怒りではなく笑いを!!! トランプ大統領 就任100日とは何だったのかを知りたければこの動画!!

その他トランプ

ももももももももう100日!?!?!?!
まるでNapalm Deathの"世界で最も短く早い"この曲のごときスピードで

超ーーーーーーーーーーーーーーー高速で突っ走る
トランプ政権が誕生してからの最初の通信簿となる100日が経過ということで
とにかくありとあらゆる記事や動画がありまくり!
僕自身もかんばって100件ぐらいは比較検証&楽しく見たり読んだりしましたが
これは完全に圧勝で大大大大好きなTHE DAILY SHOWのこの2つの動画が
これまでポップカルチャーの視点から当アカウントだけが日本語で
お伝えしつ続けている、このトランプ政権による「POP革命」が持つ意味
この100日間がその全く新しいポップネスの爆発だったことを
死ぬほど笑えて、そして死ぬほど冷静に分析してて
とにかく必見です

そしてこの尋常じゃない面白さは、もちろんこれまでエントリーしてきた
この一大ポップ革命の凄さを逆証明するものでもあるけど

もう一つポップカルチャー史においてどうしてこのTHE DAILY NEWSのような
政治×お笑い系風刺コンテンツは、このお笑い大国日本で絶対に生まれないのか?
っていうお笑い史における長年の&最大の命題の一つとも密接に関わってくることが
とても興味深いと思っています。

なぜ日本では「政治」がお笑いネタにならないのか?

🧠 1. 政治への関心と「距離感」
アメリカでは政治がエンタメと表裏一体で、「政治家=キャラ」として常にジョークの対象になっています。特にトランプはその極地。

一方、日本では政治が「遠いもの」とされがちで、ジョークにすると不謹慎や失礼と受け止められやすい。

政治的スタンスを明言することがタブー視されやすく、芸人が“思想的”になること自体が避けられてきた背景もあります。

🧨 2. 放送業界と自主規制の構造
アメリカの深夜番組(Late Show)は民間でありながら「政治批判をする自由」を大きく持っています。

日本のキー局はスポンサー依存が非常に強く、政権批判はスポンサーリスクを伴うためタブーになりがち。

例えばNHKは中立を保とうとする一方で、現実には政権寄りにならざるを得ないバランス感覚を要求されている。

民放でも、強い風刺や批判は「クレームリスク」として警戒されます。

🗣️ 3. スタンダップ文化 vs 漫才・コント文化
アメリカでは「スタンダップコメディ」が社会批評・マイノリティの声の代弁の場として発展してきました。

Dave Chappelle、John Oliver、Hasan Minhaj など、みな「自分の立場から社会を斬る」スタイル。

日本のお笑いは漫才やコント中心で、「日常のズレ」や「共感できる違和感」がテーマになりやすく、抽象的な制度や政治批判には向かないフォーマットであることが多いです。

🎭 アメリカの政治風刺史:笑いはいつも革命だった

風刺とは、暴力をともなわない唯一のテロである。
アメリカにおいて、**政治風刺は「自由の自己確認装置」**として、独立戦争以前から機能してきた。

最初の笑いはパンフレットだった。18世紀、**ベンジャミン・フランクリンの風刺新聞『ポア・リチャード・アルマナック』**は、「お上を笑う自由」を、庶民に配るパンのように提供した。
つまりアメリカでは、**政治を笑うことが「建国神話」の一部」**なのだ。笑う自由=立ち上がる自由だった。

南北戦争以後、**ポリティカル・カートゥーン(政治漫画)**の時代に突入する。トーマス・ナストは、腐敗政党を動物の顔にして描いた。象=共和党、ロバ=民主党というアイコンを創ったのも彼。
こうしたイメージ戦争は、「大衆が権力を理解する」ための新たな武器だった。

