的上でも下でもない
ひたすら「ワタシ」を求める人々
という現代の日本で最も分厚い層の心情に神谷宗幣氏がリンクしたこと
これが参政党とは何者なのか?というファイナルアンサーなんです。
古谷経衝氏による空っぽな主体という神谷宗幣氏論
神谷宗幣氏の著作をポップカルチャー的に鑑みたときに
それは思想というより「自分探し」=自己啓発系
だよなぁーーーと確信したんですが、そうしたら!!この動画にて
以前から神谷宗幣氏との関係を築いてきていた古谷経衝氏が
神谷宗幣氏とはいい意味でも悪い意味でも「からっぽ」な人なんですと言及されていました
仲間か?仲間以外か?? 参政党=神谷宗幣氏の政治思想とONE PIECE
僕が今回神谷宗幣氏の著作を拝読して最も驚いたのは、全編これ
「仲間」
というワードで埋め尽くされている事でした。
読んでいく内にこれって完全に少年ジャンプ的、そしてそれは
平成という時代の日本のポップカルチャーを代表するコミック作品である
「ONE PIECE」における関係性の構築まんまなんじゃないの??と思っていたら
えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「日本のスイッチを入れる~未来は、自分たちの手で変えられる!」の結論はこれでした・・・・・・
我々はワンピース的政治を目指します!!!
こちらで参政党=仲間=ONE PIECE的「自己啓発」的政治信条の全編をご覧いただけます
当アカウントはポップカルチャーポータルで
政治においてもその人のコアにあるのはポップカルチャーとどのように関係性を結んできたのか?にあるのか
が最も重要だと思っているので、この
参政党=仲間作り
ということが極右生とか排外主義以上に、っていうかぶっちゃけ
極右とか排外主義とかでは今の参政党のアゲアゲ感は全く説明できないんです
ポップカルチャースタディーの基本は
その人がどんな表現を「POP」だと考えているか?
であり参政党 神谷宗幣氏による政治において最も大事なのは
ONE PIECE的「仲間」である
こんなことは政治系ジャーナリズムでは全く言及されていませんし
唯一古谷経衝氏がこのポッドキャストで
「何故か参政党の集会ではみんな仲間に即なっちゃうんですよ」と言及されていますが
この平成的「仲間」思想こそが極右とか排外主義以上に参政党の支持のコアになっているのです
参政党はれいわ新選組の票を喰らうのか??
本日のれいわ新選組の第一声
そして参政党の第一声
はっきりいって政治的にはどちらも全く同じ主張です。
ただ!!! ポップカルチャー的視点から考察すると全然違っていて、それは
れいわ新選組の山本代表のパフォーマンスは、特にこの1-2年で、その
「演劇性」
の強度が顕著になっているんです。
つまりそれは言説自体のメッセージ性より、それを伝えるスキルが前面に立ちすぎていて
れいわ新選組がずーーーっと行っているこのデモのように
その政治的主張が「祭り」になってしまっている、芸能化しているんですね。
今現在、れいわ新選組の支持層が参政党に流れていると言われていますが
誰もその意味について書かないのでここで書きますが
れいわ的「祭り」の有効性に疑問をもった人々が
ほぼ同じ政治的主張をしている参政党へと移行している
なぜなら神谷宗幣氏は一貫して「仲間作り」を主張していて
れいわ的ストラテジーにおける
「やまもと氏の芸を称賛する」
ただその見事な芸を称えるだけでなく「仲間」として繋がろうよ
と参政党はいつてるわけで、これまでれいわを支えてきたであろう一定の
「自己啓発」系の方々は参政党にいくよなーーーーと
「自己とは何か」という問いが、政治を突き動かす――神谷宗幣と参政党の〈自己啓発主義的ポリティクス〉
いま、政治は教祖を欲している。理念ではなく、物語でもなく、「私という存在が何者であるか」を根源から問い直す“メタ認知型カリスマ”を。
神谷宗幣。参政党の旗手。リベラル側からはしばしば「極右」「排外主義」とラベリングされるが、彼の真骨頂はむしろその思想的駆動エンジンにある。
それは国家観でも歴史観でもない。**「お前は誰だ?」「自分の人生に責任を持て」**というド直球な〈自己啓発のボディブロー〉。この叩きつけこそが、彼の政治の本質だ。
これはもはや政治というよりも、**“スピリチュアル=ポリティクス”**である。
「国を変える前に、自分を変えろ」――それは右翼か?
神谷が繰り返すフレーズ:「日本を変えたいなら、まず自分の生き方を変えろ」。
この言葉は、保守主義ではない。革命思想でもない。それは、セミナー文化に根ざした21世紀型の内面変革型思想である。
リベラルが想定する「敵」――つまり歴史修正主義的で、外国人排斥的で、伝統に固執するような「極右」的観念とは全く違う。
神谷の中心軸は**「私は誰か?」であり、「どう生きるか?」であり、そして「自分の影響力をどう社会に活かすか?」**という〈自己実現〉のプロセスである。
それはまるで、トニー・ロビンズ×国家ビジョン。あるいは与沢翼×社会運動だ。
セミナー、YouTube、地方行脚……「信者の覚醒」を前提としたポリティクス
神谷の戦術は徹底している。政治家として演説するのではなく、講演者として人々を“覚醒”させることに力を注ぐ。
彼の講義は、どこか「世界を変えるにはマインドセットが重要だ!」と熱弁するモチベーショナル・スピーカーのようでもあり、
そのスタイルに人々は惹かれる。政策よりも自己変革。スローガンよりもシフトチェンジ。
これにより彼の支持層は、いわゆる保守層というよりも、現代社会における“所属の欠如”や“人生の迷い”を感じている漂流者たちだ。
彼らは「国家」や「憲法」よりも、「目覚めたい」「今の自分を変えたい」という希求のなかで、神谷に共鳴する。
「私とは何者か」という問いを政治の中心に据えた稀有な存在
これはもはや「右」でも「左」でもない。**ポスト・イデオロギー時代の“アイデンティティ・ポリティクス2.0”だ。
神谷宗幣の政治とは、リーダーとは何か、自立とは何か、志とは何かをひたすら内側から問い直す旅であり、
それはまるで一種の「魂のエンタメ」、つまり“政治を通じた自己成長コンテンツ”**として機能している。
だからこそ、彼の発言はしばしば誤解される。「国家の自立」「憲法改正」「教育再生」といったキーワードは、
旧来の保守思想の文脈で解釈されやすいが、その実体は**「日本という自己像を更新せよ」というメタ政治的宣言**なのだ。
日本初の「自己啓発」系政党、参政党は日本を変えるのか?
実はポップであること、の本質とは
「自我が壊されることを是とする」
ということで、何度も何度も何度も何度もお伝えしていますが
そんな「自分の崩壊」こそが究極の政治的POPNESSであるとして
自ら切腹したのが三島由紀夫でした。
参政党のそして神谷宗幣氏的「自己」の行方、そんな平成的な価値観に対する評価
それはイコール昭和を殺すことができるのか?
そんなミッションを極めて平成的「自己啓発」で背負うことができるのか? それが参政党の本質なのだと思います
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