BTS新曲「SWIM」世界最速レビュー!! 楽曲の世界観・テーマを徹底考察

XR脚本とKPOPBTS

BTSが帰ってきた。
だが、ここで本当に問われるべきなのは「帰還」そのものではない。
どこへ帰ってきたのかである。

兵役明け。世界巡航再開。
そういうニュースの見出しは、いくらでも作れる。
しかしBTSという巨大な物語をここまで引き裂き、引き延ばし、沈黙させたものは、単に兵役だけではなかった。
そんなことは、少しでもこのグループの時間を見てきた者なら知っている。
彼らを長いヒエタスへと追い込んだ本当の重力。
それは、あまりにも巨大で、あまりにも美しく、あまりにも残酷だった

グラミー賞
という名の蜃気楼である

BTSを苦しめたグラミーという監獄

HIPHOPを愛した少年たちが、K-POPというフォーマットでアメリカの音楽権威の中枢へ突入する。
これは本来、ただの快挙ではなかった。
文化戦争だった。
言語の壁。人種の壁。産業の壁。
そして「世界化されたポップ」が実はどれほどアメリカ中心主義の城であったかを、BTSは自らの身体で測量し続けた。
英語曲。PR。授賞式。ノミネート。
手を伸ばせば届きそうで、しかし最後の最後で扉は閉じる。
何度も。何度も。何度も。
それは挑戦というより、ほとんど受難だった。

活動休止直前、RMが涙をにじませながら語ったあの苦しみ。
あれは単なる疲労の告白ではなかった。
**「BTSという国家」**を背負わされ続けた者の悲鳴だった。
世界が求めるBTS。
市場が期待するBTS。
グラミーが欲した“ちょうどいい異物”としてのBTS。
そのすべてから、いったん解放されたい。
あの涙は、成功者の贅沢な弱音などではまったくない。
むしろ逆だ。
あまりに成功しすぎた者だけが知る、成功の監獄のリアルだった。

BTSは再びグラミーを目指すのか?

だから今回のカムバックで真っ先に問われるべきは、売上でも再生数でもない。
ただ一つ。
BTSは再びグラミーを目指すのか?
この一点だった。

しかもアルバムタイトルは『ARIRANG』。
ここに込められた身振りはあまりにも明白だ。
アリラン。
韓国の記憶。民謡。離別。痛み。越境。魂の旋律。
つまりこれは、単なる再開の号砲ではない。
「グローバル・ポップ・モンスターBTS」が、いちど自らの原点と祖国的情感の方へ折り返してくるという宣言である。

このタイトルを掲げる以上、誰もが思ったはずだ。
ああ、これは再び“権威を獲りに行くBTS”のアルバムなのかもしれない、と。
民族性と普遍性を抱えて、もう一度世界最高峰へ。

今年のグラミーを徹底的に「祖国と自らのアイデンティティー」をテーマとしたアルバム
『DeBÍ TiRAR MaS FOToS』で受賞したバッドバニー的な作品になるのか??

だが――
BTSは、その「わかりやすすぎる期待」を、笑うように裏切ってみせた。
先行して鳴り響いた「SWIM」。
ここで彼らが差し出したのは、勝利宣言でも世界制覇のファンファーレでもなかった。
もっと湿っていて、もっと近くて、もっと個人的で、もっと身体に近い歌だったのだ。

「SWIM」はBTS初の性愛テーマの楽曲である

泳ぐ。
この言葉がポップカルチャーの歴史において何を意味してきたか。
そんなものは説明するまでもない。
海へ入る。深みへ沈む。相手の中へ溶けていく。
それはしばしば恋愛の比喩であり、欲望の比喩であり、もっと言えば
セックスのメタファー
そのものとして何度も何度も使われてきた記号である。

ここで重要なのは、BTSがいまさら比喩を発見したことではない。
重要なのは、このタイミングでその領域へ触れたことだ。
社会。青春。喪失。不安。自己肯定。友情。夢。怒り。癒し。
BTSはこれまでありとあらゆるポップの大主題を横断してきた。
だが真正面から「身体の欲望」や「センシュアルな親密さ」をグループの大きな表題として掲げることには、どこか慎重だった。
それは彼らの美徳でもあり、戦略でもあり、BTSという共同体の倫理でもあっただろう。
しかし「SWIM」は、その均衡を静かにずらす。
世界を変える歌ではない。
歴史を背負う歌でもない。
まずは、たったひとりの“きみ”へ向かって泳ぎたいという歌として響く。
この小ささ。
この私性。
この“世界”ではなく“身体”へ戻る感じ。
そこにこそ、今回のBTSの本当の革命がある。

なぜなら、グラミーとは常に「世界へ向けて自分たちを翻訳し続ける」運動だったからだ。
より普遍的に。
より明快に。
より届く形で。
より大きな物語として。
しかし「SWIM」がやっているのは、その逆なのである。
翻訳ではなく、内省。
遠征ではなく、潜水。
証明ではなく、没入。
つまりこれは、
“認められるためのBTS”から“感じるためのBTS”への転回
なのだ。

勝利しか許されなかったBTSが、初めて欲望する自由を取り戻した「SWIM」の意味

ここにきてBTSは、ようやく勝利の物語から降りたのかもしれない。
いや、もっと正確に言おう。
勝利しか許されなかったBTSが、初めて欲望する自由を取り戻し始めた
のだ。

『ARIRANG』という祖国的タイトルと、「SWIM」というきわめて身体的な曲名。
この落差は矛盾ではない。
むしろ一致している。
ルーツへ戻るとは、国家的な大文字へ戻ることではない。
ほんとうのルーツとは、もっと個人的な震えのことだからだ。
誰かを欲すること。
誰かの中へ入りたいと願うこと。
自分の深部にまだ言葉にならない熱があると知ること。
その最小単位の真実へ戻ること。
それが彼らにとっての“アリラン”なのだとしたら、これはあまりにも美しい反転ではないか。

グラミーを目指すのか。
もちろん、この先またその航路に出る可能性はある。
BTSほど巨大なグループなら、世界の賞レースから完全に無縁ではいられない。
だが少なくとも「SWIM」が告げているのは、
もう二度と、あの傷を隠したまま“世界標準の成功譚”だけを演じるつもりはない
ということだ。

BTSは、世界最大のグループになったあとで、ようやく
ひとりの人間として泳ぎ始めた。

ここで鳴っているのは、征服のラッパではない。
帰還の凱歌でもない。
もっと柔らかく、もっと危うく、もっと人間的な音だ。
世界を獲る前に、まず自分たちの心身を取り戻す。
市場を揺らす前に、まず欲望の温度へ触れなおす。
BTSは今、王座へ向かう船を出したのではない。
むしろいちど海へ降り、自分たち自身の深さを測り始めたのである。

そしてそのとき初めて、彼らはもうグラミーの夢を追う必要すらなくなるのかもしれない。
なぜなら本当に強いポップスターとは、権威に愛される者ではない。
自分の深海へ降りてなお、歌を持ち帰れる者
のことだからだ。

ウェルカムバックBTS!

明日のアルバム「アリラン」レビューへと続きます・・・・・・・・

BTS

Posted by nolongerhuman