NOT SLOP, THIS IS POP!!! SUNOのCEO マイキー・シュルマン氏のインタビューが激面白い!!!!
物凄くキャッチアップしてきたわけではないんですが
この一か月ぐらいで突如としてあらゆるインタビューに答え、フロントに出てきた感がある
SUNOのCEOのマイキー・シュルマン氏。
DREAM BABY DREAMレーベルをローンチしたので毎日SUNOに触るようになったっていうこっちの事情も
あったりしますが、でも明らかにメディア露出が増えてきた氏のインタビューをいくつも読んだら
メチャクチャ面白い!!!!です
目次
何度でも言います。AI生成とは、Second Summer of Love、Madchester期におけるREMIXムーブメントの再来である
SunoのCEO、Mikey Shulmanのインタビューが面白いのは、彼がほとんどそのまま、ボクがずっと以前から唱えてきたことを語っているからだ。
つまり、AI生成とは、Second Summer of Love、Madchester期におけるREMIXムーブメントの再来である、ということだ。
いや、もっと正確に言えば、AI生成とは「作曲」の革命ではない。
それは編集力の革命である。
クリエイションのコアにあるものは、昔からずっと「ゼロから作る力」ではなかった。
世界にすでに存在している音、記憶、欲望、断片、ノイズ、引用、失敗、偶然、過去の自分、過去のカルチャー、それらをどう切り取り、どう接続し、どう踊れるものに変えるか。
そこにこそ創造の本体があった。
REMIXブームは、そのことを白日の下にさらした。
Primal Screamの「Loaded」は、その象徴である。
もともとは「I’m Losing More Than I’ll Ever Have」という楽曲だった。
しかしAndrew Weatherallはそれを“曲”として扱わなかった。
彼はそれを素材として扱った。
床に撒かれた音の部品として扱った。
そして、フロアで人間が踊るという目的のために、切り刻み、引き伸ばし、再配置し、薬物的な反復とグルーヴの中へ投げ込んだ。
その瞬間、音楽は“作品”から“場”へ変わった。
「Loaded」は、ただのリミックスではなかった。
それは、関係性を生成する装置だった。
ロックをクラブへ連れていき、バンドをダンスフロアへ放り込み、ギターをエクスタシーの煙の中で溶かした。
そこでは音楽は、聴かれるものではなく、人と人の距離を変えるものになった。
ここが重要なのだ。
Sunoも同じである。
SUNOとは「関係性の更新」というカルチャーレボリューションであること
Sunoによって瞬時に生成される音楽は、単に「AIが作った曲」ではない。
それは、ある目的のために生まれる。
MVを作るため。
チョッとしたホームパーティーのBGMにするため。
誰かに冗談みたいなラブソングを送るため。
昔のバンド仲間と、もう一度、学生時代のようにセッションするため。
まだ存在しない架空のアイドルに歌わせるため。
自分の中に眠っていたポップミュージックの亡霊を、もう一度ステージに立たせるため。
この「ために」が、AI生成音楽の核心なのだ。
Sunoの音楽は、完成品として偉いのではない。
それが何かを始めてしまうから偉いのだ。
誰かと笑う。
誰かに送る。
映像を作る。
踊る。
泣く。
ふざける。
再会する。
過去を編集する。
未来の自分を立ち上げる。
この時、音楽は新しいPOPになる。
POPとは、大衆に売れる音楽のことではない。
POPとは、関係性を一瞬で組み替える魔法のことである。
Second Summer of Loveがそうだった。
あれは単なるダンスミュージックの流行ではなかった。
あれはエンパソゲンのルネッサンスだった。
孤独に硬直した身体が、もう一度、他者へ向かって開いていく季節だった。
他人が敵ではなくなる。
フロアの向こう側にいる知らない人間が、突然、自分の延長になる。
リズムが国境を消し、ベースラインが階級を溶かし、反復が自我の輪郭を柔らかくする。
それは「関係性の更新」というカルチャーレボリューションだった。
そして、Sunoが目指しているものも、おそらくそこにある。
NOT SLOP, THIS IS POP!!!!
Sunoは音楽家を殺す道具なのか。
それとも、音楽をすべて安っぽいAIスロップに変える機械なのか。
もちろん、その危険はある。
大量生成された無目的な音楽が世界を埋め尽くす未来は、すでに始まっている。
しかし、それだけを見ていると、この革命の本質を見失う。
Sunoの本質は「プロの代替」ではない。
Sunoの本質は、音楽を再び人間関係の中へ返すことである。
かつてREMIXが、既存の楽曲をクラブという共同体の中で再生成したように、Sunoは個人の記憶、遊び、映像、会話、妄想、再会、ホームパーティー、架空のアイドル、YouTubeの片隅、TikTokの偶然のバズの中で、音楽を再生成する。
つまり、Sunoは音楽を“所有するもの”から“発生させるもの”へ変える。
レコードを買う。
CDを買う。
サブスクで聴く。
その次に来るのは、音楽を生成して、誰かとの関係を作ることだ。
これは単なるテクノロジーの進化ではない。
これはPOPの相転移である。
WeatherallがPrimal Screamをフロアのために変異させたように、
Sunoは世界中の名もなき人々の欲望を、瞬時に曲へ変異させる。
そして、その曲は時にくだらない。
時に安っぽい。
時に笑えるほど雑だ。
しかし、それでいい。
なぜならSecond Summer of Loveもまた、最初から高尚な芸術運動だったわけではないからだ。
それは汗と煙と錠剤と笑顔と夜明けの中で、偶然発生した関係性の爆発だった。
音楽は神棚に置かれていたのではない。
床に落ちていた。
スピーカーから漏れていた。
知らない誰かの肩越しに鳴っていた。
その場にいた全員の体温で、別のものに変わっていった。
Sunoもまた、そこへ向かっている。
AI生成音楽とは、音楽の終わりではない。
むしろ、音楽が再び“使われる”時代の始まりである。
飾るためではなく、関係するために。
鑑賞するためではなく、接続するために。
保存するためではなく、その場で発火するために。
Sunoが作っているのは、曲ではない。
曲が生まれる状況である。
そこに人が集まる。
そこに映像がつく。
そこに踊りが生まれる。
そこに笑いが生まれる。
そこにもう会えないはずだった過去の仲間が戻ってくる。
そこにまだ存在しない未来のアイドルが歌い始める。
これを革命と呼ばずに、何と呼ぶのか。
Second Summer of Loveが、エンパソゲンによって人間の距離を一度溶かしたのだとしたら、
Sunoは生成AIによって、創造と関係性の距離を溶かそうとしている。
音楽はもう、遠くの天才だけが作るものではない。
音楽は、いまここで、誰かと何かを始めるために生成される。
それはチープかもしれない。
それはスロップかもしれない。
それは批評家に鼻で笑われるかもしれない。
だが、フロアの革命はいつだって、最初は笑われるところから始まる。
Madchesterがそうだった。
Acid Houseがそうだった。
REMIXがそうだった。
そして、Sunoもそうだ。
AI生成音楽とは、ポップミュージックの死体処理ではない。
それは、ポップミュージックがもう一度、知らない誰かの部屋で、スマホのスピーカーから、夜中のテンションで、くだらない会話の延長として、突然踊り出す瞬間なのだ。
その時、音楽は再び自由になる。
そしてボクたちは、もう一度、こう言うことができる。
これは新しいSecond Summer of Loveだ。
ただし今度のドラッグはMDMAではない。
生成そのものがエンパソゲンなのだ。
Seedance2.0とならんでワークフローの必需品となったSUNOの
ポップカルチャーにおいてもつ意味とは、その革命の行方とはそういうことなのだと思います















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