国分太一氏のわいせつ事案会見で繰り返された「答え合わせ」というワードに込められた呪詛とは?
松本人志氏も中居正広氏も断固として会見NGの中
元TOKIOの国分太一氏が5か月ぶりに公の場で初めて会見を行いました
やはり本人による会見という行為は芸能という仕事に携わった方々にとっては
これもまた「仕事」であり、やるべき強度をもった芸能コンテンツだと改めて思いました。
それを引き受けた国分氏は職業芸能人としてとても正しいんですが
この会見の強度はひとえに何十回と連呼された
答え合わせ
というワードに無意識的に秘められた日本テレビに対する国分氏の堪えようのない「憤怒」です。
国分氏の怒りはなぜ生まれたのか
先日国分太一氏は名誉や立場が不当に傷つけられたと感じ、人権侵害として日弁連に助けを求めました
① 何が「コンプラ違反」なのか、今もはっきり示されていないから
2025年6月、日本テレビは
「複数のコンプライアンス上、問題のある行為があった」
とだけ発表して、『ザ!鉄腕!DASH!!』などからの降板を決定しました。
しかし 具体的にどの行為が何の規範に反したのか は、プライバシー保護などを理由に一切公表されていません。
国分さん本人にも、どの行動がコンプライアンス違反とされたのか「答え合わせができない」状態が続いていると会見で述べています。
② 番組降板だけでなく、「生活の土台」まで一気に失ったから
国分さんは会見で、6月以降の変化をこう振り返っています。
30年続いた『鉄腕DASH』からの突然の降板
自身の芸能活動の無期限休止
TOKIOの解散
メンバーと立ち上げた会社の廃業
TOKIOの関連施設「TOKIO場」の閉園
これらが 数日のうちに一気に決まった ことで、
「数日間の間で全てを失いました」
「後悔・孤立・絶望で自分をコントロールできなくなった」
と語っています。
③ 当事者への謝罪はしつつも、「日テレの対応はおかしい」と感じているから
国分さんは会見で、
自分の行動で傷ついた「当事者」に対しては、はっきりと 謝罪 しています。
その一方で、
何がコンプラ違反とされたのか説明が無いまま
降板・活動休止・解散など重大な結果だけが一気に進んだこと
について、日本テレビ側の対応には問題がある と考えています。
そこで、テレビ局との「力関係」や情報の非対称性も含めて、
第三者である日弁連に間に入ってもらい、公正な場で検証してほしい
という形で「人権救済申し立て」を選んだ、という流れです
じゃあ国分氏は何に対して謝罪しているのか?
これまで藪の中だった国分氏によるハラスメント事案の詳細を
本日(11/26)週刊文春が詳しく伝えています
完全に「一発アウト!」な内容で、これでよく人権救済なんて会見できるなぁ・・・
と感じる方のほうが多いと思います。
でもですね!! 会見でも国分氏は
「僕はTOKIOでしか社会を知らなかった」
「30年間やってきた鉄腕ダッシュ」
ということをしきりに強調していらっしゃいましたが
国分氏は芯から「芸能人」なんですよ。
で!!僕自身も少なからずアイドル・ミュージシャンの方々とお仕事をさせていただいてますが
その絶対的結論は
芸能人は全員PSYCHOPATHである
です。それは非難してるわけじゃなくそういう人しか芸能人にはなれない
もっと正確に言うと
カメラとマス(彼らを欲するたくさんの人々)が芸能人というPSYCHOPATHを生み出している
んです。
答え合わせというワードに込められた「お前らがオレをこんなふうにしたんじゃないか!!」という国分氏の呪詛
国分太一が会見で放った
「答え合わせができない」
という一言は、単なる釈明でも、言い訳でもない。
それはむしろ、
芸能という装置そのものへの復讐の詩(リベンジ・ポエム)
である。
なぜなら、
誰が“芸能人”という異常人格=PSYCHOPATHを作ったのか?
という、誰も触れられない“根源的な問い”を、
たった5文字で裏から刺し返したからだ。
芸能人は生まれつき怪物なのではない。
テレビカメラの前で笑え。
数字を取れ。
好感度を保て。
イメージを売れ。
私生活も商品だ。
——この要求を30年、40年浴び続けたら、
人は誰しも“サイコパス的擬態”に変異していく。
それは「異常」ではなく、
この世界で生き残るための“適応”だった。
SNS時代になって分かっただろう?
インフルエンサー、フォロワー至上主義、
承認欲求のカンスト。
一般人ですら、スマホ1台で簡単に狂っていく。
だったら、
毎秒カメラに張り付かれ、
全国民から“人格の仕様書”を強制されてきた芸能人は何なのか?
——彼らは“先駆者であり、犠牲者”だ。
国分太一の「答え合わせ」という要求は、
表面上は自己中心的に見える。
しかし深層にはこうある:
俺の何が悪かったのか?
俺のどの人格設定が破綻したのか?
俺の“商品としての人格”のバグはどこだったのか?
この問いは、
「芸能人」という存在が“商品化された人格”であることを露呈させる。
そして、
商品コードを勝手に書き換え、
売り場から撤去し、
説明もせず“処分”するテレビ局(カメラ)に対する、
最も静かで最も破壊的な呪詛となる。
なぜならその瞬間、
国分太一はこう言ってしまったからだ。
「俺はサイボーグじゃない」
「俺は仕様書で生まれた人格じゃない」
「俺は“あなたたち(TV局とマス)”が作った幻影の亡霊ではない」
芸能という巨大装置にとって、
これは最大級の反逆だ。
国分太一の一言が重いのは、
「国分太一というサイコパス人格は、俺が望んで作ったものじゃない」
という、
芸能人とは何者なのか?の核心部を撃ち抜くからだ。
そしてこの一語は、
テレビ局に対する問いの形を取りながら、
実際にはこう世界へ宣告している。
カメラの恐ろしさについて
マスの欲望の深さについて
いまこそ全員で“答え合わせ”をしろ。
それが、
この言葉に込められた
究極の呪詛
にして
最初の祈りなのである
もちろんサイコパスであることを引き受けきったものだけが「大スター」になりえます。
でもオカルト的に聞こえてしまうかもですが
それぐらい「カメラ」と「マス(大衆)」とは
人を狂わせる恐ろしくそして神聖な装置なのだと思います











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