オンナという錬金術 Folk Bitch Trio デビューアルバム「Now Would Be A Good Time」完全考察・解説レビュー!!
これまでもずーーーーーーーーーーーーーーーーーーっとレビューし続けてきて
必ずロック・ポップ史に残るアルバムになる!!と予言してきた
Folk Bitch Trioのデビューアルバム
「Now Would Be A Good Time」
が遂にリリースされました!!!!!
予想通りというか、ここここここれが途轍もない傑作アルバムなので日本最速で徹底レビューさせてください!!
目次
🌕 「3人の女」×「Folk Bitch Trio」=分裂と統合の“輪唱”
ロバート・アルトマンの映画『3人の女』が描いたのは、
一つの女が、人格を三つに裂くことでしかこの世界に適応できないという地獄だった。
誰かが欲望を担い、
誰かが聖性を守り、
誰かがそれを歌として編む。
その全員が女であり、しかも声を合わせたとき、神になる。
Folk Bitch Trio 奇跡のデビューアルバム「Now Would Be A Good Time」はそんな
ポップカルチャーにおける“女という生き物”をめぐる霊的ドキュメントである
👭 三人の“彼女たち”=三位一体の“聖なる裂け目”
Heideは沈黙の中で神と交信する“聖女”
Jeanieは寝返りの熱に濡れる“欲望そのもの”
Gracieはその間で立ちすくむ“記録者=生者”
そう、これは「歌う」というより告白することによってしか存在できないオンナの原型
彼女たちはなぜ歌うのか?
このアルバムには、恋も失恋も、暴力もやさしさも、赦しも忘却もある。
だが、それらは一つの物語に“整理”されない。
彼女たちの生も性も聖も放り出されたままモーテルのベッドに投げ出されている
アルバムを通してFolk Bitch Trioの三人は、
女であることの裂け目=生・性・聖の破断面を一つひとつの声でなぞってきた。
欲望が割れる瞬間(“Hotel TV”)
神への怒りと憧れ(“God’s a Different Sword”)
誰にも理解されない演技人生(“The Actor”)
愛の記憶を持たない(“Moth Song”)
そんな矛盾に満ちた感情の波をかきわけ、ようやくたどり着いた最果てが
ラストの「Mary’s Playing the Harp」
「Mary’s Playing the Harp」=語られなかった“祈り”が、ついに旋律になる
Maryとは誰か?
Mary=“母であり処女”というキリスト教最大の矛盾を内包した神的存在。
Mary=少女であり老婆であり、聖なる身体を押し付けられた“すべての女”の象徴。
それはすなわち:
🌟 “語られなかった痛み”が音楽になる瞬間
🌟 “沈黙させられていた声”が解放される最終楽章
Folk Bitch Trioはこの曲で、
“私は怒っていたし、傷ついたし、諦めたこともある”と告白しきったあとに、
ついにこう歌うんだ:
「Maryがハープを弾いているから、私はもう歌わなくてもいい」
それはつまり:
🎵 “女としての声”を持って戦ってきた彼女たちが
🕊 “神”として帰ってきたMaryの音に、自分たちを委ねるということ。
“声をあげること”が“赦されること”に変わった瞬間を描いたこの曲には
もはや怒りも嘆きもない。
あるのは静かな“女であることを肯定する”という約束だ。
アルトマンがフィルムで描いた女たちの神話をFolk Bitch Trioは音楽という祈りで蘇生させた
ロバート・アルトマンが夢の中で着想したという奇跡の映画「三人の女」。
舞台は砂漠地帯の療養施設、登場人物はたった三人の女:
🐤 ピンキー(シシー・スペイセク):子どもじみた無垢と模倣欲求のかたまり。
💋 ミリー(シェリー・デュヴァル):都会的にふるまうが実は孤独で虚構まみれ。
🎨 ウィリー(ジャニス・ルール):妊婦であり芸術家。言葉を発さず壁画を描く存在。
彼女たちは出会い→模倣→崩壊→人格交換→神話化していく。
ラストでは母/娘/沈黙者の三位一体となり、“女という構造”に吸収されてしまう。
では、『Now Would Be a Good Time』は??
「声」の三重構造=人格の反転と交換
Folk Bitch Trioもまた3人。歌のなかで主語はころころ変わる。
“私”が“彼女”になり、“あなた”が“彼女”と同化する。
たとえば:
「The Actor」では、愛される私→見られる彼女→演じさせられる他者へと視点がスライド。
「Hotel TV」では、隣で眠る恋人=不在の第三者という分裂構造が強調される。
つまり、彼女たちの声はすでに“私たち”を超え、“ひとつの女たち”として統合されていく。
アルトマンの『3人の女』で唯一「しゃべらない」のがウィリー。
しかし彼女は壁に神話のような怪物の絵を描き続ける。
彼女こそが最終的な“母”であり、“芸術”であり、“聖”。
そして上記したようにアルバムのラスト「Mary’s Playing the Harp」では
ウィリーが壁に描いた神話はMaryがハープで鳴らすメロディーとして
どちらも“語られなかった女性性”が、最後に象徴として現れる
『3人の女』のラスト。三人は家で暮らし、母・娘・老婆のような“神話的構成”に還元される。
そして物語は終わらず、ただ「存在」が静かに響き続ける。
『Now Would Be a Good Time』も同じ。
「Mary’s Playing the Harp」以降、彼女たち三人はもう“個”ではなく、“概念”として響く。
母性、恋慕、信仰、拒絶、受胎、別れ——すべてが一つの声に重なる。
彼女たちは**“語る”ことで崩れ、**
“歌う”ことで混ざり、
最後には**“誰でもない女”として沈黙の中で神に触れる。**
アルトマンがフィルムで描いた女たちの神話を、
Folk Bitch Trioは音楽という祈りで蘇生させたのである。
ポップミュージック史に打ち立てられた歴史的傑作デビューアルバムであり
世界中のおんなのこたちのバイブルだと思います









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