脚本の種 安倍晋三&昭恵夫妻の自己肯定感と平成

脚本安倍昭恵, 安倍晋三, 自己肯定感


XR脚本術では2020年代、新しい時代の脚本においては
ストーリーを書く必要もないし、人間関係もいらない!
日々検証していますが、それはもちろんストーリーの構造を
人間関係というものの正体を完全に把握した上で、というのが
前提になっているわけです。
がしかし!僕には平成という時代を代表する二人について
いまいちどのように捉えていいかわからない部分がありました。
その二人とはいうまでなく「安倍晋三&安倍昭恵ご夫妻」の事。
それが昨日の昭恵夫人の報道を何となく見ていたら突然
スコン!と腑に落ちたので、短く論考してみようと思いました。

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沙奈絵ちゃん

平成っていう時代を象徴するお二人なのに、ドラマ化とか
映画化とか一向に聞きませんね??
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人間失格

こと報道メディアに対して、忖度・忖度って言われるけど
平成の30年間で一番時代に忖度してきたのはその無関心を続けてきた
頭の悪い全ての脚本家達だと思うニャー

安倍夫妻的「無意識」と平成

「ネトサポ」とか「安倍応援団」と言った安倍首相に感情移入
している方々についても後で触れますが
それ以上に僕が以前から不思議に思っていることは
この間も「#安倍やめろ」なんていう何の意味もないハッシュタグ等
を振りかざしてひたすら安倍夫妻を嫌い続ける人々の事でした。
その嫌い方は何というかどう見ても常軌を逸していて
だからこそ所謂ネトサポの方々に揶揄されたりもしているわけですが
何故多くの人々は明らかにバランスを欠いた形で安倍夫妻を
嫌うのかといえば、それは二人の姿に

「見たくない自分達の姿」

を無意識の上で感じているからですよね。

自己肯定感と挫折

平成年間に総理を担当した政治家はこれだけいるわけですが


安倍総理ほどそのキャラクター・人間性が時代性とリンクして
語られている人はいないので平成という時代を代表してもらいますが
時代とある人物がそう言ったカタチでリンクする場合は
その人物のあり様、しかも無意識的な本質が
その時代を生きる多くの人々の生き方と合致しているのです。

僕はその本質、それはほぼニアイコールで平成という時代性でもあることになりますが
それを「自己肯定感」にあると思っています。
安倍総理的なるものが台頭してきた平成の後半
それまでは日本の一部で、しかし海外ではこの100年の最大の
テーマの一つであった自己肯定感を扱った「自己啓発コンテンツ」が
国内でも爆発的に増えてきました。
海外で自己肯定感が大テーマとなってきたのは神との関係を
事前なものとできなくなった西欧社会において、あまりにも
拙速に社会において「神の代用」となるものを求めてしまった黒歴史があるわけですが
日本の場合何故これだけ平成の後半において自己肯定感についての
言説が流風し始めたのかといえば、それは神との関係ではなく
親との関係、家族とは本来的にはどんな意味を持つのか?
についての前提が壊れてきたからです。

何故人々は安倍総理を支持するのか?

自己肯定感と言っていますがそれをもうちょと正確にいうと
自己肯定感を持てないこと=LOW SELF ESTEEMが問題化したわけで
平成の後半、多くの人たちは本来なら自らの肯定感を下支えしてくれるはずだった
親との関係、家族という仕組を見事に信じられなくなってしまった。
そうした自己肯定感の不足は「コンプレックス」というカタチで固着するんですが
面白いことに安倍夫妻っていうのは両者ともこの家族に対するコンプレックス
自己肯定感の不足をどうするか??を命題に生きて来なければならなかった人達だという所です。

安倍晋三という人は言わずもがな血筋としての政治一家という歴史に対して
安倍昭恵という人は財閥という名門一家という歴史に対して。
家族という構造の中から自らを肯定する「ワタシ」を掴み取るには
その壁を突き崩すか・その壁をより強固にしていくかの二者選択しかないのですが
どうも生育歴的に二人ともそのどちらを選択することもしなかった。
しかも安倍夫妻はそんなどっちつかずのモラトリアム状態から
突然人生最大の「挫折」というカタチで放り出されることになってしまいます。
安倍総理の方は「政権からの下野」というカタチで
そして昭恵夫人の方は「不妊」というカタチで・・・・・・・

