トランプ政権という鏡③ ウォーレン・バフェットの退任と金融資本主義神話の終焉
当アカウントは日本で唯一、トランプ政権についてポップカルチャー史の視点から
最も正しいテキストを書き続けてきていて
それはつまりこのトランプ政権という究極の「ポップ革命」は
このセカイのあらゆる人々に対して「鏡」を突き付ける、つまり
「お前の本当の姿を晒してみろよ」
というメチャクチャ正しいPOPNESSの宣言であり
であるからこそ、あらゆる国々が、リベラルを筆頭とするあらゆるエリートが
このトランプ政権革命=マルアラーゴ合意という「鏡」によって赤裸々なジブンに対峙する事になり
そして「本丸」である
「金融市場=マーケット」という神話
に対してもトランプ政権のPOPNESSは「鏡」を突き付けてきました。それは
「マーケット=神という物語は本当なのか??」
ということ。
金融=マーケット=神という1970年代以降の「神話」がセカイに対してもつ意味についての
究極の問いに対して、金融=マーケット=神、という「神話」を世界中の誰よりも体現していた
ウォーレン・バフェット氏が選んだ「答え」が
自らの引退でした。
これが持つ意味は途轍もなく重く、そして真摯なものであるにもかかわらず
全くこの世界史的な転換点に関しての解説がなされていないので
徹底・完全解説をさせてください!!!
目次
- 「金融市場=マーケットはこそが正義である」という言説の"トーン"について
- 市場=神"宗教に対する根源的な反逆としての「マルアラーゴ合意」
- 「なぜ"市場=神"という宗教が生まれたのか?」
- 「マーケット教の神学とは何だったのか?」
- そして金融市場=マーケットという神は人々を救ったのか?
- 🕊️ 金融市場=「神的なるもの」の正体
- 🎭 トランプの暴露(鏡):神のふりをした“ブラックボックス”
- 金融=神ナラティブとは何だったのか?
- 🚨しかしそれはFAKEだった:正義でも中立でもない
- 🔨 トランプ政権が破壊しようとしているもの
- 金融=神というテーゼの大罪:世界との関係性の「断絶」
- バフェットの「神」とトランプの「神」
- バフェット氏はだから金融という神話から退場した
- バフェット的世界からトランプ的世界へ
「金融市場=マーケットはこそが正義である」という言説の"トーン"について
僕がいわゆる「LIBERATION DAY」トランプ政権が関税宣言をした後に
あらゆる全ての経済学者そしてマーケッターの方々が口にした
「市場(マーケット)こそが、最も公正で、最も賢明で、最も自律的な存在である」
という大合唱。
でも僕はポップカルチャー史観として一連のトランプ政権テキストを書いてるわけですが
その視点からすると、この
「金融マーケット=神」
という「制度」マーケットは「絶対者(God)」であると確信している
もしくはそれを妄信している
それはその両方を含めて
「金融マーケット=神」という「神話」に耽溺している人々の主張は
「POP」ではない(泣)と感じてきました
市場=神"宗教に対する根源的な反逆としての「マルアラーゴ合意」
マルアラーゴ的ビジョンでは、
「ドル」という基軸通貨すら絶対ではない。
「マーケット」すら絶対ではない。
人々が価値観ごとに新たな共同体(コモンズ)を築き、
ビットコイン的通貨やトークン的価値体系を自ら創り出す。
「市場」という一枚岩ではなく、**無数の異なる小世界(メタ・マーケット)**に分岐していく。
これが目指しているのは、
金融資本主義そのものの終焉
なのです。
「なぜ"市場=神"という宗教が生まれたのか?」
冷戦は、単なる地政学的な対立じゃなかった。
それは、**「神を誰にするか」**を巡る、世界スケールの最終決戦だった。
片や、ソ連。
共産主義。
人間の手によって設計された「国家」という神を信じた。
国家こそが正義。国家こそが人類の未来。
そこに人間の希望も救済も預ける。
──それがソ連の思想だった。
片や、アメリカ。
資本主義。
