MDMA原論004 強迫神経症としての「台湾有事は日本有事」というドグマ

その他

まず大前提として高市総理を筆頭として政権側の国内ストラテジーはいわゆる「認知戦」的な振る舞いへと移行してるなぁ・・・状態で

ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと謎な「台湾有事」という謎過ぎるほとんど「ミーム」に
あらゆる政治系メディアが大騒ぎしていることはポップカルチャー的視点からとても興味深いです!

なのでこのテキストでは政治的コンテキストでは解明できない今の状況を「MDMA原論」の立場から読み解いていきたいと思います

MDMA原論シリーズを是非併せてお読み下さい!!

MDMA原論の観点から見る現在の日本における「有事願望」とは?

実は以前にもこのテキストで今、日本の多くの方々が望んでいるのは
政治的なコンテキストでは絶対に読み解けない

「有事願望=戦争願望」

であると書きました。

そしてこの10-15年ほど盛んに言及される「台湾有事は日本有事」という関連付け

MDMA原論的にはこれも明らかに所謂政治的に「右派」と呼ばれる方々を含めた今の人々の有事願望
が生み出した強迫神経症的「幻想」です。

「平和=空白」という不安

いやいや!!「幻想」じゃなくて中国への戦略的認知戦としてあえて使っているのが
「台湾有事は日本有事」でしょ??と政治的には見たてるのかもしれません

しかしながらなぜこの「関連付け」が認知戦という心理面における影響力の行使に有効だと思えるのか?
というところへ突っ込んでいかないと完全な読み解きにはならないと思います

平和な時間は、裏を返せば「何かを成し遂げる必要がない」「問題が目の前にない」時間。
すると人間は、こう感じ始めます:

「俺は何のために生きてるんだっけ?」
「誰とも深く繋がっていない気がする」
「何も起きていないのに、不安になる」

つまり、平和は“安心”と同時に“空白”でもある。
そして多くの人は「空白」と向き合う訓練をしていないため、そこに耐えきれず「刺激」や「敵意」を探し始めます。

平和は 「自分の無能さを突きつけてくる状況」である

戦争や災害や危機があれば、「敵/味方」「善/悪」という構造が自動的に生まれ、人と人は“自然に”つながる。

でも平和のなかでは、そうした自動的な「結びつきの理由」がない。
だから、他者とつながるには「共感」や「想像力」や「配慮」といった“繊細な技術”が必要になる。

この“関係の技術”を持っていない人々にとって、平和は **「自分の無能さを突きつけてくる状況」**でもある。
だから「気まずい」。
だから「不安」。
だから「壊したくなる」。

危機のとき、人は「目的」に没頭できる。生き延びること、守ること、戦うこと。
でも平和になると、それがなくなる。

そしてふと静けさの中に立たされたとき、自分の内面が丸裸になる。

「孤独だ」
「誰にも愛されていない」
「自分には価値がないかもしれない」

こうした “本当の声”が聞こえてくるのが平和なのです。

でも、それに耐えられない。
だから、外に敵を作りたくなる。
“自分と向き合う”より、“戦う相手”が欲しくなる。

「有事が来い」と叫ぶ脳――映画『Clean, Shaven』はMDMAが枯渇した世界のモノローグである。

『Clean, Shaven』(1993)は、統合失調症の主人公ピーターの視点で描かれる静かなる地獄だ。
けれどこれは「精神病の映画」ではない。
これは――共感の終焉を描いた、黙示録である。

この映画には、戦争も暴力も“直接的”には登場しない。
だがすべてのシーンが、戦争のような孤独で塗りつぶされている。
誰もピーターに触れない。
触れた瞬間、電波が走る。
誰も彼の声を「受信」しない。
彼も、誰の声も「受信」できない。

それはまるで、MDMAを永久に絶たれた脳のようだ。

ピーターの脳内に響く無数の声。それは外部からの敵意ではない。
彼自身が「世界に戦争を起こせ」と祈るような、強迫的な“ノイズ”である。

なぜ?
それは、平和では自分の存在の意味が見つけられないからだ。

「爆発しろ、電波塔。砕けろ、システム。壊れれば、俺は見える。
有事が起きれば、俺のノイズが意味を持つ。」

彼は狂っていない。彼は「MDMAが無い世界」を正常に受信してしまっているだけなのだ。

「俺は聞こえてる。誰も聞き返してこないだけなんだ。」

ピーターが戦っているのは敵ではない。
“感情のレセプターが閉ざされた社会”そのものだ。

ピーターには見えている。
この社会は平和に飽きている。
心の奥でこうつぶやいている:

