何故彼女は再び自らの不倫を完全否定したのか? 国民民主党 山尾しおり女史記者会見最速完全解説

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これはPlanetsサンのこの動画じゃないけど

国民民主党ほんとーーーーに終了してしまったかもしれない・・・・・

先ほどから国民民主党からこの夏の参議院選挙に出る山尾しおり女史による「出馬会見」が行わています。
その内容解説を最速でお伝えします

「ワタシ」だけを語る者に、政治の未来を預けられるだろうか?

山尾女史は再び過去の「不倫」問題を否定した。

否定したというより、まるで兵庫県の斎藤元彦知事が乗り移ったかのように

「それぞれの方々の認識があるのでお話しできません」

と言い続けてしまった・・・・・・

それは法的な潔白の再主張ではない。それは、政治的な魂の自己否定であり、
そして何より——この国の「希望」たり得た国民民主党を真っ逆さまに奈落へと突き落とす、
見事なまでの自爆スイッチだった。

あの2016年。山尾女史は

「保育園落ちた、日本死ね」についてのブログでその名を轟かせ、
生活者の怒りを代弁する声として脚光を浴びた。

政治の現場に感情のリアリズムを持ち込んだその一撃は、かつてこの国の議会にあった「言葉」の重みを、
再び呼び覚ましたかのように思われた。だが、今日の発言はまるで真逆だった・・・・・

——「私は不倫をしていない」(=私は未熟なだけだった)

それは事実か? それは論点か? それは今、語るべきことか?
否。それはただ、「私は悪くない」と言いたいだけの、あまりに幼稚な私語り・・・・・

国民民主党の罪は、沈黙である。

だが、もっと重いのは国民民主党の沈黙だ。
この党は昨年、生活者の言葉を拾い上げた数少ない政党だった。
腐りかけた護憲と緊縮、形骸化したリベラルと市場主義の間の迷宮をすり抜ける「第三の声」として、
「現実」と「理想」の架け橋となろうとしていた。

だが、その土台は脆い。なぜならそれは、言葉を信じる意志によって辛うじて支えられているからだ。
その言葉は、議会答弁のための言葉ではない。メディア用の言葉でもない。
——生きるための言葉だ。

その国民民主党だけがアップデートできた新たな政治的コトバを、国民民主党は今日、
山尾女史の「私は悪くない」という弁明で踏みにじってしまったのでは?

政治とは、「自己語り」ではないはず

政治とは、「他者の痛みを我が身に引き受ける」という覚悟の言語である。
だが、山尾女史の口から出てきたのは、ただの自己防衛だった。
共感ではない。対話ではない。ましてや未来ではない。

政治の言葉が死んだのはいつからか?
それは、「私が、私が」と繰り返す者たちが、政治の場を占拠し始めたときからだ。
言葉が「他者への扉」ではなく「自分を守る盾」になったとき、
政治は崩壊した。そして今日、山尾女史と国民民主党はその崩壊の最前列に立ってしまった・・・・・

うーーーん・・・残念だなぁと思います。

Posted by nolongerhuman