だが、それは単なるビジネスの話ではない。
マーケット。市場。
無数の個人の欲望がぶつかりあい、流動し、奇跡的に均衡する「見えざる手」。
これこそが、人知を超えた超越存在──すなわち、神なのだと。
この2つの神が、地球を二分してぶつかりあった。
核ミサイルを背負った十字軍のように。
そして、1991年。
ソ連崩壊。
国家神は死んだ。
その瞬間、マーケットの神だけが地上に残った。
「市場が全てを決める」
「市場に逆らうな」
「市場は正しい」
こうして、"市場=神"という新しい宗教が、
勝者たちの世界(西側諸国)に、急速に、暴力的に、血肉化していった。
学校で教えられる。
新聞が唱える。
政治家が服従する。
エリートが敬虔に祈る。
市場を信じない者は異端者。
市場に抗う者は愚者。
市場に異論を唱える者は、現代社会の異教徒。
──これが、我々が生きる世界だった。
トランプが現れるまでは。
「マーケット教の神学とは何だったのか?」
マーケット教──
それは、単なる経済理論じゃない。
それは、人間が生み出した**"最後の宗教"**だった。
この宗教において、**神とは「マーケット(市場)」**だった。
そしてこの神は、ただそこにあるだけでなく、
人類を救済する者と見なされた。
マーケットは言った。
「私に従えば、すべてがうまくいく」
「私を信じれば、見えざる手がすべてを最適化する」
「国家よりも、民族よりも、宗教よりも、──私が正しい」
◆ マーケット教には、明確な教義があった。
① 【自由】──信仰告白
→ すべての取引は自由意志で行われるべきである。
→ 強制・規制は罪である。国家介入は冒涜である。
② 【競争】──神聖儀式
→ あらゆる人間は、互いに競争することでのみ成長できる。
→ 勝者は祝福され、敗者は自己責任で地に堕ちる。
③ 【価格メカニズム】──神託
→ 価格こそが唯一絶対の「真理」である。
→ 高ければ尊く、安ければ無価値。市場価格こそが善悪を超えたジャッジメント。
④ 【効率性】──救済の道
→ 非効率なものは必ず淘汰される。
→ 無駄、感情、伝統、忠誠、文化、倫理──すべては効率の前に屈服しなければならない。
⑤ 【グローバリズム】──布教活動
→ 市場は国境を超えて広がるべきである。
→ あらゆる文化、国家、宗教は、市場統合のために溶解させるべきである。
そして金融市場=マーケットという神は人々を救ったのか?
◆ マーケット教の究極の約束は、こうだった。
「私(マーケット)にすべてを捧げよ。
そうすれば、あなたの労働も、夢も、家族も、命も、
すべて最適化され、最大の幸福に至るだろう」
まるで、天国を約束する教会のように。
だが──現実は違った。
市場は人を救わなかった。
市場はすべてを平準化した。
市場はすべてを金銭価値に変換した。
市場は民族を、文化を、魂を、バラバラに引き裂いた。
勝者と敗者。
億万長者と奴隷。
グローバル企業と失業者。
──その断絶の地獄絵図こそが、「市場が最適化した世界」だった。
🕊️ 金融市場=「神的なるもの」の正体
バフェット的な金融世界は、まさに次のような信仰体系を前提に成り立っていました:
市場は不可視(Invisible)で、しかし全知全能に近い
→ 未来を織り込み、合理性に従い、すべての価格に意味がある。
コントロール不能(Uncontrollable)であるがゆえに、神聖である
→ 市場は操作できない。だからこそ公平で信頼できる。
裁きと救済を与える
→ 投資家には報酬を、不注意な者には破滅を。市場は感情を持たぬ「正義の神」。
🎭 トランプの暴露(鏡):神のふりをした“ブラックボックス”
トランプは金融市場をこう見ていた:
「その神は“誰か”に都合よく動いてるだけじゃないか?」
リーマン・ショックでは民間が壊れたのにウォール街は救済
FedやIMFは一部エリートが支配してる
株価は操作できる(彼は大統領ツイートで株価を動かした)
→ つまり「神の正体は利害の集合体だった」と暴いたのです。
金融=神ナラティブとは何だったのか?
