「解像度を下げろ」と彼は言った。Xaviersobased デビューアルバム「Xavier」考察&レビュー!

最新洋楽新譜情報

HIPHOP史の文脈からは「Jerk Rap」の新生による遂に発売されたデビューアルバム
ということになるんですが

全然方向性の違うもっとこのアルバムの世界観を本質を撃つレビュー&考察を!!!

『Xavier』は、一枚のアルバムではなく「不可視の旗」だ

このアルバムは、
ポップでも、ヒップホップでも、IDMでもない。

これは 「解像度至上主義」へのカウンター文化 であり、
高精細な社会へ向けた 霧の弾丸 だ。

私たちはずっと、
“もっと見えるように”“もっと説明できるように”
と追い立てられてきた。

だが、その全方向の圧力に対して
Xaviersobased はただひとこと返す。

### 「解像度を下げろ」

見えないことは、怠慢ではない。
曖昧さは、逃避ではない。
曖昧さは、反抗だ。
そして、
低解像度は、自由の初期値だ。

1. 「解像度を上げろ」という社会の暴力

現代は、あらゆるものを“見える化”しなければ存在できない。

個人は「人格の透明化」を要求される

作品は「意図の説明」を要求される

発言は「正しさの証明」を要求される

キャリアは「一貫性」を要求される

感情は「言語化」を要求される

つまり、世界はこう言っている。
「君は何者か? 何を考えているか? どこに属するか? 何を支持するか? いま言え。高解像度で。」

ここで重要なのは、これは“理解のため”ではないということだ。
管理のためだ。
解像度が上がれば上がるほど、分類できる。
分類できれば、統治できる。
統治できれば、消費できる。

『Xavier』はこの構造のど真ん中に突っ込んでいき、
「だったら、見えなくしてやる」 と返す。

バロウズのカットアップと「HARAJUKU」

ブレまくった夜のストリートのジャケ写に象徴される

「俺を認識するな」という闘争=逃走

そして徹底的に「何も言わない」リリックは

バロウズのカットアップと同様に“意味の放棄”ではなく“意味の過剰”に聴き手を取り込んでいく

原宿の滞在体験から書かれた?「HARAJUKU」で描かれるのは「裸のランチ」ばりのTRIPな迷路

意味が一つに確定した瞬間、
それは“引用可能なメッセージ”として回収される。

スクショされる

切り抜かれる

名言化される

扇動に使われる

炎上の燃料にされる

『Xavier』はその工程を潰す。
言葉を断片にして、握れない形にする。
“握れない言葉”は、管理できない。

ここで生まれるのは、
「分からなさ」ではなく、自由だ。
聞き手が意味を確定できないのではなく、
確定させる権利が聞き手に戻ってくる。

つまりカットアップとは、
作者が語るのをやめたのではなく、
聞き手に統治権を渡したということだ。

透明ではなく不透明なインディペンデンス

現代の個人は、
可視化され続けることでしか“存在”できない。

SNSは日常を高解像度にする装置

プロフィールは人格のメタデータ化

コンテンツはキャラクター化

意見は陣営化

趣味は属性化

その結果、どうなるか。
あなたは“透明”になる。
全部見えるから、全部決めつけられる。
全部説明できるから、全部予測される。
全部整ってるから、全部交換可能になる。

つまり、高解像度の果てにあるのは、
個性の死だ。

説明とは、社会に向けた譲歩だ。
理解してもらうための優しさだ。
しかしこの時代において、説明はすぐ武器に転用される。
あなたが丁寧に差し出した言葉は、
あなたを分類し、あなたを飼い慣らす鎖になる。

このアルバムはこう言っている。

お前らが欲しいのは“俺の本体”じゃない
お前らが欲しいのは“俺のデータ”だ
だから、データ化できない形で生きる

『Xavier』は不可視の旗だ。

解像度を下げることでしか見えない世界を、可視化するアルバムだ。

高解像度の世界は、確かに鮮明だ。
だが鮮明であるほど、
そこに映っているものは“最適化された現実”になる。
あなたが本当に見たかったものは、そこにない。

『Xavier』が差し出すブレとノイズと断片は、
最適化される前の“生” だ。
そして“生”とは、常にグリッチを含んでいる。

だからこのアルバムは、
「分かりにくい」のではなく、
分かりやすさの嘘を破壊している。

傑作デビューアルバム!!!

Posted by nolongerhuman