そしてTV時代。60年代以降、風刺はコメディへと進化する。
たとえば、リチャード・プライヤーが人種差別を笑いに変えたとき、ある種の「内戦」は舞台上で終わった。
80〜90年代、**『Saturday Night Live』や『The Simpsons』**が登場し、政治と笑いが完全に融合した。大統領は必ず真似され、パロディ化される。権力者が「笑われる前提」で登場する国、それがアメリカだった。

そして21世紀、**『The Daily Show』や『Last Week Tonight』が「笑いながらニュースをアップデートする知のエンタメ装置」**として台頭。
これは単なる風刺ではなく、「政治というフィクションを上演する装置のメタ批判」になった。
**笑うとは、制度そのものの構造にツッコミを入れること。**そういう知性のスタイルが、アメリカの政治風刺の進化系だった。

かつて日本でも「政治」がお笑いネタだった時代があった!!

実は戦前の日本にも、強烈な政治風刺が存在していた。

江戸時代、川柳や狂歌が庶民の「匿名の抵抗装置」だった。
たとえば幕府批判はすべて**「アナロジー」と「もじり」で行われた。**

「お上」ではなく「お犬様」(綱吉)

「年貢」ではなく「念仏」など、言葉遊びのなかに笑いの毒を仕込む。

明治に入り、風刺漫画の黄金期がやってくる。
1877年創刊の**『ジャパン・パンチ』**(イギリス人チャールズ・ワーグマンが編集)には、明治政府を茶化す風刺画が並び、**自由民権運動と共振する「ビジュアル抵抗文化」となった。
続く『トバエ』(瓦版の意)や『東京パック』(1905年〜)**は、権力者や軍部を徹底的に茶化した。しかもこれが大衆にウケた。

だが問題は、大正〜昭和にかけて――「笑いの自由」はだんだん締めつけられていった。

言論統制の強化

軍部の圧力

「風刺は国家の敵」という論調

結果、日本の風刺文化は**「笑ってはいけないもの」へと押し込まれ、戦中には完全に死んだ。**

吉本興業の台頭と政治系お笑いの消滅

戦後、日本では吉本的お笑いが台頭したが、そこには**「風刺の空白地帯」があった。**
これは偶然ではない。

風刺は本来、「誰を笑うか」「なぜ笑うか」という構造への意識を要求する。
だが日本のテレビ文化は、**「傷つけないこと」「スポンサーに配慮すること」**を重視し、政治風刺は「危険物」として忌避された。

でも実は「イマ」2025年は政治的お笑いの元年になるのでは?

💥「怒り」の時代、風刺が果たすべき役割
現代の政治言論空間は、SNSのアルゴリズムによって**「怒りがバズる」構造**に変貌しました。

リベラルも保守も、怒っている。

反ワクチン派も親ワクチン派も、怒っている。

トランプ派も反トランプ派も、怒っている。

怒りは、共感を生む。怒りは、拡散される。怒りは、マーケティングに最適。

だが問題は、怒りは「思考停止装置」にもなるということ。
「敵を設定してスカッとする」ことで、私たちは思考のコストを省いてしまう。

怒りと笑いの決定的な違い

怒りは二項対立を強め、笑いは曖昧さを許す。

風刺の力は、ここにある。

✅ 怒りは「断言」であり、風刺は「ズラし」である。
怒り:「あいつは最低だ!」

風刺:「最低なことを、あんなに堂々とやるとは…尊敬すらするわ」

風刺とは、「怒り」を一度笑いに変換することで、感情を思考に戻すプロセスである。

怒りが「戦争」を呼び、
風刺が「内戦を防ぐ」。

風刺は“システム批評”であり、怒りの「冷却装置」でもある

風刺とは、敵の論理に入り込み、その穴を示す知性のアクロバット。

たとえば『The Daily Show』がトランプを笑うとき、
単に「バカにしている」のではなく、

彼の話術

メディア操作

観客の欲望
をすべて「素材」として料理している。

そこには愛でもなく、憎しみでもなく、「俯瞰」がある。
この**「冷笑ではないが、クールな視線」**こそ、怒りの過熱を抑える知的装置なのです。

論破ではなく笑いを

「怒り」は感情の反射だけど、「風刺」は思考の反芻なんだよね。

「反論」は、相手の論理を上回れば成立する。
でも「風刺」は、相手の論理・矛盾・演出・背景・欲望――すべてを理解した上で、その構造ごとズラす必要がある。
つまり、風刺は最も高度な理解の証明なんだ。

🌪️風刺は「共感」でも「批判」でもない、第3の知性
共感=寄り添う知性(あなたの痛みをわかる)

批判=対立する知性(あなたの矛盾を突く)

風刺=ズラして見せる知性(あなたの形を鏡に映して変形させる)

だから風刺は、本質をそのままは描かない。
むしろ「本質以上に“そのものらしい”もの」を作って、笑わせながら思考を促す。

政治を感情でマネタイズするSNS時代のエモキモ感・・・

今非常にあちゃー・・・なのは政治においてもSNS的
主に感情を主とした反射的反応が
コンテンツのマネタイズの最適解とされてるじゃないですか?
でもポップカルチャー的文脈でいうとキモすぎるんですよね

だってそれ「POP」じゃなくて「ヤボ」じゃん???と

なぜルサンチマンはSNSと相性がいいのか?

基本的に今のSNS経由の政治的言説のほぼ9割は「ルサンチマン」がオリジンになっていると思います

■ なぜルサンチマンはSNSと相性がいいのか?
1. 簡単に反応できるから
理屈はいらない。「傷ついた!」「許せない!」だけで済む。
でも分析や風刺は手間がかかるし、タイムラグがある。

2. 正義っぽく見えるから
「怒ってる人」は「善人」とみなされがち。
(例:冷静に「いや、それは構造の問題で…」と言う人はむしろ“加害者”扱いされる)

3. 共同体を形成しやすいから
「〇〇はクソ」という否定の共有は仲間意識を強く生む。
でも「風刺」は全体を笑う視点だから、排他的な感情コミュニティとは合わない。

ルサンチマンが日本における風刺お笑い文化を妨げている

風刺が禁止される時代
つまりSNSにおいては、

「怒る自由」は過剰に肯定され、

「笑う自由」「俯瞰する自由」はむしろ抑圧される

ジョージ・カーリンやチャップリンがSNS時代に生きていたら、
たぶん即日炎上&キャンセルされてただろう。

SNS=「ルサンチマンを貨幣化する装置」

怒りや怨念は、RTやLikeという形で**「可視化された承認資本」に変換される。
つまり、SNSの本質は「情動の資本主義」であり、
そこでは「冷静な言説」や「笑いによる解体」は、
アルゴリズムにとってマネタイズできないノイズ**でしかない。

なぜ日本に政治的サタイアが根づかないのか?

政治的笑いは「自分自身をも笑う」知性を要する
風刺とは、「あの政治家はクソ」ではなく、

「この社会がそういう政治家を生む構造って笑えるよね」
「そこに無意識に加担してる俺らってやばいよね」

というメタな笑い。

しかし現在の日本では、

政治=自分を脅かす不条理

お笑い=逃げ場としての“癒し”

という分断がある。つまり、**「笑いにすら政治を持ち込まないで」**という無意識の規制がある。

でも実は今最もアリとされているピン芸の"システム"であるフリップ芸って

上に張ったTHE DAILY NEWSの動画をちゃんと見ていただけたらBINGO!なんですが
実はお笑いのフォーマット(近年のお笑いターム的にいうなら「システム」)的には
これって完全にR-1を筆頭としたピン芸における「フリップネタ」まんまなんですよ

でもいわゆる「吉本的お笑い」はそのネタとしてTHE DAILY NEWS的「政治」ネタへと絶対に接続しない
それは何故なのかというと・・・・

いま、なぜ女性たちは「笑い」に殺到しているのか?