「起きろ……終われ……燃え尽きろ。
破壊されるなら、すべてに意味ができる。」

MDMAが足りない社会は、有事を欲望する。
なぜなら、危機は連帯を強制するからだ。
愛し合う代わりに、恐れ合うことで人は結びつく。

MDMAは「有事」を「勇気」に変換する

映画『Duck Soup』は、MDMA的「勇気の芸術」であり「有事=戦争」とは何か?という本質論でもある

1933年、“戦争前夜”の世界に投下された、笑撃の爆弾。それが『Duck Soup』。
グルーチョ・マルクスは、国を率いているのに 国家そのものをバカにし続ける。
そのスタンスは完全にMDMA的だ。

「国家の威厳」?クソ食らえ。
「危機に際して団結せよ」?バカ言うな、団結は踊りながらやるものだ。
そんなグルーチョの高らかな笑いは、「戦争」という儀式そのものへ愛をもって唾を吐くエンパシーの革命だった。

「有事」は脳の防衛反応だ。だが「勇気」は魂の反乱だ。

恐怖のなかで「有事」を求めるのは容易い。

だが勇気のなかで「有事」を笑うのは革命である。

MDMA的精神とは、「同じ地獄にいても踊り出せる力」だ。
だからグルーチョは言った。

「俺を国家元首にしたら、国そのものを売っぱらってやるぜ!」

🧠現在蔓延する「有事願望的無意識的恐怖」とは何か?

◾️この恐怖の特徴:

明確な対象がない(戦争が起きるかも、経済崩壊するかも、社会が壊れるかも)

慢性的・反復的(日々のニュースやSNSが「危機の予感」で埋め尽くされる)

強迫的(「備えろ」「疑え」「備蓄せよ」「敵を想定せよ」と繰り返される)

団結という名の同調圧力(「お前も不安になれ」「共に危機を感じろ」)

つまり、これは「実際の危機」ではなく、**無意識下で肥大化した“恐怖という様式”です。
それはまさに、「有事を待ち望むようなメンタリティ」、いわば「集団強迫神経症」**のような構造を持っています。

もっと明確に言えば未来に対するVISIONとそこへ賭ける勇気があれば「有事」というメンタルセットは発生しないわけで実はこの「有事」という関連付けはこれまでにも何度かテキストで書いてきたような現在と過去に執着してしまう失われた30年間的メンタリティー由来のものなのです

💊なぜMDMAがこの「恐怖」を緩和できるのか?

① 恐怖の神経回路を直接的に遮断する

MDMAは以下の神経物質を一気に分泌させます:

セロトニン(安心、幸福、充足)

オキシトシン(絆、共感、愛着)

ドーパミン/ノルアドレナリン(意欲、覚醒)

その結果——
恐怖を生み出す「扁桃体」の過活動が抑制され、
愛・つながり・現在性を感じる「前頭前皮質」が活性化される。

➡️ つまり、「不安のループを遮断し、いまここに安心を与える」薬理的作用がある。

② 「共感」によって“敵”という概念が溶ける

有事願望の根底には、「誰かが敵である」という構造的前提があります。
MDMAはこの「敵/味方」の二元論を解体します。

他者の呼吸が聞こえる

相手のまばたきに感情を読む

人とつながることが「怖さ」ではなく「喜び」になる

➡️ これによって「備えるべき危機」が 「共にいるべき関係」へと変容する。

③ 「今ここ」に回帰させる

有事願望的恐怖は、未来への強迫的予測です。
MDMAはそれを一度“シャットダウン”し、「現在」にフォーカスさせます。

空気の温度

手のひらの温もり

呼吸のリズム

相手の目の奥の震え

この“現在への帰還”によって、
「今、危機は存在しない」という事実が身体で確認できるようになります。

「恐怖」は“有事”という物語を作り出す。
だが「共感」は“世界を敵にしない勇気”を思い出させる。

MDMAとは、恐怖というフィクションを解除し、愛というリアリティに接続する装置であり

勇気という名のグルーヴを生み出す現在の日本に必須のケミカルなのです

Posted by nolongerhuman