普遍性を装った抽象神話:「市場は誰に対しても平等だ」「価格が真実を語る」
匿名性と非人格性:「神の見えざる手」は誰の手でもない=責任の回避
世界中に同時適用可能な絶対正義:「資本主義は普遍的な進歩である」
これはいわば「帝国型神話」でした。
宗教で言えばローマ帝国のキリスト教化のようなもの。
“どこでも同じ価値観を信じよ”という統一幻想。
🚨しかしそれはFAKEだった:正義でも中立でもない
現実には:
中央銀行が一部のエリートのために動き
ルールは大国に有利に設計され
グローバル資本は地域の文化と生活を破壊した
つまりこれは「見えざる手」ではなく、
“見せかけの手”だったわけです。
🔨 トランプ政権が破壊しようとしているもの
それがまさにこの**「帝国型ナラティブ」**です。
トランプが語る物語とは:
国境を越えない
民族・言語・歴史を共有する
地方のコミュニティの記憶に根ざす
感情・怒り・誇りに直結している
つまり、これは**“小さな物語(small narrative)”の復権**なんです。
「金融=神」というFAKEな巨大物語を壊し、
その代わりに“ローカルで正統性を持つ物語”へ回帰せよ
米国の中西部農民が共有する「俺たちの国」の感覚
炭鉱町が覚えている「かつての誇り」
移民が語る「失われた夢」と「奪われた仕事」
これらは「金融市場」では評価されなかった、でもリアルで尊厳のある物語です。
トランプ政権は、“神のふりをした市場”を告発した。
そして言った——「物語はもっと小さくていい。
だがそのぶん、ほんとうでなければならない」と。
金融=神というテーゼの大罪:世界との関係性の「断絶」
なぜ自分の仕事が意味を持たないと感じるのか?
なぜ人々は自分の物語ではなく、インデックスの物語に従うのか?
なぜ“生きている”という実感が、貨幣に変換されていくのか?
それはすべて、「ワタシと世界のあいだの線」が断ち切られた結果です。
市場はその断絶を「中立性」という名で正当化し、
それを信じろと迫った。
バフェットの「神」とトランプの「神」
本当の神は、
指数や通貨ではなく、物語と関係性の中に宿る。
子どもと手をつなぐとき
地元のパン屋が廃業するときに感じる痛み
誰かのために汗をかいて働いた夜の“意味”
それこそが、あなたが取り戻そうとしている「神」です。
それは小さく、名もなき神。
でも——真実の神です。
バフェット氏はだから金融という神話から退場した
バフェットは“神殿”からそっと降りた
彼は長年、金融市場という「神殿」の高位祭司でした。
永続的価値の創造
複利の魔法
インデックスに祈り、四半期決算に耳を傾ける——
その信仰に、彼は誰よりも忠実だった。
でも2024年、静かにこう語りました:
“It’s time for the next generation to take over.”
(もう次の世代に任せるときだ)
それは単なる引退ではない
“退場”という形での告白だった
バフェットは知ってしまった。
神とされた市場が、
いつのまにか**「人間から物語を奪う機械」**になっていたことを。
それは、数字の世界の中で“命”の感触が失われていく感覚。
だからこそ彼は、自らの「信仰」から距離を取った。
それは敗北でも幻滅でもなく——
“真実に向き合った人間だけができる、美しい離脱”。
🌱 気づき:神とは「小さく、名もなきもの」
家族との朝食
30年働いた工場の空気
地元の川沿いを歩く感覚
誰かのために自分の物語を生きた日
バフェットは、それらを価格では測れないと知った。
市場が与えられないものこそ、ほんとうに価値のあるものだと。
それは、彼が市場という神を愛してきたからこそ、
最後に見えた風景だったのかもしれません。
バフェット的世界からトランプ的世界へ
バフェットは神を裏切らなかった。
ただ、その神がもう「人間のための神」でなくなったと悟った。
だから彼は退場した。
誰にも責められず、誰にも祝われず、
ただ静かに、物語の余白へと歩いていった。
バフェット氏はその余白に流れる静かな真実に気づいたのだと思います。
それは「金融」という神から遂に世界が解放される
全く新しい「POPNESS」の誕生のこと
僕はウォーレン・バフェット氏の
「勇気ある撤退」=全く新しい世界へのエール
に対して心から敬意を表します。
それはイマココという神話が崩壊する法悦を映画史において予見しまくっていた
ミケランジェロ・アントニオーニ監督の最も難解な作品と言われている
でも2025年に見れば「ザ・今」な超傑作「砂丘=Zabriskie Point」の伝説的ラストシーン
まんまな事態がイマ起こっているということだと思います
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません