『失恋と得恋』発売直前! シンガーとしての小西康陽氏を完全総考察

JPOPPizzicato Five, 小西康陽, 渋谷系

これまでもpizzicato oneからはじまり、コロナ禍以降の弾き語りまで
様々なスタイルで「唄う小西康陽」は展開されてきましたが
10/30に遂に小西康陽氏名義でのボーカルライブアルバム「失恋と得恋」(HAAPYSAD!!!じゃん)
がリリース

日本で最初にこーいうテキストを書いた人間なので

小西康陽氏は僕にとっての「ポップ神」であらせられるため
ここでシンガーとしての小西康陽氏の活動についての疑問や想いを書いてしまいます!!!!

デザインされたものと異形なもの

これは今更僕なんかがいわなくても所謂PIZZICATO FIVEが先導した
渋谷系が日本のポップミュージック史において決定的な「聖痕」を刻んだのは
その音楽のコアが何によってドライブされているのかという基幹システムの部分で
完全にアップデートされてしまったというところで。

そこには「メッセージ」とか「想い」とか「メロディー」とか「コトバ」より先に

ヴィジュアルイメージ

があり、その「サウンドトラック」としてすべてが「デザイン」されている

これは別に新しいクリエイションの手法ではないけれど
これを徹底的に、だから僕は渋谷系を「バンクミュージック」と言っているんですが
それをドグマとして究極に推し進めて自爆したのが渋谷系だと思っています。

でシンガーとしての小西康陽氏の音楽活動が興味深いのは
唄う楽曲はそんな「究極のビジュアルデザインポップ」のPIZZICATOの曲なんだけど
で、PIZZICATO FIVEはブレイク以後の中期から後期にかけて
僕の中では小西康陽氏と完璧な相似形作家である小林信彦氏の1970-1980年代の
一連の短編小説群のような「私小説」性が顕著になってきてたわけですが
その楽曲の本当のコアである赤裸々な

ある感情

を強烈に押し出していると思います。

その感情、そして僕自身はそれがコアにあるからPIZZICATOを聴き続けていたと思うけど

それは

「孤独」

ということです。

えーーーーーーーーーーーバリバリクラブピーポーで夜な夜なDJ三昧の小西康陽氏の
超ーーーーーーーーーーーソーシャルとは真逆の圧倒的な孤独??????

放送作家として、そして日本初のお笑い評論家として、「唐獅子」シリーズをはじめ
表の顔であるポップなコンテンツとは真逆の都会に生きるものの繊細過ぎるギリギリの神経衰弱的
関係性をテーマにした短編を書き続けた小林信彦氏のように
僕が一般的に評価されているピッチカートの音楽性以上に愛する小西康陽氏の歌詞・コトバは
常に「孤独」に対する恐れと諦念に彩られたものでした。

でPIZZICATOマニアとしてはシンガー小西康陽氏がその「孤独」を
どのように"デザイン"してくれるのか?という立ち位置で見てしまうんですが
これまでの諸作品では、あえてその「小西康陽氏の中の圧倒的な孤独感」はデザインされてないんですよね

コロナ禍以降の弾きがたりでも、バンド編成によるラウンジミュージックバージョンでも
小西康陽氏自身は様々なインタビューで今のシンガースタイルを
ビートルズ的「自作自演」ポップ以前の1940-1960年代における
シナトラからバートバカラックまでの洋楽シンガー的なものとして語られていますが

いや!いや!!!いや!!!!!

その「デザイン」の見立てにはどーーーしても賛同できないっす!!

様々なインタビューで小西康陽氏が言及されている自作自演以外のレジェンドシンガー達のコアって
その音楽性以上に、もーーーーーこれは明らかに

「イケオジ」ビジュアル

なんですよ!!!!!

つまり渋谷系的「イメージ」によるポップミュージックの究極のデザイン化は
こうしたシンガーコンテンツでも行われているわけで

僕が今のシンガー小西康陽氏に対してちょっぴり不満なのは

その自らの「孤独感」をデザインされたサウンド(ラウンジ系でも弾き語りでも)への異物として
対立させる今の楽曲デザインは「逃げ」だと思うし

今の歌唱デザインを楽曲のコアにするなら、実はそれは自らの孤独のカタチを鳴らすしかなかった
1970年代のブライアン・ウィルソンのデモ的「ピアノ」推しや

実は今の歌唱スタイルにおける圧倒的な孤独感はUSの伝説的アウトサイダーミュージシャンJandekに近いと思うし

であるなら自らの内的孤独へ殉教する2024年型の「HYMN」を唄って欲しいし

そうした「ただ漏れの孤独」ではなく「孤独」を徹底的にデザインしてくれるなら

まず!!!まず!!!! 今回のジャケも含めて、何故かずーーーーっと「隠遁者」的イメージになってる
65歳の小西康陽氏の「イメージ」を絶対に絶対にアップデートとしてほしいと
これまで1000人以上のおんなのこを撮って来たカメラマンとして思います。

このサウンドに先立つ「イメージ」が完全にアップデート(またはその逆のアウトザイター的生々しさへ全振り)した時が
今のセカイが本当に望んでいる新しいポップミュージックが小西康陽氏によって鳴らされるのではと思うのです。

Pizzicato Five, 小西康陽, 渋谷系

Posted by nolongerhuman