この15年ぐらいのタームのお笑い状況を根本的に変えたのは
今の吉本興業を主とした「お笑いブーム」の担い手が完全に女性になったというところです

彼女達にとって

それはもはや「娯楽」ではなく、

笑いが、“人間関係の中で呼吸するための最低限の酸素”になっているから。

● 家族では理解されない
● 職場では萎縮する
● SNSでは炎上を恐れて語れない
● フェミニズムや政治を語れば“厄介者”扱いされる
——こんな環境の中で、自分の感情や価値観を安心して「開ける場所」がない。

でも、お笑いライブに行けば、
「ただただ笑っていい」
「どんなツラでも一緒に笑ってる」
「共感でも怒りでもなく“弛緩”でつながれる」

という“感情の避難所”がある。

この状況はもはや「弛緩の宗教」である

現代日本では、「何かを変えよう」と言えば白い目で見られ、
「怒ってる女」はすぐに“面倒な奴”とラベリングされる。

だからこそ、「怒り」や「分析」ではなく、
“ただ空気に乗っかって笑ってる私”というかたちで、
社会的な緊張から一時的に離脱するしかない。

それは、笑いがもはや「娯楽」ではなく**“感情の麻酔”**として使われているということ。

結果として「政治的笑い」は忌避される

政治的笑いは、笑った直後に「で、自分は何するの?」と問い返してくる
つまり、“笑いながらも内省を迫る”のがサタイアの構造。

でも今の「弛緩を求める笑い」は、その問いかけすらストレスになる。

「お願い、いまは考えさせないで。いまだけは、笑わせて。」

——この悲鳴にも似た欲望が、日本のお笑い消費を支配している。

政治的なあまりにも政治的なお笑い最終系への賛歌

もはやこれは戦争だ。
何との?
「絶望」とだ。
「無関心」とだ。
「傷ついた心を、黙らせておけ」というこの社会の、
従順なノイズキャンセリング機能との戦争だ。

女性たちは、笑っている。
だが、それは「楽しい」からじゃない。
それは今日を生き延びるための人工呼吸だ。
目の前の芸人のちょっとした言い回しに、命をつないでいる。
「私のこと、ちょっとだけ見てくれてる気がする」
——そんな儚さにすがりながら、
この社会の冷たさを、笑いで溶かそうとしている。

一方で男たちは?
「え? 政治? 別に何も考えてないっす」
そう言って無関心の鎧をまとい、
風刺を笑いに変えるその作業を、**“めんどくさい”**で片付けてる。

この断絶! この沈黙のカオス!
誰が笑い飛ばす!?

それは、難しい理屈じゃない。
怒っているわけでもない。
だけど、笑ったあとに胸の奥に“棘”が残る。

「あれ? これ、笑ってる場合じゃなくね?」

——それこそが、笑いによる革命の導火線なのだ。

わたしたちはこの10年、「誰かの不幸」か「自分の無関心」にしか笑えなくなった。
それを更新しろ。
不条理の中に共犯関係を見つけ、
そして“全員で自爆ボタンを押してること”を笑え。

🌈 それは、希望ではない。だが、祈りだ。
風刺とは、ユーモアを装った最終警告である。
「この世界はもう、だいぶ狂ってますよ」
それを伝えるために、
わたしたちは**“クソみたいな現実”を音楽のように編集し、**
メロディーに乗せて爆笑とともに放つ。

ポップで、カラフルで、
しかもヤバいくらい本質を突いてる。
それが、**今こそ求められている“笑い”**だ。

いま必要なのは、

「私だけが笑える」じゃない

「誰も傷つけない」でもない

「社会を変えたいんだけどさぁ〜」でもない

そうじゃない。

「みんなで爆笑しながら、絶望をぶっ飛ばすこと」

それが、いま最もポップで、最もラジカルな行為だ。

さあ、風刺で踊れ。
分析でビートを刻め。
怒りをベースに、無関心をキックに。
“この地獄を編集して踊る”それを体現しているのが
THE DAILY NEWSのこの奇跡のような動画だと思います。

(日本語字幕もAI自動生成されてるので)是非ご覧くださいッッッ!!!

トランプ

Posted by nolongerhuman