これは完全に新しい扉をKJが開いた!! The Ravensニューアルバム「BAND AID」の「大人のたしなみ」が凄い!!!
ほんとーーに恥ずかしい事に前作「Ghost Notes」はあれだけの傑作にもかかわらず
全くキャッチアップしておらず・・・・・・・今年に入ってレビュー記事を書いてしまいましたが
今作は完全にオンタイムでのレビュー!!! The Ravensニューアルバム「BAND AID」
基本的なコンセプトは「Ghost Notes」から接続していて
KJ/降谷建志氏の
BANDやろうぜ
モードが今作でも爆発しているアルバム!
そして今作を聴いてめちゃくちゃ驚いたのはなんといっても「大人のたしなみ」!!!
こーーーーれは凄い・・・・・・もちろん初期衝動のままBANDをやる、上のレビューでも詳細に解説した
メロディーを取り戻すというのがThe Ravensのテーマなわけですが
この「大人のたしなみ」でのフランクシナトラ的"クルーナー"感
もっとキワキワに言い切ってしまえばKJ版「浅草キッド」!!!!
これは完全に今後10年の降谷建志氏の音楽活動においてエポックになる凄い曲だと思います
目次
降谷建志は、アルバム『BAND AID』収録曲「大人のたしなみ」で、ついに自分の音楽性の新しいドアを開けてしまった。
いや、これは単なる“渋い曲”ではない。
これは、降谷建志という男が、ずっと背負ってきた「少年性」という巨大なアイデンティティから、ほんの少し肩の力を抜き、
ネクタイを緩め、グラスを傾けながら、自分の中にあった別の声を発見してしまった瞬間なのだ。
これまでの降谷建志は、どこか常に“疾走する少年”だった。
怒り、祈り、衝動、仲間、孤独、ストリート、ロック、ヒップホップ、レゲエ、ミクスチャー。
そのすべてが、若さの炎として燃えていた。
たとえ年齢を重ねても、彼の音楽の中心には、どうしようもなく傷つきやすく、どうしようもなく真っ直ぐな少年がいた。
しかし「大人のたしなみ」は違う。
ここで鳴っているのは、走る音楽ではない。
立ち止まる音楽だ。
叫ぶ音楽ではない。
にじむ音楽だ。
勝ちに行く音楽ではない。
人生の負けや恥や照れくささまで、ちょっと笑って受け入れる音楽だ。
夜のメロディーとしての唄メロを鳴らすこと
まず驚くのは、そのヴォーカルである。
まるでフランク・シナトラばりのクルーナー・ボーカル。
喉を張り上げるのではなく、声を置く。
感情をぶつけるのではなく、感情をグラスの底に沈める。
その歌い方には、若さの暴力では届かない、夜の深さがある。
フランクシナトラってなんか古いジャズのシンガーでしょ??という方は是非こちらを参照ください。ゴッドファーザーばりの「ファミリー」への忠誠を誓い続けた彼の姿勢はKJ的な生きざまに似ているのです
そして、そこにただ漏れしている情緒。
これはもう、ビートたけしの「浅草キッド」にも通じる、あの“男の照れくささ”の音楽である。
泣きたいけど泣かない。
でも泣いてないフリをしている時点で、もう全部バレている。
強がりと哀愁が同時ににじみ出る。
そのどうしようもない人間臭さが、「大人のたしなみ」にはある。
少年性との距離感がこの曲をフレッシュにしている理由
ここで重要なのは、降谷建志が“老けた”のではないということだ。
むしろ逆だ。
めちゃくちゃフレッシュなのだ。
なぜなら彼はここで、自分の中にあった未使用の部屋を開けたからである。
Dragon AshのKjとして、ミクスチャーの王子として、永遠のバンド少年として、あまりにも長いあいだ規定されてきた男が、ふと別の顔を見せる。
それは成熟というより、発見である。
完成ではなく、開通である。
「俺、まだこんな歌い方できたんだ」
「俺、まだこんな景色に行けたんだ」
そんな驚きが、曲全体からこぼれている。
だから「大人のたしなみ」は、渋いのに若い。
枯れているのに瑞々しい。
夜の歌なのに、朝のような新鮮さがある。
少年性によって規定されていた降谷建志が、大人になることで小さくまとまったのではない。
大人になることで、むしろ世界が広がった。
その喜びが、この曲にはある。
大人とは、衝動を失うことではない。
衝動を別の温度で鳴らせるようになることなのだ。
「大人のたしなみ」は、その証明である。
フランク・シナトラのように夜を歌い、
ビートたけしの「浅草キッド」のように情緒をこぼし、
それでも最後には、降谷建志にしか出せない少年の火種が、静かにまだ燃えている。
つまりこれは、降谷建志が“大人になった曲”ではない。
降谷建志が“大人という新しい遊び場”を見つけてしまった曲なのだ。
そしてその瞬間、彼の音楽はもう一度、若返ってしまったのである。












ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません