特異点としてのポップミュージック 松任谷由実「Wormhole / Yumi AraI」を完全考察・レビュー!!
YumingからYumiAraIへ!!
断言しますがこの1年間でAIAVをローンチし、そして
AIによるMVREMIXアニメを300作品以上作り続けてきている

日本で最も「AI×ポップコンテンツ」について論考&実践していると断言できる当アカウントしか絶対に!!読み解けない
ブラックマジックでもありホワイトマジックでもある
それはイコール
ブラックホールでもホワイトホールでもあるような
正に
特異点としてのポップミュージック(コンテンツ)
それを可能にできるのがAIだとずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと書き続けてきたわけですが
まさか!!まさか!!!まさか!!!
あのレジェンド松任谷由実女史がそんなシンギュラリティZONEへ大接近!!!
あまりにもあまりにも面白いニューアルバム「Wormhole / Yumi AraI」をAI実制作者の立場から完全考察・レビューさせてください
目次
ユーミンを苦しめ続けてきた「ジレンマ」の正体とは?
今回このアルバムのプロモーションでは確信犯的にプロデューサーである松任谷正隆氏が前面に立ち
荒井由実時代の「声」を機械学習させたSynthesizer V を用いての制作過程とアルバムのコンセプトについて
語っていらっしゃるのですが
その中で「なぜAIを使うことに決めたのか?」に対する回答としての
松任谷由実のジレンマ
という部分がポップミュージックとは何か??という永遠の問いと連結する
途轍もなく意味深い部分でした
松任谷正隆氏は非常ーーーーに意図的に「ぼやかして」話していらっしゃいますが
これはつまり
「老い」
という荒井由実から松任谷由実へそしてYuming(ユーミン)としてIP化まで
この50年間に渡る活動においてミュージシャン松任谷由実がまるで「忌諱」するように
あえて作品の中に取り込まなかった最大のテーマに今作では遂に向き合わなくてはならなくなったということです
時間を無効化してきた白魔術としての荒井由実/松任谷由実のポップミュージック
「老い」を拒絶し続けたポップの巫女としての半世紀・・・・・・・
荒井由実として登場した1970年代、
日本のポップスに突如として割り込んできたその声は、
すでに “現実” を拒絶していた。
あの奇妙な透明感、性別も年齢も削ぎ落としたような音質は、
まるで人間の身体から抽出した声ではなく、
「存在の残響だけ」を残したAIボイスの原型 のようだった。
ここに最初の“白魔術”がある。
ユーミンはデビューの瞬間から
自分の肉体を声から退かせる という操作をしていた。
人気絶頂時に
「へたくそ」
とまで揶揄されたその特異な「VOICE」は
それは生々しさを捨て、
時代や加齢という呪縛を粉砕するための
魔術的な脱肉体化 だった。
🕊 荒井由実期:身体の不在が生む“浮遊の魔術”
荒井由実の楽曲に満ちるのは、
軽やかさ、恋の移ろい、季節の匂い、
きらきらとした情景の断章──
だがそこには決して
「老いる私」
「傷つく身体」
「衰えの自意識」
といった生々しいテーマは出てこない。
彼女のポップは常に 身体を背景化し、
感情だけが透明な膜の中を滑るような構造 だった。
それは70年代フォークが持っていた
生身の痛み・生々しい生活者の実感から
まったく逆方向 に進む行為。
荒井由実は最初から
日本のポップミュージックを現実から引き剥がす魔術師 だった。
🌐 松任谷由実期:世界そのものの“魔術的編集者”へ
松任谷由実となった80年代以降、
ユーミンの魔術はさらに段階を上げる。
彼女はポップを
「生活の擬似体験」ではなく
「生活そのものを編み替える魔法の空間」
として再構築した。
ドラマティックな季節感
都市の匿名性
自分を別の“私”に変える感情の力学
年齢も性別も消える“ユーミン空間”
そのどれもが
老いの時間軸を拒絶した構造 を持っている。
ユーミンの音楽では
“いまの私”が何歳であるかは無関係になる。
恋は永遠に少女的であり、
感情は老化せず、
時間は円環し、
加齢という現実の重力が消えていく。
これはまさに
白魔術的な「若さの呪い」
