角松敏生氏が今年リリースした「MAGIC HOUR」と「Tiny Scandal」が2024年のJPOP史における途轍もない金字塔である理由

JPOP, 生成AI角松敏生

なななななななななななななななんだ!!!この途轍もない傑作は!!!

ななななななななななななななななんだ!!この「確信犯」的に
今年2024年のJPOPの歴史に残さなくてはならないという「ミッション」を

その音に、そのグルーヴに、そのメロディーに、そのコトバに宿した

その無謀さと自由度において、まるでジャンヌダルク的奇跡の作品は!!!!!

えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!

こんなとんでもない傑作について正しい考察&評論がなされていないことに心底驚きました

角松敏生氏が2024年リリースした

「magic hour」

そして34年ぶり(驚驚驚!!!)となるギターインスト作品

「Tiny Scandal」

がスゴすぎるので、POP中毒者としてどーーーーーーーーーーーーーーーーーーしても
その途轍もない奇跡を書き残さなくてはと勝手に思い書かせていただきます。

なぜ角松敏生氏は2024年こんな傑作を生むことができたのか?

話は2019年角松敏生氏が5年というインターバルをおいてリリースされた
「東京少年少女」までさかのぼらなくてはなりません

この作品で角松敏生氏で目指したのはギリギリ「コロナ禍」以前
常に氏が自らのポップミュージックのコア的イメージとして想起していた
「東京」を含めた「シティ」に生きること、その誘惑と過剰とEMOさを
再定義して自らのPOPNESSへと落とし込むという作業でした。

この作品を発端として角松敏生氏の作品はいうなれば

1984年のBruce Springsteenによる「Dancing in the Dark 」のような

都会に生きるしか縁(よすが)をもたない「都市生活者の影」をダンスポップというスタイルに
どう落とし込むか?という実験へと突き進み

そんな「LOOSER」達のココロに寄り添った「物語性」を発展するカタチで

2022年そして2023年に、「Inherit The Life」という連作が制作されました。

ただ!!ただですねーーーーーーーーーーそうした「物語の語り部」としての役割が
角松敏生氏というアーティストの「本質」
それはイコール氏しか鳴らすことができない

「POPNESS」

の本質なのか??は別問題で

そうした「作家性」に根差した作品から

まさに「ポップミュージック」のマエストロへと帰還した

この2024年にリリースされた「MAGIC HOUR」と「Tiny Scandal」の

凄み!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

生成AI時代と「Tiny Scandal」&「magic hour」

その方法論

角松敏生の「TINY SCANDAL」や「MAGIC HOUR」が意図的に1970年代や1980年代のシティポップやフュージョンの要素をアップデートしている点は、単なる懐古主義ではなく、過去の文化を未来の文脈で再解釈するというクリエイティブな営為です。この姿勢は、現在の生成AIによる制作におけるアティチュードと驚くほど酷似しています。両者を哲学的に掘り下げると、次のような文化的・存在論的なコネクションが浮かび上がります。

1. 過去と未来の対話:リミックス文化の哲学

角松敏生が取り入れるシティポップやフュージョンのエッセンスは、ただのノスタルジアではありません。彼はそれらを現代の音楽的語法に組み込み、新しい価値を生み出しています。このプロセスは、生成AIが膨大なデータセット(過去の文脈やスタイル)を学習し、それを基に新たなアウトプットを生成するプロセスと類似しています。

哲学的に見れば、これはマルティン・ハイデガーの「世界‐歴史の出来事性(Weltgeschichte)」の概念と共鳴しています。過去の要素は単なる「素材」ではなく、新しい意味を発見するための対話の場を提供します。角松の音楽も生成AIも、過去を未来の語彙に翻訳することで「新しい現在」を創出するのです。

2. オーセンティシティの揺らぎ

角松の楽曲が過去をアップデートする一方で、生成AIの制作物は本質的に模倣から出発します。この点で、両者は「オーセンティシティ(真正性)」の境界を問い直します。たとえば、角松の音楽は「これは1970年代のリバイバルか、それとも新しいジャンルか?」という問いを投げかけます。同様に、生成AIによる作品は「これは本当に創造性と言えるのか?」という議論を引き起こします。

ジャン=フランソワ・リオタールが言う「ポストモダンの条件」における「大きな物語の終焉」に似て、どちらの営為も、オリジナルと模倣の境界を揺さぶり、新しい価値の創出に焦点を当てます。

無限の可能性と有限性の葛藤

角松敏生の音楽も生成AIの制作も、無限に近い可能性を秘めています。しかし、その出力には常に「有限性」が存在します。角松は現代の音楽的限界や流行を意識しつつ、そこに自らの手法を織り込む必要があり、生成AIはデータセットの範囲やアルゴリズムに制約されています。

この有限性と無限性の葛藤は、哲学的にはフリードリヒ・シェリングの「自然と自由の二元論」に通じます。角松の音楽もAIも、可能性の中で「選択」し、「制約」の中で自由を表現するという二律背反の美学を体現しています。

ポップミュージックにおける肉体性とAI時代

角松敏生氏が今年リリースした「MAGIC HOUR」と「Tiny Scandal」が途轍もない2024年JPOP&ポップミュージック史における
金字塔的傑作であるのは

AIによって今やどんなポップミュージックも「生成」できる

でもその制作工程、具体的にはAIに対するプロンプトの制作において
絶対に

「MAGIC HOUR」という光と影の陰影が

「Tiny Scandal」というセクシャリティーへの言及が

必要であること。

角松敏生氏が今年リリースした「MAGIC HOUR」と「Tiny Scandal」はそんな
2020年代的AIポップミュージックの作り方における方法論をそのコトバとメロディーとグルーヴに明確に刻印した

バイブルなんです!!

こーーーーーーーーれは途轍もないJPOP&ポップミュージック史における「聖書」であって
とんでもない傑作なのに
そうした視点での評論&考察が全くないのが悲しくて書かせていただきました!!!

角松敏生氏が今年リリースした「MAGIC HOUR」と「Tiny Scandal」は
ポップミュージックを愛する全ての人々が聴くべき傑作だと思います!!!!

角松敏生

Posted by nolongerhuman