夢見の技法 XR脚本術で手に入れるDREAM MACHINE

2020年2月19日XR脚本術アンダルシアの犬, シュルレアリスム, , 明晰夢

この記事の内容は・夢をなぞったアヴァンギャルド映画とXR脚本術の違い。
・夢と現実の境界が決壊した先にあるのがXR

あくまで「パッと見」ですが、XR脚本術と混同されそうな
映像制作技法に夢的アヴァンギャルド作品群というのがあると思います。
御多分に漏れず、僕も最初に「ストーリー」と闘うぞ!!と
決めた時には「夢」がその武器となると思っていました・・・・・
でもそれだと中々「勝てない」わけです物語には!!
今回はそうした夢からXRへジャンプするための方法について
お伝えしたいと思います。

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沙奈絵ちゃん

あのエンタメ物語の権化のような黒澤明監督が「遺言」として作ったのは「夢」でした
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人間失格

僕は確信しているけど黒澤天皇がもし生きていたら200% XR映画を作ったと思うんだニャー

映画史における「夢映画」

いまだに夢映画といえば「アンダルシアの犬」がどうしても
真っ先に出てくるわけですが
制作されたのは1928年!
90年以上前の作品が
未だにいくつかのシーンにおいて今日的な意味を持ち続けているのは
この作品を制作したルイス・ブニュエルとサルバドール・ダリら
シュルレアリスト達が自分のアート作品を作る時に用いた
「無意識」によるイメージの連鎖技法が
未だに全容が解明されてない
夢の構造に準じたもの
だったからなのは間違いなくて


この「意味はわからないけれど感じることができる」
という感覚を使った映像作品は
いわゆるハリウッド的「物語映画」に対する
カウンターとして今日まで作られ続けていくことになります。

なんと1930年代には100人以上もの人々の夢をそのまま短編映画として映像化
するプロジェクトというのもUSでは行われていたそうです

なぜ「夢映画」はメインストリームにならないのか?

しかし例えば上記した黒澤作品の「夢」も興行収入的には大惨敗・・・
どうしても夢映画は物語映画を超えたポプュラリティーを
得ることができていません。
誰もが夢を見るし子供からおじいちゃおばあちゃんまで
老若男女を問わない共通体験・感覚にも関わらずなぜなのでしょうか?

本当に人の夢の話はつまらないのか?

こうやって夢的コンテンツを取り上げると
決まって言われることが
「人の夢の話を聞くことほどつまらないことはない」というやつです。
僕は本当に幼稚園児ぐらいの頃から
他人の夢の話を聞くのが大好きで
逆にいわゆる子供が大人におねだりするという「おはなし」には
全くといっていいほど興味がありませんでした。
でもいまだにGOOGLE先生で調べても
ほぼ九割方の人達が夢はつまらないといっている現実に驚愕・・・・
ここでも言われているのは「夢には物語がない」ってことだったりします。
すると何十年にも亘ってアーティスト達が夢映画を作っても
それは所詮「他人の夢のはなし」な訳で
いつまでたっても物語映画には勝てないということになります。

なぜ夢について学ぶ環境がないのか?

しかし僕は「夢がつまらない」という認識は
多くの人達が子供の頃から夢について学ぶという
学習環境を持たないから
なのではないか??と考えています。
例えばギリシヤ時代には「インキュベーション」といって
積極的に夢のメッセージを手に入れようとするための
神聖な聖堂が作られていました。
日本でも聖徳太子による夢殿は同じ意味合いを持つ施設です。
そこまで遡らなくても言わずと知れたフロイトの「夢診断」があり
有名な「夢と現実の区別をしない」セノイ族
近年の脳科学ではようやく「何故人は夢を見るか?」という難問に
器質的な見地での脳内マップが着々と作られている事に加えて
謎だらけだった「明晰夢」にも化学のメスが入ろうとしています。
これら夢の様々なあり様について
僕らが子供の頃から学ぶことはほぼありません。
つまり僕らと夢の関係はギリシャ時代より遥かに遅れているわけです。

夢映画の限界

多くのアーティストが物語から自由になろうとして
映像作品に夢を持ち出してくるのはその重要性を現代にルネッサンス
させようとしてのことですが
そのどれもがどうしても超えられないのが
映像に発生してしまう「リニアな時間」です。
僕らが実際に夢を見ている時、その雑多でカオスチックな
イメージ群と共に強烈に感じているのは
夢の中における「時間の流れ方の違い」だと思います。
イメージはもちろんだけど時間さえも一秒が一時間に
千年が一秒になる様なこれまたカオスな流れ。
これが映像に反映できないのでいわゆる夢映画は
どうしても短編になってしまいます・・・・・
はっきりいってアンダルシアの犬の尺である21分を
超えたらそれはもう夢ではなく単なる「物語がない映像」になってしまう。
そういう意味で言えばMVはほぼ3-5分間の尺であり
夢映像としてギリギリセーフな映像体験と言えますが

MVとXR

ここでも今世界中で最も優れたMVを制作しているのはKPOPであり
音楽とXRの関係性の最先端にいると言えます

結論を言えば「夢映画」はこのジレンマから絶対に逃げられない。
であるなら僕らは夢のその先へ行かなくてはならない。
そのために唯一有効な手法がXRという「視点」です。

Inside Looking Out, Outside Looking In

これは今までのブログ記事を読んでいただいた方には
おわかりいただけると思いますが
物凄くシンプルな事で。
例えばPSVRの「VR WORLDS」でのボブスレーや海中散歩
これもし視点がPOVではなく客観だったらまったく何もおもしろくないわけです。
逆に言うとXR的なPOVという視点でもって
そこに流れている時間を眺めるのではなく「体験」する事によって
僕等は物語的な時間から脱出する事が出来る。
つまり外側に視点を置いている限りにおいては
物語的なリニアな時間が正しいんですが
視点を移動して内側へ「入って」しまうと
そこには正に夢と同じくらい自由な時間XR脚本術における
「ストリーム」が発生します。
この超ーーーーーシンプルなJUMPさえしてしまえば
XR的「視点」さえ手に入れれば100年近く夢映画が
悪戦苦闘してきた物語的時間から決別する事が可能になります。

XR的POV視点によって・・・同時に時間の流れも「体験的ストリーム」に変化する

まとめ


「夢と言うのはなぜ醒めるのでしょう。一生さめなければ夢は夢でなくなるものを」
これは敬愛する鈴木清順監督の「陽炎座」からのセリフです。
シュルレアリスト達からタルコフスキーまで
様々な映像作家達が夢見たホントウの夢映画。
僕等はそのストリームの中へ
XRという最新技術で入っていける時代に生きています。
一生醒めない夢、それは果たして現実なのかそれとも
その答えを書く事こそが2020年代の脚本家に託されているのです。

今回もお読みいただきありがとうございました。

2020年2月19日アンダルシアの犬, シュルレアリスム, , 明晰夢

Posted by nolongerhuman