だと言える。
『Wormhole / Yumi Arai』は老いと死を真正面から召喚するための黒魔術書である
ユーミンは50年間、
老いを拒絶し続けた日本ポップの最後の白魔術師だった。
少女の声を保存し、
季節の輪郭だけを研ぎ澄まし、
時間という現実の重力を消し去ることで、
彼女自身を“永遠化された幻想”へと変換してきた。
だが、その魔法はここで終わった。
『Wormhole / Yumi Arai』は、
ユーミン自身がその白い魔法を裏返し、
老いと死を真正面から召喚するための黒魔術書である。
DARK MOON:ユーミン、初めて闇を選ぶ
アルバムは「DARK MOON」から始まる。
この一曲で、ユーミンの美学は完全に反転する。
かつて彼女が歌っていたのは
“夜”ではなく“夜の表面”。
そこには影がなく、
光だけが時間を包み込んでいた。
だが「DARK MOON」は違う。
これは光を拒んだ月。
プログレッシブ・ロックの深響は、
ユーミンにとって初めての重力である。
その瞬間、
ユーミンの歌声は
これまで封印されてきた “死の匂い”
をほんのりと放ち始める。
小鳥曜日:ユーミンの霊が唄うAI童謡
終盤の「小鳥曜日」に至ると、
アルバム全体が一つの円環を描く。
童謡的な旋律は、
幼い魂が死後の世界を漂うように儚い。
しかしそこにあるのは哀しみではなく、
**“死を通過する意志”**である。
そして鳥揚羽は“蝶=魂”の象徴。
ユーミンはここで、
自分が終わる瞬間を
恐怖ではなく“変身”として歌う。
この曲を聴くと、
まるで死後のユーミンが生前のユーミンへ呼びかけているようだ。
この時間の逆流はワームホールそのもの。
僕自身もAI生成で動画・アニメを作っている時に感じる
ホントウとセイセイの境界の決壊感覚
これがAIでポップコンテンツを作る最大の意味であり
なぜAIで作らなくてはならないのか?なぜ作るのかの最大の快楽=POPNESSなのですが
この『Wormhole / Yumi Arai』で松任谷夫妻は明らかに
そんなAIで制作することだけが放つ「決壊感覚」へと踏み出していて
「踏み出していて」、というのは実は究極的には「声」だけでなく
「コトバ」や「メロディー」さえも召喚=手放してしまえるか??までには至っていないからですが
本作に関して松任谷由実女史本人が
「初期衝動が戻った」
と話されているのは黒魔術=AI的新しい「決壊感覚」を手に入れたためなのです
ユーミンは死を歌うために魔法を変えた
穿った見たてをされる方々は本作の方法論を
「ライブで本人が唄うパートを減らすためでしょ」とか
映画「サンセット大通り」じゃん・・・というかもしれません
しかし、この『Wormhole / Yumi Arai』は
以前超DEEPレビューを書いた映画「SUBSTANCE」や
そして当アカウントでは何度となく言及している
「PSYCHOTIC WOMEN映画」的
タナトスポップ感覚が爆発しています。
これまでのユーミンのテーマは【永遠の少女性】だった。
だが本作で初めて、彼女は【有限性=死すべき存在】を引き受ける。
そのために、白魔術では足りなかった。
若さを保存する魔法では、死は歌えない。
死と向き合うためには 黒魔術 が必要なのだ。
『Wormhole』は
ユーミンが死と老いを恐れるのではなく、
自らそれを操り、編み替え、構造化し、
芸術として再フォーマットするための儀式 である。
彼女は老いを“超克”したのではない。
老いを素材に変えたのだ。
ユーミンはこの作品でついに、
生者の音楽から離脱した。
白魔術=永遠化
黒魔術=死の受容
その二つの相反する魔法を
ワームホールという時空構造の中で融合させた。
『Wormhole / Yumi Arai』とは、
ユーミンが自分の死を未来の物語として再構築し、
過去の自分と未来の自分が同時に存在する
“時間の無限体”となるためのアルバムである。
ユーミンは人間をやめた。
時間の巫女になり
特異点に立った!!!
そしてついに
「ユーミン的死とは何か?」を歌いはじめた。
とても勇敢な日本のポップミュージック史に残る作品だと思います
















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