「菊と刀」から「友と嘘」へ

選択をできなかったモラトリアムから理不尽な「仕打ち」(その人にとっては)に
よってそれも大人的な年齢になってから追放される状態
これは普通なら完全に「鬱」に、全く自己肯定感が持てない状況です。
しかし夫妻はその自己不信の淵で留まりました。
実は平成という時代はこの彼らの「留まり方」をどう捉えるか?という命題が
多くの人々を二分したと言ってもいい時代だったと思います。

安倍夫妻の平成的LOW SELF ESTEEMを支えたもの
それが

「友と嘘」

です。
安倍総理の「友達」はもう言わずもがなですし
今回の昭恵夫人の報道に出てくるのも「友達」です。
そして安倍晋三という人を支える「嘘」とは「祖父が夢見た日本」であり
安倍昭恵という人を支える「嘘」とは「女性が夢見る私」です。
正に多くの安倍夫妻アンチの方々が標的にしているのも
この二人を支える、安倍夫妻的平成を象徴する「嘘と友達」なのでしょう。
しかし、彼らは本気でこの平成版「菊と刀」である
「友と嘘」を殺し・壊しきれると思っているのでしょうか?

それはこういうことです。
若年層の多くの人達は調査によって自らのLOW SELF ESTEEMを認めています。


そんな彼らを支えているのはソーシャルで繋がるONE PIECE的「トモダチ」です。
そして「ネトサポ」「安倍応援団」と呼ばれる強烈な挫折感を持った中年層

そんな彼らを支えているのは「美しい国」という「嘘」です。

同じ病・・消去法ではなく実は人々は積極的に二人を支持している

よく安倍総理が支持をされるのは他にましな政治家がいないからだ
という言われ方をしますし、それが安倍夫妻を攻撃する錦の御旗のようになっていますが
それは間違っているのです。
安倍晋三・安倍昭恵両氏と同じように「友」が必要だから若年層は安倍総理を支持し
夫妻と同じように壊れそうな自分を支える「嘘」が必要だから中年層にも安倍政権は支持される
両者とも自己肯定感を持ちにくい自分に似ている安倍夫妻だからこそYESと言っているのです。

彼らは安倍的なものを支持することによって言外にこう主張しているのです

「誰だって生きるために嘘をつくだろう?
誰だって生きるために友が必要だろう?」

冒頭に述べたように僕が安倍政権アンチの方々に強烈な違和感を持ち
どこか本気度を感じないのは、多くの人たちが生きるために必要とする嘘
多くの人たちが生きるために必要としている友、そんな生命維持装置
のようになっている二つを完全に否定しようとしていないように見えるからです。
というよりもっとはっきり言ってしまえば

「誰だって生きるために嘘をつくだろう?
誰だって生きるために友が必要だろう?」

という身も蓋もない幼稚さが自分の中にもあることを否定しきれず
その弱さに目をそむけようとしているからヒステリックになり、集団化し
「友と嘘」の上塗りをしてしまっているのではないでしょうか?

それだと絶対に安倍総理の祖父である岸信介氏ばりに
「昭和の妖怪」ならぬ「平成の妖怪」と化した
安倍夫妻を凌駕する支持を得ることは難しいと思います。

まとめ

何度もこのブログでは書いていますがXR脚本術とは
そんな平成的ソーシャルという嘘もストーリーを共有しようとする友も
どちらも壊せ・殺せ!!という宣言をするために生み出されました。

だからXR脚本術によって書かれた「無敵の人3.0」には嘘も友も登場しません。
そして以前のこの記事にも書きましたが
ポスト・トゥルースを超えた真実を伝えるためには
その発言が死を賭してなされなければならないのです。
その覚悟がない限り平成的「嘘と友」から僕らは逃れられないのです。

 

2020年という新しい時代、ストーリーではなくストリームこそが
未来を作っていく今、僕らに必要な「ホントウ」に
アンチ安倍の方々も安倍サポの方々も気づいて欲しいなぁと思うのです。